五月雨 | ナノ








戸惑う平助に、綾は身体ごと向き合った。
そのまま脇に置いた刀を正面に置きなおす。
僅かに眉尻を下げ、静かに口を開いた。


「沖田さんとはどうにもならないよ」
「なんで、」


平助の声は驚愕に彩られている。
何故、既に諦めているのか。訳が解らなかった。
沖田は島原遊びをしないし、何より他人に対して興味が無い。彼は近藤以外の人間など、どうでも良いと打ち捨てている節がある。
それでも平助は、沖田の綾に対する態度は違うと思っていた。
近藤に対するものほどでないにしろ、あれは親しい者に見せる表情だ。


そして綾も、沖田には柔らかな目を向けている。
二人とも警戒心が人一倍強い。他人を簡単に信用しない。
綾の場合は特に、育ちが影響している。影武者だった経験が、彼女を注意深く育てた。


だからこそ二人の親しい態度に戸惑ったというのに。
平助はあからさまに顔を顰めた。


「総司のことなら心配ねぇと思うけど。あいつ、綾に対しては割と、」
「そうじゃないよ」
「…え?」
「そうじゃ、ない」


沖田の気持ちは関係ない。綾は小さく微笑んだ。
悲しそうな笑顔だと、平助が息を呑むほどの笑みだった。


「沖田さんの気持ちの問題ではないよ」
「じゃあ…」


なんで、と平助が零す。
綾は窓の外を見上げる。青空には雲一つ浮かんでいなく、見事なまでに晴れていた。
遠くから隊士達が大騒ぎしながら掃除をする声が聴こえる。


無論、直ぐに沖田が気持ちに応えてくれるとは思わない。
近藤第一の人だ。隊務とあらば、例え親しい人でも斬ると誓った人。
山南が羅刹になった時、自分も必要であれば変若水を飲むと断言していた。
そのような大事を背負った人だから、あっさり綾の気持ちに応えるなど、思えない。


しかし綾の場合、それ以前だった。応える、応えないの問題ではないのだ。
気持ちを告げることすら許されぬのだから。


「私は会津の姫だよ。松平容保公の養女で、…紀州徳川の血を引く娘」


突然言い出した綾を、平助は訝しげな瞳で見つめる。
それでも真意を見出そうと何も口を挟まなかった。


綾は視線を平助に戻す。そっと小さく微笑んだ。


「だから自分で決めた相手と結ばれるなんて、あってはならない」
「は?でも、お前、身分は捨てて入隊したんだろ?」


眉間に皺を寄せた平助が言う。
確かにそうだが、違う。綾は再度首を振った。


「名目上はね。私の本当の身分は、とっくに出家して“蓮尚院”となっているし、世間的には消えたようなものだよね」
「じゃあ、関係ないじゃん」
「なんで出家したことになんか、なったと思う?」


突如尋ねられ、平助は面食らう。
何故出家したことになったのか。考えてみれば奇妙な話だ。
いっそのこと死んだことにした方が、簡単だったはずだ。
戻る気はないと断言していたし、死んだことにすれば万が一露見しても他人の空似と白を切ることも出来る。


「それは…、お前の存在がなくなったら、もう弟と会えなくなるから、か?」


苦し紛れに浮かんだ言い訳を平助が口にすれば、綾は少し唸った。


「それもあるけど、でも一番の理由じゃないよ」
「じゃあ、」
「私にはまだ利用価値があるから」


利用価値、と平助は口の中で反芻する。
その驚いた瞳に、綾は頷いてみせた。


「私というよりも、“綾姫”には価値がある。徳川の血筋、会津の姫であるという価値が」
「どういうことだよ」
「政略結婚には最適な血筋だから」


さらりと口にした綾と対照的に、平助は目を見開いた。
窓の隙間から風が吹いて、二人の前髪を揺らす。
新緑の爽やかな香りが部屋に満ちた。


「政略、結婚」
「私に限ったことではないけどね。武家の女は生まれた時に覚悟しているよ」


真っすぐ見据え、綾は言いきった。


武家では政略結婚とまで大々的にならなくても、恋愛結婚などいうものがあまりないのは周知の事実だった。
大半は親が決めた相手と結婚する。
なぜなら婚姻とは当人同士の問題ではなく、家と家で行うものだからだ。
嫁ぐのは家のため。自分の為に非ず。それが武家の常識だった。


それが上級の家柄になるにつれて、高まる。
特に大名家の娘は自分で結婚相手を決めるなど、あってはならないことだった。
屋敷の外にも滅多に出ないので、異性に出会う可能性も少なく、親が決めた相手に嫁ぐ。それが当たり前だった。


綾は特殊な育ち方をしたので、外に出る機会が多かった。
幸か不幸か沖田に出会い、恋をした。されどそれ以上発展させることなど、許されないことだった。


「私は新選組に一生尽くすと、近藤先生の為に働きたいと豪語して入隊した。嫁にはいかないと何度も養父上に申し上げた。それは確かに事実だよ。でも、あくまでそれは養父上の温情に縋っているに過ぎない」
「温情って?」
「もし養父上が命令を下せば、私は断ることは出来ない。新選組を脱退して嫁にいかなくてはならないよ」


胸が張り裂けそうだ、と綾は目を伏せる。
解っていたことなのに口に出すのは辛かった。
されど口に出さなくてはならない。
何よりも自分に言い聞かせる為に。





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