五月雨 | ナノ









その夜、綾は打掛を脱いで、小袖の上に蘇芳色の被布を纏った。
家茂に薦められて、一晩二条城に宿泊することにした。
それで二条城の警護をしている新選組の面々へ、差し入れも兼ねて顔を出すことにしたのである。


流石に男装は拙いと染に止められ、仕方なく軽装にした。
会津の姫が直属の新選組を見舞ったところで、特に不可思議ではないと思いなおしたのである。
ちょうど城内で会津の重鎮と会っていた近藤に許可を取り、綾は染を連れて城外に出た。
念のため帯に懐剣を挟んである。すぐに居合を繰り出せるよう配慮した。


教えられたとおりの場所に出ると、篝火が焚いてある。
見慣れた浅葱の羽織を見つけ、綾は一瞬駆けだしそうになった。
だが止めたのは、その場の緊迫した空気のせいだ。


少し離れた場所に、土方、斎藤、原田がいる。後ろには千鶴と山崎だ。
彼らは綾に気付かず、真正面だけを睨むように見据えていた。
視線を追って息を呑む。
彼らの目前にいたのは、風間を含めた三人の男だった。


三人の関係は、対等には見えなかった。
一見すると、風間が二人の家臣を引き連れているように見える。
風間と天霧は昼間挨拶を交わしたので知っていたが、もう一人の褐色の肌の、特徴的な刺青をいれた男は知らなかった。
それでも鬼の仲間なのだろうと察する。そうとしか考えられなかった。


会話は解らぬが、友好的には見えない。激しく言い争った後、彼らは刀を交えた。
金属と金属が触れあう高い音が、辺り一面に響く。
背後で染が息を呑む。普段豪気な女ではあるが、こうして間近に殺気を感じることは珍しいから震えているのだろう。


「染、ここで待っていなさい」
「姫、様。綾様、何を…、」
「良いからお待ちなさい」


驚く染をそのままに、綾は歩み寄る。
左手は懐剣に手を掛けている。


綾が近寄って来て、一番に気づいたのは千鶴だった。
あっ、と彼女が思わず声を上げると、釣られたように他の面々も綾を見る。
一瞬だけ綾は千鶴を見、それから男たちに目を向けた。


「このような場所で、一体何をしているのですか」


わざと大きな声で、高圧的に言った。
土方は僅かに目を見開くが、直ぐに意図を察したらしい。
鬼達から間合いを取り刀を下げた。


「蓮尚院様、ご無礼いたしました」
「土方殿、あなた達新選組は二条城の警備を任されたはずです。一体何をしておいでなのですか」
「申し訳ございません」


淡々と謝り、土方は頭を下げる。
斎藤と原田は顔を見合わせ、それから間合いを取って土方に倣った。


胸に痛みが走る。本当はこのようなことはしたくなかった。
身分を振りかざすような真似をすれば、また彼らとの間に距離が出来てしまうのではないか。
恐ろしい妄想だった。実現などして欲しくない、避けられるものなら避けたい。
しかし場を収める一番の方法である。綾は息を吐いて風間を見遣った。


「それで風間殿、いくらここが城外であっても抜刀は些か不謹慎ではありませんか」
「水を差されるな。別に将軍の首を取ろうという訳ではない。そこの小娘に用があって参ったのだ」


風間はそう言うと、ちらりと千鶴を見た。
その視線に千鶴は怯えたように肩を震わせる。


綾は不意に家茂の言葉を思い出した。
鬼という種族は、女が少なくとても貴重である。その為に相対数が少ない。
唇を軽く噛み、綾は風間の鋭い視線に物怖じすることなく、真っすぐ見据えた。


「あれは新選組の小姓ではありませんか。何故そのような者に手出しするのですか?」
「貴様には解らぬだろうが、あれは価値のあるもの。こやつらの手には余る」
「ええ、価値ある子でしょうとも。土方殿の信頼篤い小姓ですから」
「そういった意味ではない」
「では、いかなる意味なのですか?詳しく聞かぬ限りこの子は渡せません。新選組は会津の直属、つまりこの小姓は我が家中の者です。それを踏まえてお考えになりますよう」


綾は有無を言わさぬ口調で言い切った。
本来の目的は解っている。千鶴がそうであるかは半信半疑だが、可能性として考えられた。
もし自分が思っているような理由であれば、尚更渡す訳にはいかない。
綾は千鶴の怯えた顔を思い起こし、表情を固くした。絶対に、渡さない。


風間と暫し睨みあっていたが、その沈黙を破ったのは、風間の後方にいた男だった。


「おい、風間ァ。この女何だぁ?」


心底胡散臭そうに綾を見ると、男は顔を顰める。
風間は長く息を吐き、視線を男に向けた。


「会津の姫だ」
「ハァ?オイオイ、容保公の娘にしちゃ、年食い過ぎだろ」
「養女だそうだ」
「なんでそんなヤツがホイホイ出てくるんだよ。つーか、会津は女連れで城入りしてんのか?」


情けない奴らだと、男は吐く。
刹那綾の頭に血が上ったが、直ぐに思い直した。
今は怒りを露わにすべきでない。冷静さを欠いた方の負けである。


唇を引き結んだ綾に、風間は笑みを一つ落とす。
それから彼は仲間の鬼達に、帰るぞと告げ背を向けた。


「確認は済んだ。本日は引き上げる」
「チッ、そうすっか」
「残念ながら、それが良さそうですね」


鬼達は目配せし、後方の石垣に飛び移った。
月の光が鬼達の影を細く長く伸ばしている。
綾がすっと目を細めた、その時だった。


突如鋭い殺気が走り、綾は咄嗟に懐剣を抜いた。
間髪いれず、金属と金属が触れあう甲高い音がする。


「綾さん!」


千鶴の悲鳴が闇に響いた。
鞘に手を添え、綾は歯を食いしばって目の前の刀を受け止めた。
風間の金色の髪が、頬にかかりそうなほど近くにある。
下駄では上手く踏ん張ることが出来ず、砂利が細かな音を立てた。


「思い出したぞ。貴様、池田屋の時の隊士ではないか」


風間が唇を歪ませるように笑った。
騙されたのだと、綾は顔を顰める。
通常の大名家の姫君であれば、咄嗟の殺気に反応して懐剣を抜くことなど出来ない。
だが綾は現在殺気の中で生活している。考えるより先に居合が出てしまうのだ。


「会津では姫君を浪人集団の中に混ぜるのか?とんだ田舎の犬よ」


吐き捨てられた言葉に、反論することは出来なかった。
姫であることも、新選組の隊士であることも、どちらも否定は不可能だと悟った。
昼間に二条城の廊下を歩いているところを見られたし、池田屋では実際刀を構えて向き合っている。
しかも先ほど千鶴が、“綾さん”と呼んでしまった。蓮尚院様、ではなく、本名をさん付けだ。


落ち着けと、自分に言い聞かせる。
場を切り抜けねばならない。冷静にならなくてはならない。


「風間殿、取引をいたしませんか」
「取引?」


風間の眉が歪む。目には好奇が浮かんでいた。


「あなたが池田屋にいたこと、私は会津の者にも、勿論幕府の方にも話しておりません。これより先も話さぬとお約束しましょう。代わりに、」
「会津の姫君が、事もあろうか新選組に属しているということを、口外せぬように、か?」
「左様です」


真意を探るよう風間は綾の瞳を覗きこむ。
互いの息がかかりそうな程近寄ったが、綾は引かなかった。


直ぐに風間は軽く笑うと、ふっと後ろに飛び退く。
そして今度こそ刀を納めた。


「よかろう。取引成立だ」
「ありがとうございます」


綾も懐剣を鞘に納める。
顔面を蒼白にした千鶴が駆けよってきた。


風間は塀の上から、そんな千鶴に目を向けた。
口元には笑みが浮かんでいる。


「いずれまた近いうちに会いに来る。待っていろ」
「…」


目を見開いた千鶴を尻目に、風間は仲間を連れて去る。
その身軽さに綾も、ここまでなのかと唇を噛んだ。





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