五月雨 | ナノ








「打掛は久しぶりですけど、本当にお似合いですよ」


二条城の一室。
篠山染は少し離れて綾を眺め、惚れ惚れと呟いた。


綾が出張だというのは、あながち嘘ではなかった。
だがその行き先は大坂ではなく、同じ京の土方の別宅であった。
別宅に着くと既に到着していた染は、綾に着物を渡して着替えさせる。
そして籠に乗り会津屋敷に向かうと、今度は打ち掛けを纏い髪を丁寧に結い上げさせた。


会津屋敷からは、会津葵の家紋が入った籠に乗り、松平容保の娘蓮尚院として登城した。
落飾後初めての登城とあって、綾の恰好にも変化がある。
未婚の落飾だったため大人しい装いではないが、それでも切り髪にして髷を解くので印象が大幅に変わった。
染が用意した小袖と打掛も、落飾前より少し刺繍を抑えている。
今更ながら綾は、自身が落飾したのだと実感した。


家茂の家臣が呼びに来て、綾は部屋から出た。
新選組として警備に携わることは出来なかった。それは綾が予測した理由ともう一つ、何より家茂からの呼び出しがあったからだ。
家茂直々の書状で、綾との面会が請われた。容保にしても拒絶する理由はないし、元より二人が仲の良い姉弟と存じしているので快く了承したのである。


廊下は二条城の中でもあまり使用されないところが選ばれた。
家茂の家臣は、先に家茂の元へ向かっている。
綾は染を引き連れ、家茂が待つ白書院と呼ばれる将軍の寝室を目指す。
いつもは男装で身軽だが、本日打掛まで纏っているため、思うように動くことが出来ない。
姫様というのも不便なものだと、綾は溜め息をついた。


白書院に近づくにつれ、何か話声が聴こえて綾は眉を顰める。
その話声は大名同士がたまたま遭遇して世間話をしているとか、そんな和やかな感じではなかった。
それどころか、話している片方は怒鳴っている。
綾は顔を強張らせ、声の方へ向かった。


廊下の角を曲がったところで、声の主の姿が認められた。
一人は若い武士である。長裃姿であるが、本人が年若いため何となく着せられている印象が残る。顔立ちも幼いので、まだ元服したばかりなのだろう。
対してもう一人は、供の者を引き連れた青年だ。こちらは武士よりも一回りほど年上だろう。
珍しい金色の髪に、紅い瞳。白い着物の上に黒の羽織という飾り気のない恰好であるが、それが逆に品格を引き立てている。


綾は思わず声をあげそうになった。
金髪の男性には見覚えがあった。池田屋で対峙した、やたらと力強い浪士である。
よく見れば、浪士が後ろに従えている赤髪の大柄の男は、平助の額を割った浪士ではないか。
表情がみるみる険しくなる。そんな者が何故、城内にいるのか。しかも彼らは家茂がいるはずの部屋の方向から来たようだ。ということは、家茂と面会したのか。


「そのような愚弄、許せませぬ!」


若い武士は血気盛んに口走った後、刀の柄に手を掛ける。
ハッと綾は我に返り、前へ進み出た。
彼女は若い武士の方も知っていた。


「何をしているのですか」


綾が声を張って問いかけると、三人は視線を彼女に向けた。
若い武士の方は振り返って睨みつけるが、相手が綾と解ると驚いて引き下がった。


「これは蓮尚院様!ご無礼いたしました」
「そんなことより、正木。あなたは何故刀を抜こうとしたのです。ここは二条城、上様のおられる場所。殿中での抜刀はご法度と、父君に伺いませんでしたか」
「…ですが、蓮尚院様、」
「抜いたのが会津藩士ということになれば、我が養父上にも迷惑がかかると思いませんでしたか。会津は取り潰しになるかも知れませんよ。赤穂の悲劇をお忘れですか?」
「…申し訳ございません」


淡々と綾に諭され、正木は罰の悪そうに俯いた。
殿中での抜刀は、綾の言うとおりご法度である。刀を抜いた瞬間、例えその気がなくとも将軍への謀反と見なされる。
そうなれば会津藩としては、正木の首一つ出すだけでは済まない。容保の切腹に、会津の改易か最悪領地召し上げ、お取り潰しが待っている。
頭に血が上っていた正木は綾に指摘され、ようやく平静に返ったらしい。とんでもないことを仕出かそうとしていたと、僅かに青くなっている。







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