あらかた巡察を終え屯所に戻ろうと、四人は隊士を引き連れて歩き始める。 平助は明るく千鶴と会話をしている。 さすがに千鶴といる時は、胸に巣食う暗さを忘れるらしい。 仕方ないことではあるが、今の平助を癒せるのは千鶴だけなのだろうと、綾は息を吐いた。 いくら親友であっても綾は隊士だ。それに山南の件では渦中にあった。 嫌われた訳ではないが、暗闇を忘れるどころか連想させてしまうのだろう。 暫く放っておき、千鶴に任せるしかないと、綾は首を振った。 あからさまに暗くなった綾を見て、沖田は顔を顰める。 声をかけようと口を開く。だが、それは声にはならず、代わりに漏れたのはくぐもった咳だった。 「沖田さん!」 慌てて綾は沖田の背を摩る。 定期的に医者に行っているはずなのに、沖田の体調は好転せず、むしろ悪化の一方だ。 ふと綾の頭に浮かんだ嫌な考えに、恐ろしくなって頭を振る。 労咳、なんてそんなもの。そんな訳はない。沖田に限って、そんなことあるはずがない。 ただ咳をしているだけだ。医者にだって行っている。沖田はまだ若いし体力もある。ただ、性質の悪い風邪にかかっただけだ。 それは半ば都合の良い解釈だと、綾自身解っていた。それでもなお、知らないふりをしていた。 「大丈夫」 沖田はそんな綾の心を読んだように、落ち着いた声音で告げる。 苦しさは治まったのか、表情が和らいでいる。 僅かに目を潤ませた綾に軽く笑いかけ、そのまま不意に視線を這わせた。 途端、止めて下さい!という甲高い声が聴こえ、綾も沖田の視線を辿る。 そこには浪士と、若い娘がいた。 浪士側は二人で娘を囲んでいる。娘の腕を掴み、何やら因縁をつけているようだ。 綾が顔を顰めるとほぼ同時に、沖田はゆっくり娘達に近寄った。 浪士たちは沖田の姿に不機嫌さを隠さない。 それでも沖田は気に留めず、浪士たちに飄々と忠告する。 浅葱の羽織の意味を思い出したらしく、沖田が刀の柄に手を掛けると、浪士たちは逃げ出して行った。 走り去る浪士の背を見送り、娘は平静に戻ったらしい。 少し乱れた髪を直し、深々と一礼した。 「ありがとうございました。私、南雲薫と申します」 改めて薫の身なりを見て、綾は良いところの娘なのだろうと推測した。 仕立ての良い着物に上品な仕草。これは付け焼刃では出ない。 武家や公家ではないにしろ、大棚の商人の娘であろう。 そんなどこかの娘が供もつけずに一人歩きとは、いささか不用心である。 それは沖田も思ったらしく、先に薫に忠告した。 薫は平に認め、軽く微笑んだ。 と、唐突に沖田は千鶴の腕を掴み、薫の横に並ばせる。 どうしたのだろうかと顔を顰めた綾は、それを見て息を呑んだ。 二人は驚くほど、鏡でも見ているかのように瓜二つであった。 「やっぱり、よく似ているね」 沖田が呟くと、平助は眉を寄せた。 「そっかぁ?俺は全然似ていないと思うけど」 「いや、似てるよ」 「そうだね。千鶴と薫さん、よく似てる」 綾も同意する。千鶴は男装して化粧気はないが、恐らくきちんと着付けて化粧をすれば、薫と見分けがつかないだろう。 平助は沖田ばかりか綾にまで言われ、しげしげと二人を見比べる。それでも鈍感なところがあるせいか、解らないと零した。 戸惑う千鶴に、薫は冷静に笑いかけると、一歩前に踏み出した。 「もっときちんとお礼をしたいんですけど、今は所用がありまして、ご無礼お許し下さいませ」 優雅にもう一度頭を下げ、薫は背を向けた。 三歩程進み、不意に彼女は振り返って、 「このご恩はまたいずれ。新選組の、沖田総司さん」 と囁くように告げて、去っていった。 黙って薫の背を見送りながら、綾は微かに顔を歪めた。 違和感を覚えていた。何となく歪な気がした。 薫は良いところのお嬢さん、といった感じであるし、実際そうだろう。 なのに薫の存在は、どこか嘘に塗り固められているような気がする。 綾は昔から勘が鋭い。 それでもその違和感が何なのか解らずに、しきりに頭を働かせた。 「おいおい、あれ、総司に気でもあるんじゃねぇの」 しかし思考が止まったのは、平助の感心する声が入ったからだ。 薫の丁寧な態度に対して解釈したようだが、沖田は軽く笑って否定した。 「今のがそう見えるんじゃ、平助は一生、左之さんとかには勝てないね」 「はぁ?どういう意味だよ!」 怒った平助は、先に歩き始めた沖田の背に抗議しながら追いかける。 相変わらずだ、と苦笑しつつ、ふと綾は千鶴に目を向けた。 千鶴は屈んで水たまりに映った自身の顔を、真剣な眼差しで見ている。 「薫さんと私、そんなに似ていましたか?」 自身では良く解らなかったらしい。 首を傾げる千鶴の頭を軽く叩いた。 「似ていたよ。だけど、そうだな。平助の言うことも解るかな」 「え?」 訝しげな表情を浮かべた千鶴に、綾は優しく笑いかけた。 「似て非なる物、かな」 言葉の意味を問おうと、千鶴は口を開く。 しかし先に平助に名を呼ばれて急かされ、慌てていつの間にか遠ざかった隊を追いかける。 綾も駆けながら、密かに思った。 そっくりといえば、それはもうそっくりだった。瓜二つ、合わせ鏡のようで、生き映しだ。 だが違うのは、薫に感じたもの。まるで何もかも偽りのような、違和感。 何だか解らない不安が胸に迫って、綾はそっと袂を握った。
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