五月雨 | ナノ









斎藤から山南の処罰を聞いた綾は、顔面蒼白になった。
山南が変若水を飲んで、羅刹になる。俄かには信じがたいことだった。
人でなくなって生きているのか死んでいるのか解らない、血を啜る化け物になる。
あの山南が、羅刹になってしまう。


「どうして、そんな…!」
「…山南さんが、望まれたそうだ」
「でも!」


斎藤に抗議したところで仕方ないというのに、綾は言わずにはいられなかった。
太陽の光を避けて生きる、忌まわしい生き物になってしまうなんて、どうしても嫌だった。
斎藤は顔を顰めると、そのまま目を伏せる。
彼もまた、処分に完全に納得した訳ではないだろう。恐らく誰も、山南以外の誰も納得していない。


永倉と原田は山南を説得しに行ったが、聞き入れて貰えなかったらしい。
こうなったら根競べだと息巻いていたが、山南の固い決意を変えることはそう容易ではない。
もう、山南の羅刹化は決定事項だった。


その時綾は一人の女性を思い出した。


「斎藤さん」
「なんだ」
「山南さんは表向き、切腹することになっているのですよね?」


問いかけに、斎藤は無表情のまま頷く。
それを確認して、綾は立ち上がった。


「明里さんを連れてきます!」
「綾!」
「すみません!」


斎藤の驚いた声を尻目に、踵を返して走り出す。
そのまま京の町中にある、山南の別宅を目指した。


全力疾走している為、いくら普段鍛えているとはいえ、息が切れる。
それでも綾は懸命に走った。
明里は山南が脱走したことなど知らない。ただ山南の帰りを、今か今かと待ちわびている。
愛する人の窮地を知らずにいる。


別宅がある地域まで辿りつくと、住民に場所を尋ね、再び走り出した。
地区の少し外れにある屋敷からは、良い匂いが漂っている。明里が料理をしているのだろう。
綾は息を整える間もなく、戸を何度も叩いた。


「はい?」


中から驚いたような声がして、戸が開く。
顔を覗かせたのは、高島田に結った明里である。すっかり武家の娘然にしていた。
明里は汗だくで息を切らした綾に目を丸くした。


「まぁ、雪之丞さん!どないしたんですか」
「明里、さん。私と一緒に来て下さい」
「…え?」
「早く、山南さんが!」
「山南さんが、どうしたんですか…?」
「早く!」


綾の切羽詰まった声音に、明里の表情も険しくなる。
二人は屯所に向かって駆けだした。
走りながら途切れ途切れに、綾は訳を話す。山南が切腹をすることになったと告げると、明里は呆然と目を見開いた。


「そんな、山南さんが…」
「立ち止まっている場合じゃないです。だからとにかく、明里さん、山南さんに会って下さい!」


足を止めた明里の腕を引き、屯所までの道を急ぐ。
いつも巡察で通っている道だというのに、やけに長く感じた。


屯所の中は、既に夜に迫った山南の切腹が知らされており、平隊士達に動揺が走っている。
怪我をする前は穏やかで気さくだったこともあり、山南を慕っている隊士も少なくはない。
それに総長という身分ですら、切腹させられるのが意外だったらしい。
誰もが動揺を隠せない。


綾は明里の手を引いて、なるべく人目を避けながら壁沿いを辿った。
そして山南が控えている部屋の、直ぐ前に到着する。
外からなので様子は見えない。綾は明里を見据えた。


「この部屋に山南さんがいるはずです。お声を掛けて下さい」


明里は小さく頷くと、格子を叩く。
何度も何度も山南を呼ぶ姿に、綾は唇を噛んで踵を返し、場を離れた。





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