沖田がいなくなったことで、近藤と土方も自室に戻る。 朝一番の巡察がある原田と永倉も、仕方なく席を外した。 それでも綾は動けない。まだ今の状況を呑みこむことが出来なかった。 呆然とした綾に、斎藤が近寄った。 そして彼は口を開いた。 「総司を向かわせたのは、副長の思い遣りだ」 「思い遣り、ですか?」 問い返した綾は、信じられない気持ちで斎藤を見る。 斎藤は相変わらず無表情であるが、瞳は誠実だった。 「一番組ではなく、総司単独で行かせた。何故か?」 「それは…」 少しの思案の後、ハッ、と綾は息を呑んだ。 山南を捕縛するなら確かに、一番組を丸ごと引きつれたほうが容易い。それが出来ぬといっても、沖田一人に探させるのは効率が悪すぎる。それを土方が解らぬはずがない。 とすれば、それは…。 「総司は山南さんを慕っている。あの二人は付き合いが長い。だがそれと同じくらい、局長や副長も山南さんとの付き合いがある」 「は、い…」 「融通が利き、山南さんも可愛がっている総司を向かわせたのはそういうことだろう」 斎藤はそれ以上語らなかったが、もう全て解っていた。 すなわち沖田を向かわせたのは形だけで、本当は山南を逃がすつもりなのだ。 その真意を汲み取ったから、沖田は進んで行ったのだろう。 言葉の表面しか読み取れない自分に恥じたが、綾は直ぐに考えるのを辞めた。 今はそんなことを考えている場合ではない。まずは山南である。 「斎藤さん、島原に行ってきます」 「島原?」 「明里さんの所へ」 山南がいない今、一番案じられるのは明里である。 果たして山南は明里を連れて江戸へ行ったのだろうか。しかし明里は遊女、簡単に足抜けは叶わない。 それは斎藤も同意だったのか、頼む、と一言彼は言う。 その言葉に頷いて、綾も屯所を出た。 まだ朝早い為か、島原の界隈は静まり返っていた。 記憶を辿りながら、明里の住む置屋を探す。正確な場所は知らないから時間がかかるだろう。 そう思った綾だったが、案外早く置屋は見つかった。 というより、置屋の正面に立っていたのは、探し人だった。 「明里、さん?」 綾が声を掛けると、明里はゆっくりと振り返る。 彼女は酷く驚いた顔をしていた。 「あら、雪之丞はん」 「何をしているのですか?」 綾が驚いたのは、明里が大荷物を抱えていたからである。 しかも遊女でなく、武家の娘の恰好をしている。 綾の視線に気づいた明里は、困ったように笑った。 「ウチ、身請けされましてな。今から新しい家に向かうとこなんどす」 「身請け、ですか」 「へえ。山南はんが、身請けしてくれたそうで」 「えっ、山南さんが?」 「何でも昨晩遅くにいらしたそうで。ほんでウチを身請けしたいと、申し出てくれたそうなんどすよ」 そう言いながら、明里は一枚の紙を差しだす。 書いてあったのは山南の別宅までの行き方だった。 「山南はんが直接迎えに来てくれはらんやったんは残念やけど、これで一緒にいられると思えば、本当に嬉しおすなぁ」 柔らかく微笑んだ明里は、心底幸せそうだった。 綾は言葉を無くして俯いた。 明里は、恐らく山南が既に京を離れているなど、知る由もなかったと察してしまった。 「ほんで雪之丞はん、ウチに何か用どすか?」 「…いえ。偶々通りかかったんですよ。馴染みが近くなもので」 「まぁ、そうどすか。確か雪之丞はんは君菊姐さんが馴染みどすな。姐さんに、いっぺんご挨拶伺いますとお伝えになっておくんなまし」 では、と明里は一礼の後、踵を返した。 その背を何も言えずに、綾はただ見送った。
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