山崎の知らせで永倉が隊を引き連れてやって来た。 捕えた浪士を屯所まで連行し、そこで尋問することになっている。 綾は山南のことが気がかりであったが、一晩島原に泊まるという山南にそれ以上何も言うことは出来ず、後ろ髪引かれる想いで場を離れた。 隊士達の背を、山南と明里は黙って見送る。 僅かに影を落とした山南の横顔を、明里は不安な面持ちで見つめていた。 喧騒が遠ざかりやがて、再び島原にゆっくりとした時が訪れる。 恋人達は互いのことしか見えていない。 「お里、行きましょうか」 「あ、はい」 振り向いた山南は、いつものように優しい顔をしていた。 軽く微笑み、さぁ行きましょうと歩き始める。 明里は慌てて隣に並んで歩いた。 店の裏側の小川沿いには、柳の木が等間隔で植えられている。 提灯と月の明るさが、派手な表通りとはまた違う趣を作りだしていた。 山南も明里も派手好みではないため、仰々しい店の内部よりも裏にある川沿いを好んでいる。 柳の下は霊が出るという伝承が何処の地方にもあるものだが、ここの柳は行燈の橙色に染められているせいか、恐ろしいというより風情がある。 橋桁の近くまで降りて、二人はそっと寄り添った。 想いを通わせて、もう既に半年近く。二人は急速に接近した。 普段天神として勤める明里だが、山南が傍にいる時だけは辛いことを全て忘れられた。 悲しいことがあると、山南に寄り添った。 何か大きなことがある訳ではない、ただ静かに隣にいるだけで良かった。 穏やかで思慮深い明里に、山南も救われている。互いに、知らない間に支え合っていた。 出会うのが遅かっただけで、これは何かの導きに違いないと、明里は密かに想っている。 仙台にいた頃夫婦になることは叶わなかったが、恐らく兄が引き合わせてくれた運命なのではないか、と。 「お里」 優しく山南が彼女の名を呼ぶ。はい、と小さく返事をして、明里が顔を上げた。 山南の肩越しに月が輝いている。 月明かりに照らされた小川はきらきらと光り、静かな音を立てて流れていた。 「あなたに会えて、本当に良かったと思っています」 「…山南、さん?」 「嘉衛門に感謝せねば。あなたは本当に素晴らしい人だ」 嬉しい程の言葉だったが、明里の胸には不安が浮かんだ。 黒く小さな不安の渦ではあるけど、それは確実に燻っている。 僅かに眉を顰めた明里の頬に、山南はおもむろに手を添えた。 「あなたの名前、ずっと良い名だと思っていました」 「名前、でございますか」 「はい。明里、の名です」 眼鏡の向こうで山南が目を細めた。 それは長い間抱えていた真実を、奥からゆっくり引き出したような口調だった。 「決して夜が明けぬ里はない。地上の全てには、太陽の恵みがある。あなたの名は希望にあふれている。明るい未来がある」 「山南さん…」 「あなたによく似合った名だと、常々」 風が吹いて、目の前の山南の髪を揺らす。 乱れた袖を直しつつも、明里は山南から目を逸らさなかった。 山南の色素の薄い瞳は、慈しみの色を湛えている。 添えられた手のひらから伝わる熱が、明里の心に何かを落とした。 「お里」 「はい」 「覚えておいて下さい。私は何があろうとも、あなたと出会えて良かったのだと」 瞬きすら忘れそうなほど、明里は山南を見ていた。 そんな彼女に、山南は優しい囁きを与える。 「あなたが、好きですよ」 心の底から。 嘘偽りのない愛の言葉に、明里の目の前は曇る。 直後、目尻から涙が零れ、山南の手のひらを濡らした。 何故泣いているのか、明里自身解らなかった。 ただ胸の中がいっぱいだった。抑えきれない感情が、涙になって溢れた。 仕方ないですね、と山南は笑って、指で拭う。 その口調の優しさが少し怖いと、明里は見えない不安に足を竦ませた。
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