山南が気になった綾は、永倉達を置いて先に店を出た。 そのまま真っすぐ島原へ向かう。 まだ明るい時分の為か、界隈は閑散としていた。 禿と見られる少女が遣いに走り回っている。 本日は暖かく雪は降っていないが、溶け残って僅かに灰色が混じった雪が、道の脇で太陽の光を浴びて煌めく。 綾は意を決し、角屋を目指そうと踏み出した。 「あれ、雪之丞くん?」 不意に後ろから声を掛けられ、一拍置いて振り返る。 そこには腕を組んだ沖田が立っていた。 意外な場所で意外な人物に会い、綾は思わず目を丸くする。 そんな彼女を見て、沖田は可笑しそうに笑った。 「何?今から君、贔屓の天神のところにでも通うの?」 「そんな訳ないじゃないですか」 「そうかな?解らないじゃない」 飄々と言い放った沖田は、口元を緩めたまま近寄ってくる。 綾が見上げると、彼は困ったように首を傾げた。 「違うなら、一人で何をしているの?」 「それは…」 「まぁ、だいたい察しがつくけどね」 僅かに目を細め、それから沖田はゆっくり視線を逸らした。 「山南さんは角屋ではないよ」 「え?」 「ちょっと、ついておいで」 返事を聞く前に踵を返した沖田の背を、綾は慌てて追った。 歩く度に沖田の着物の袖が揺れている。 あまりにも慣れた足取りで進むものだと、驚きを覚える。 島原を歩き慣れるなど、それはつまり目的は一つしかないはずだ。 店と店の間を抜け、島原の外れまで行く。 小川が流れ、河原を埋めるように柳が植えられている。 その直ぐ傍の朱塗りの掛け橋の上に残雪が散らばり、何とも云えない風情を醸し出していた。 川岸にとまった船の脇で、船頭が綱を巻く音が響く。 島原の裏側に位置した場所の為か、表側より更に人通りが無かった。 「ここに隠れて」 「え?」 「ほらほら、いいから」 沖田に背を押され、戸惑いつつ綾は物陰に隠れた。 冷たい北風が首筋を撫でて通り抜ける。 綾は首を竦めたまま沖田の視線の先を追い、あっと思わず声を上げてしまい、慌てて口を覆った。 橋の向こうの柳の下に、一組の男女がいる。 言わずと知れた山南と明里である。 明里は普段のような派手な格好ではなく、簡素に髪を結い、武家風に着つけていた。 元が武家の娘とだけあって、違和感はない。 むしろ遊女の恰好よりも凛として品がある。 小川と橋を隔てた場所からは、二人の会話を聴くことは出来ない。 されどその必要はなかった。 二人の間に流れている穏やかな時間を、感じ取るのはさほど難しくない。 山南が何か話せば、明里が控えめに答える。そして二人微笑みあう。 優しい空気は、昨晩降った白銀の雪よりももっと綺麗なものだ。 「あの二人、本当の恋仲なんですね」 呟いたのは半ば無意識だった。 客と遊女なんていう単純な関係ではない。二人はずっと深くで繋がっている。 そう思うには十分な光景だった。 何をするでもない、二人寄り添いながら景色を眺めている。 それだけだからこそ見える、二人の関係。 何より怪我をして以来、山南がここまで明るく優しい笑みを浮かべることがあっただろうか。 いや、それ以前だって、こんなに。 「山南さんも明里さんも、お互いが好きなんだろうね」 沖田はいつもの調子で、されど瞳に少しの優しさを混ぜて頷く。 痛んだ心が明里との触れあいで、癒されているのだろうか。 それはほとんど願望ではあったが、そうであれば良いと思う。 沖田の心中には複雑な想いもある。 試衛館時代からずっと一緒にいた自分達ではなく、京で突然出会った女が山南を救っている。 出来れば自分達が癒しになりたかった。傍にいて励ましたかった。 けれど一方で、明里だからこそ叶ったのも解っている。 今の沖田達は、背負うものがあまりに大きく重すぎた。 その時、余所見をしていた明里が何かに躓いた。 前に転びかけた彼女の腕を、咄嗟に山南は掴んで引き寄せる。 そのまま身体を山南に預けた明里の頬が染まった。 二人は暫し見つめ合い、それからどちらともなく微笑んだ。 「行こうか」 「…はい」 これ以上は覗き見るものではない。 沖田の促しに綾は素直に従った。 背後では山南と明里が、北風の冷たさを避けるように身を寄せ合い、お互いだけを見ていた。
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