洗濯物を全て干し終わると、綾は軽く伸びをした。 浅葱の羽織が風に揺れ、空を埋め尽くすように覆っている。 降り注ぐ太陽の日差しが頬を照らした。 隣にいる千鶴は、眩しそうに空を仰ぐ。自然と互いに口元を緩ませた。 「お、いたいた!」 和やかな雰囲気を破る、大きな声を足音が近づいてくる。二人分、だ。 綾と千鶴が振り向けば、満面の笑みを浮かべた永倉と原田がいた。 永倉は巡察帰りらしくまだ羽織を着たままだ。 「お前ら探したぜ!」 「どうしたのですか?」 「これから町に行かねぇか?」 唐突な誘いに瞬きを繰り返す。 綾は反射的に頷くが、直ぐにハッと目を見開いた。 隣に立つ千鶴は困ったように笑っていた。 千鶴は巡察以外で、未だ外出が許されていない。 顔を顰め、そのことを追及しようとした綾の頭を、原田が軽く叩いた。 「土方さんにはもう話通してあるから、心配するな」 「え?じゃあ、」 「千鶴も一緒だ」 原田が悪戯っぽく笑えば、千鶴は目を輝かせる。 いいんですか?と言葉でこそ聞いているが、心底嬉しそうな表情に駄目と言えるはずがない。 何だか微笑ましく思ったのは永倉も同じだったのだろう、豪快に頷いた。 「旨いぜんざいを食わせるところを見つけたんだよ。今日は俺様の奢りだ!」 「そんな、でも、」 「年下が遠慮なんかするな!二人とも大事な妹分なんだから」 戸惑った綾と千鶴だったが、顔を見合わせ一拍置いて笑う。 二人とも若い娘の枠から洩れず、甘味は大好物だ。 ありがとうございます、と礼を言った二人に、永倉は満足げな表情を浮かべた。 「いいってことよ!」 「そういうこった。いやぁ、有り難いなぁ。この際思いっきり高けぇモン食っちまおうぜ」 「おい、左之。俺はお前に奢るとは一言も言ってねぇぞ」 「新八の金だ、遠慮するなよ。俺も店で一番高いモン食うからな」 「聞けよ、おい!」 漫才のようなやり取りを始めた永倉と原田に、思わず笑みが漏れる。 千鶴ともう一度顔を見合わせ、良かったね、と心の中で言った。 それから四半刻後、四人は甘味処にいた。 成るほど巡察の通り道ではないので知らなかったが、小さいながらも中々風情のある趣の店だ。 永倉と原田の二人は既に訪れたことがあるらしく、店の娘に奥の座敷に通して貰った。 ぜんざいを食べると、寒さを忘れるようであった。 甘い物は人を元気にしてくれる。 嬉しそうな綾と千鶴を見て、永倉と原田も微笑ましいと思った。 何気ない世間話をしていると時が立つのは早い。 四人は旨いぜんざいに舌鼓を打ちながら、話の花を咲かせた。 「そういや綾、もう聞いたか?屯所移転の話」 茶を啜りながら、不意に永倉が尋ねる。 綾は慌てて栗を咀嚼して飲みこんだ。 「移転するようなことは、少し前に近藤先生と斎藤さんから伺いました」 「じゃあ、場所のことは?」 「いいえ、まだ。候補地が決まったのですか?」 朝から幹部会があったことを思い出しながら言うと、果たしてそうであったらしい、永倉はああと軽く返事をした。 「正式じゃねぇが、ほぼ決定だろうな」 「へぇ、どこなんですか?」 尋ねた綾を尻目に、永倉はサッと辺りを見渡す。 周囲に他の客がいないことを確認し、声を落として囁いた。 「西本願寺」 「……は?」 「西本願寺、だよ」 西本願寺?って、あの? 綾は目を丸くして永倉を凝視する。 何の冗談だろうと思うが、直ぐにそれが嘘ではないことを知る。 苦笑いをしている原田も、本当だと頷いていた。 「土方さんの提案だが、偶然伊東さんも同意見だったしな。決定だろ」 「伊東さんも、ですか?」 「土方さんは苦げぇ顔してたけどな」 永倉はそう言いながら、音を立てて湯呑みを置いた。 眉間に皺を寄せた土方の表情を思い浮かべる。 確かに気の合わぬ伊東と同意見なのは、心外だろう。 綾は大変でしたね、と呟いた。 「けれど、それ、山南さんは大丈夫だったのですか?」 恐る恐るの問いかけると、永倉と原田は顔を顰めた。 やはり思うとおりか。 綾は目を伏せ視線を落とした。 山南は格式を重んじる。 元仙台藩の藩士で学のある彼は、ガサツな者の多い新選組の中では珍しい程常識があった。 古いしきたりに通じているし、怪我をする前はそれを生かして交渉役に立ったりもした。 実際綾の入隊の際には、要らぬ世話ではあったが、“会津の姫”として立て、藤堂公の御落胤である平助の隊に配属させたりと気を配っていた。 その山南が寺を屯所にするなど、許せるはずがない。 「山南さんは納得したのですか?」 「納得はしてねぇんだろうけど、話を曲げるのは無理だろうと思ってるだろ。伊東さんにああまで言われちゃ」 「伊東さんは、何と?」 「山南さんは思慮深いって言った後に、まぁ…」 永倉は大きく溜め息をついて、乱暴に頭を掻いた。 「刀が握れなくても、論客として優秀だって」 「……え?まさ、か」 「言ってくれるよなぁ、はっきりと」 吐き捨てた永倉は残った茶を一気に煽る。 綾は眉を寄せ、膝の腕で拳を握りしめた。 山南が刀を握れないことは、暗黙の了解だった。 誰も口にしない。本人ですら口にすることはない。 それを事もあろうか、伊東は本人に向かって言ったのだ。 悪気はなかったのだろう。伊東は少々無神経なところがある。 論客として過ごしてきているうちに、自分の意見を率直に述べるようになったのか、あるいは彼本来の性格なのか。 ともかく解っているのは、それが今回は悪い方に転んだということだ。 「山南さんは、その後は…?」 「島原に向かっているのを見た」 「そうですか…」 明里の元へ向かったのだろう。 伊東が来てからというもの、山南は徐々に、しかし確実に居場所を失っている。 山南は賢いが、それ以上に伊東は優れている。 しかも北辰一刀流の道場主だ。 学も剣術も劣るとなれば、山南は…。 それでも、と綾は思う。 それでも皆が案じているのは、皆山南を慕っているからだ。 気づいてくれれば良いのだが。 綾は憂いを帯びた表情を浮かべる永倉と原田、千鶴を見た。 せめて明里に会うことで鬱憤が晴れれば良いが。 不安を拭いきれないまま、綾は残りの茶を飲み干した。
[←] [→] [栞をはさむ]
back
|