五月雨 | ナノ










剣先と剣先が向かい合い、ピタリと止まっている。
いつもは緩んでいる沖田の口元は引き結ばれて、瞳は真っすぐに相手を見据えていた。
対峙しているのは伊東派の服部。彼もまた、稀に見る遣い手なのだろう。
あまりの気迫に、外野の綾ですら圧倒される。
目を離すことも出来ず、固唾を呑んで手に汗を握る。


動いたのは沖田だった。
僅かに剣先が揺らいだと思う暇もなく、鋭い打ち込みが服部の籠手に飛ぶ。
服部は読んでいたのか冷静に身体を捻って避け、逆に沖田の面を狙う。
危うく沖田は三間飛んでそれを回避した。


一流の剣客同士の戦いに、誰も声を発することは出来ない。
沖田の翡翠色の瞳は、服部の隙を探すように細められている。
暫し睨みあっていた二人は、互いに青眼に構えていた。


永遠にも思えるほどの長い沈黙だった。
勝負は一瞬である。
沖田は素早く踏み込むと、今度は服部の腹部に向けて打ち込んだ。
それを払った服部の力を利用し、突きを繰り出す。
激しい音が三回道場に響く。
三段突き。沖田の得意手であり、天然理心流の奥義の一つだ。
服部の胸部で止まった竹刀の先に、軽い凹みが出来ている。
対して服部の竹刀は沖田の籠手を目がけていた。


「一本!」


響いた太い声に、ようやく皆は呪縛から解き放たれた。
白旗は真っすぐ沖田を差している。
わっ、と近藤側が沸いた。


「総司!」
「良くやった!」
「流石だ!」


皆は興奮気味に沖田に駆け寄り、口々に乱暴ながら温かい称賛を浴びせる。
力任せに背中を叩かれ、沖田も笑みを零した。
普段冷静な土方すらあまりに嬉しかったのか破顔している。
綾も頬を緩め駆け寄ろうとするが、不意に思い留まる。
沖田の周りに集まっているのは生粋の試衛館派ばかりだ。
自分は試衛館派といえど人数に数えられ始めたのはつい最近であり、江戸の頃の彼らはもとより、上京して暫くしてからの彼らも知らない。
そんな自分が果たして、皆と同じように混じっても良いものだろうか。
無論、綾が輪に飛び込んでいったところで拒否する人間などいない。むしろ歓迎してくれるだろう。
それは解っているが、何となく気後れして綾は踵を返した。


熱気が籠った道場から外に出ると、あまりの涼しさに目を細めた。
微かに色づき始めた庭先の木の葉は、風に揺れてざわめいている。
首筋を冷たい空気が冷やす気がして、思わず首を竦めた。


「おや、雪之丞くん」


突然声を掛けられ、綾の肩が僅かに揺れる。
振りかえれば、柔和な笑みを浮かべた山南がいた。
最近では部屋に籠っておりあまり表に出ない山南だが、本日は流石に見学していたらしい。
こんにちは、と返せば、山南は穏やかに頷いた。


「お疲れ様でした。今日は見事でしたね」
「あ、ありがとうございます」


驚くが、直ぐに綾ははにかんで笑った。
褒められることは嬉しくない訳がなかった。しかも山南ならば尚更である。
入隊当時から一歩引いて綾に付き合ってきた山南だが、最近は少しずつそれも解けつつあると、綾は思っていた。


素直に喜ぶ彼女に、山南は眩しい物を見るように目を細める。
普段大人びた言動が目立ち、ひょっとすると平助よりも大人びた彼女ではあるからこそ、こうした年相応の反応をみると嬉しい。
山南はすっ、と視線を庭先に向けた。


「いつしかと萩の葉むけのかたよりにそそや秋とぞ風も聞ゆる」
「…え?」
「もう秋なんですね、という和歌ですよ。崇徳院が詠まれたものです」


傾きかけた日差しが、山南の頬を照らす。
眼鏡の奥の瞳を伏せ、彼はそっと微笑んだ。


「江戸や仙台にも、秋は来ているのでしょうか」


しみじみと実感の籠った呟きは、誰かに話すというより独り言のようだった。
何と返事をすれば良いのか解らず、綾は黙って山南を見つめる。
山南の瞳はここではない遠くを見るようで、少し寂しげな色を載せていた。
風に吹かれてしまえば、一緒に浚われてしまいそうだ。
そんな風に思えるほど、山南は儚かった。


「ああ、山南さん。こんなところにいたんですね」


その時空気を裂くような、明るい声がした。
振りかえった瞳に映ったのは、先ほどまで輪の中心にいた沖田だ。
試合の名残か僅かに頬が赤いものの、沖田は既に小ざっぱりしている。


「ちょうど良かった。これから島原に行きませんか?」
「これから、ですか?」
「はい」


戸惑う山南に、沖田は深く頷いた。


「僕の馴染みの天神が、早く来てくれって煩いんですよ。だから山南さんも付き合って下さい。山南さんも、明里さんが待っていますよ」
「別に、明里さんは…」
「明里さん、山南さんにお似合いだと思うなぁ」


そう言いきった沖田は、優しい笑みを浮かべていた。
沖田に馴染みの天神などいないことは、綾は勿論山南も知ったところである。
原田や永倉と違い、元々沖田はあまり島原に出入りしていなかった。
それは良く解っているものの、綾の胸奥で、例えば魚の小骨が引っかかったかのような違和感と痛みが走る。
嫌だと、一瞬だけ自分が思ったことに綾は驚いた。
何が嫌だというのだろうか。嘘も方便というし、沖田の嘘は誰かを傷つけるものではない。そんなことは自分も知ってる。
もっと別の何かだ。でも、何が嫌なのだろう。


考え込んだ綾を尻目に、沖田は軽い口調で山南を丸めこむ。
山南はやれやれと肩を竦め、準備をすると言って部屋に戻って行った。


「雪之丞くん」
「はい」
「君も準備して」
「え?」
「君も島原、行くんだよ」


目を丸くした綾に、沖田は困ったように笑った。


「僕、馴染みの天神なんかいないし。流石に明里さんが山南さんの相手している間、暇だからね」


その言葉を聞いて、綾の胸はパアッと晴れやかになる。
今までの燻りが嘘のようだ。
はい、と頷きながら綾は笑んだ。


「準備して参ります」
「うん」
「では、後ほど」
「うん。…あ、雪之丞くん」


一礼して踵を返そうとした綾を沖田が呼びとめる。
訝しげな顔をして振りかえった彼女に、沖田は笑んでみせた。


「今日の太刀捌き、見事だったよ」
「え…」
「お疲れ」


じわじわと胸に言葉が沁み込んでいく。
ありがとうございます、と言った綾の声は僅かに掠れていた。





[] []
[栞をはさむ]


back