近藤の後ろをついて、京の町並みを歩く。 迷いのない足取りから彼が何度も会津藩邸に訪れていることが伺えた。 大通りに面した店からは活気の良い声が聴こえる。 呉服屋、甘味屋、瀬戸物屋。 様々な店の前を過ぎ、近藤はふと脇道に入った。
「この道を抜けた先にあるのです」
心なしか嬉しそうに語る近藤の声は弾んでいる。 本当にそのお勧めの蕎麦屋とやらを気に入っているのだろう。 綾も微笑んだ。 小さなことで楽しそうな近藤の人柄が好ましく思えた。 今まで見てきた見栄っ張りなだけの武士とは違い、親近感が湧いた。
果たして抜けた先の通りに蕎麦屋があった。 昼時から外れた時刻だというのに、人の出入りが多い。 近藤だけでなく、沢山の人が店を贔屓にしているようだ。
藍色の暖簾を潜り、近藤は慣れた様子で店の奥座敷に座る。 店内には机と椅子の組み合わせもあったが、どちらも時刻故か余裕があった。
「あ、近藤さん」
パタパタと音を立てながら、店の向こうから年若い娘が近寄ってきた。 店の娘だろうか。 軽く前掛けで手を拭い、彼女は明るく笑う。
「遅いお昼ですか?」 「そんなところだ。少し立て込んでしまってね」 「それは大変でしたね。お疲れさまです」 「ああ、ありがとう」
娘は近藤が壬生浪士組の局長であると知っているようだった。 だから綾には意外に思えた。 京の人々は皆揃って江戸からきた浪人集団を煙たがっている。 それが自分の認識であったし、今まで外れていなかった。 が、目の前の娘は近藤と親しげだ。 驚く綾に関せず、娘は品書きを見やった。
「今日は何を?」 「そうだな、掛け蕎麦を。雪之丞殿は?」 「えっと、俺も近藤殿と同じ物を」 「解りました」
娘は頷くと、そのまま店の奥に駆けていった。
「ここのご主人は江戸の生まれで、旧知に当たるのです」 「へぇ」 「江戸風ですが味は保証します」
大らかに微笑んだ近藤に、綾も頷いた。 疑問が氷解した。 きっと娘も江戸の頃から近藤を知っているから、怖がったりしなかったのだろう。
「ところで雪之丞殿はお幾つですか」 「十八になります」 「にしては立派にされている」 「いえ、まだお恥ずかしい点ばかりです」
突然の褒め言葉に綾は思わず赤面した。 こんな風に人を正面切って褒める人間は珍しい。 だがすぐに綾は頭を切り替えた。 世辞であることが解らないほど子供ではなかった。
「近藤殿」 「なんですかな」 「毎日どのような仕事をされているのですか」
尋ねてみた後で、綾はしまったと思った。 照れ隠しのための咄嗟の言葉ではあったが、このような質問は失礼ではないかと思い直したからだ。 彼らが京の治安維持を任されているのは、会津藩士にとって常識である。 そして現在綾は“松平雪之丞”という藩士だ。壬生浪士組のことなど知っていることになる。 それなのにわざわざ尋ねることは、愚弄されたと捉えられても文句は言えない。 流石に気を悪くするのではないか。
しかし綾の心配を余所に、近藤は相変わらず人の良い笑みを浮かべている。
「大まかに言えば不逞浪士の取締りですな。あとは細々したものだと、食い逃げを捕まえたり」 「食い逃げを捕まえる?あなた方が?」 「窃盗を取り締まるのも、我らの重要な任務です」
目を丸くした綾に、近藤は強い口調で言った。 当たり前だという口振りだ。 壬生浪士組が窃盗を取り締まっている。 悪い噂しか聞かないので凶悪な印象を持っていたが、実情は案外地味らしい。 食い逃げの捕縛など、江戸では岡っ引きでさえやりたがらない。 だが目の前の近藤は誇らしげであった。 綾は余計面食らった。
「大変ではないですか」 「大変ですが、それが我らのお役目ですから」 「でも…」 「それに我らが職務をこなすことで京の人々が安心して暮らせるようになります。喜ばしいことです」
笑顔で言い放つと、近藤は先ほどの娘が運んできた蕎麦に手をつけた。 綾の胸うちで波が立つ。 近藤の言葉は全て彼の本心だと思った。
地味な仕事なのに報われず、京の人々の評判はすこぶる悪い。 というのに目の前の男は治安を守ることを誇らしげに話す。 お人好しという次元ではない。 綾は箸を片手にしつつ思った。
器が、違う。
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