act.1
江戸時代末期、俗に言う幕末時代にきて一ヶ月が経った。 頭の混乱も収まり、なんとかこちらで生きている。 あれから饅頭屋に居候して店のお手伝いをして、衣食住を提供してもらっている。 なんせ私の財布は全く役に立たないし、そもそも幕末で生きる術なんてない。 身の上の話になった時に行くあてがないと言うと、饅頭屋の皆さんは同情してくれた。 この時代、そういう娘は珍しくないのだろう。 哀れに想って下さって、饅頭屋で働かないかという提案をしてくれた。 藁にもすがる想いで、ここに住み込めば良いという、饅頭屋さんの提案を受け入れた。
饅頭屋さん、湯島饅頭は町通りの端にある。 この時代の菓子事情なんて解らないけど、けっこう人気のようだ。 値段も高くないらしくて、お茶請けに最適なものから来客用のものまで、らしい。 全部私の知識が“〜らしい”で情けないけど。
「いらっしゃいませ!」 「お、果穂ちゃん!今日も元気だねぇ」 「それだけが取り柄ですから。それで今日は何にしますか?」 「来客用の饅頭あるかい?明日お出しするものがなくてね」 「ああ、でしたらこの芋餡の饅頭なんか良いかも。ちょっと上品でしょ」 「確かに。じゃあそれを貰おうか」 「ありがとうございます」
初めの頃は慣れなかったけど、今ではようやく手慣れてきた。 常連のお客さんと世間話する余裕も出てきたし、私の名前を親しく呼んでくれる人も現れた。 現代では接客業系統のバイトをしていた。 だから基本はわきまえているし、どちらかといえば愛想は良い方だ。本当に助かったと心から思った。
「じゃあ、またな!」 「ありがとうございました!」
軽く手を振るお客さんに、私も笑顔で送り出す。 いつの間にか真後ろにいた饅頭屋の女将、八重さんが肩をたたいた。八重さんは私が助けたお饅頭屋の大女将であるおばあさんの息子さんの嫁だ。 ちなみに息子さんはお饅頭を作る職人さん。一家で饅頭屋を切り盛りしている。
「あのお客さん、果穂ちゃん狙いなんじゃないかなぁ」 「えっ、まさか」 「前から常連さんだったけど、果穂ちゃんがウチに来てから頻繁に来るようになったんだよ」
ニヤニヤと笑いながら、八重さんは私の頭を軽く撫でた。少し男気がある彼女は京都ではなく江戸の出身らしい。 さっぱりしたところは好きだが、こういうからかいはどうしていいのか解らなくて戸惑ってしまう。
「そんなことないと思いますけど…」 「いやいや。あの人だけでなく果穂ちゃんが働き始めてから、お客さんはぐっと増えたよ。看板娘がいると違うね」 「看板娘?」 「助かってるよ」
優しい微笑みを浮かべると、八重さんは品切れした饅頭を取りに裏へ回った。 頬が熱い。 八重さんを始め、饅頭屋の皆さんは優しい。 私にこうして居場所をくれる。 さりげなく励まして役に立ってるって言ってくれる。 最初に出会ったのが彼女たちで良かったと、私は毎日思っていた。
「果穂ちゃん!」
新しくやってきたお客さんが私に声を掛けるから、慌てて駆け寄った。
「あ、いらっしゃいませ!」 「娘にさ…」
今日も一日が始まった。
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