ただ、そばにいたいだけ | ナノ








act.7


本当は平助が何者だなんて知りたくなった。薄ら思うところがあったのは事実だ。だって江戸出身者で何をしているのか言えなくて、それで腕が立つだなんて。正直いって幕末ファンの私は少し考えればわかったと思う。けれど考えることを放棄したのは他でもなく、正体を知らずにいれば一緒にいられたからだ。京の人たちのように漠然と嫌って避けているのだったらどれほど良かっただろう。私の場合、もっと根深い。私は彼らの運命を知っている。いや、知っているなんてレベルじゃない。細部まで熟知している。


この人はいつ人生の岐路に立って、いつ死ぬだとか、そんなことを知っていて幸せな人なんているのだろうか。私にとってそれは不幸の証だ。例えばこの人は明日死ぬから優しくしようなんて、そういう割り切りが出来る訳がない。


平助が新選組だと知ったあの夜から、平助には会っていない。それどころか新八さんにも左之さんにも。みんな私のことを考えてくれたのだろう。あの夜の私があまりにもショックを受けていたから。ただ彼らはきっと私が京の一般の人たちのように漠然と新選組を嫌っていたせいだと思っている。本当は違うのだと知る由もない。そして否定する術も、必要もなかった。解っている。私はもう二度と平助と会ってはいけない。


平助がいなくなった日常は、ただ淡々と過ぎていった。毎日同じことの繰り返しだった。起きて饅頭づくりの手伝いをして、開店した後は店を回してお使いに行って、夜になれば八重さんのお手伝いをして、寝る。ある程度有名なお饅頭屋さんだから客足が途絶えることはあまりなくて、毎日忙しかった。それが有り難かった。ふと立ち止まった時に考えることがなくなった。認めたくなかった。私にとって平助が、想像していた以上に遙かに大事な人だったなんて、自覚したくなかった。


時折八重さんが何かを訊きたそうに私の方を見ているのは知っていた。きっと心配してくれている。そして、平助たちの足が止まったことに何か感じているのだろう。
けれど尋ねないでいてくれた。その優しさに感謝でいっぱいだった。今尋ねられても、私はまともな答えを言えない。


季節は悪戯に過ぎて行った。春が終わって桜が散って、すぐに初夏に入った。日に日に京の町は騒がしくなっていった。
八重さんが夏物の着物を出してくれた。可愛い浴衣を沢山広げながら、気に入ってくれると良いのだけど、と彼女は言った。


「果穂ちゃんは何色が好きなの?夏だし薄い菫色や浅縹なんか良いかと思うんだけど」
「八重さん、あの、」
「うん?あ、もしかして気に入らなかった?」
「そんなわけありません!どれも素敵で…。それより、こんなに沢山いいんですか」
「良いも何も、全部私のお下がりで申し訳ないくらいだよ」


八重さんは豪快に笑ったあと、浴衣を綺麗に並べた。色とりどりで涼やかで、どれも美しかった。きっと大事に取ってあったんだと思う。何年も着ていないというわりには手入れが行き届いていた。


「八重さん…あの…」
「ん?」
「ありがとうございます」


一瞬目を見開いたあと、八重さんは笑って頷いた。少し照れたように頬を赤くした彼女に、私も笑顔を零した。


「じゃあ私は戻るから、衣替えをしておきなさい」
「はい、ありがとうございました」


ひらひらと手を振って去っていった八重さんの背を見送って、それから着物や浴衣に目を移した。カラフルで涼しげな着物ばかりだった。
ふと窓から外を見遣ると風で新緑が揺れている。真っ青な空は夏の色だ。もう五月。トリップして約半年が経ってしまった。一向に元の時代に戻れる兆しはなくて、それどころか自分が日に日にこちらの人間になっているような気がしていた。


少し迷った末に萌黄色を基調とした着物を手に取った。あの人の目の色を彷彿とさせる色だった。明るくて優しい色合いの上に蝶が飛んでいる。
実際に着つけてみると、驚くほどサイズがちょうど良かった。爽やかでこれからの季節にぴったりな着物だった。


鏡の前に立って一周回ってみる。帯が歪んでいることも、着くずれしていることもない。いつの間にか私は自分一人で上手に着付けが出来るようになっていた。
簪は赤いトンボ玉の簪に換えた。髪を結いあげると気分が変わる気がした。


「この着物、かわいいな…」


幕末でも現代でも、新しい服を着た時のワクワク感は変わらない。誰かにみせたいと思ってしまう。そしてその誰か、の一番初めに浮かんだ人に胸がぎゅっと締め付けられた気がした。自分の心の底にある気持ちが痛い。


「外に出てみよう」


気持ちを振り払うために声に出す。なんて自分は弱いのだろう。自分で自分に失望してしまいそうだ。振り払わなければいけない。この感情が歓迎されるものではないことなんて、重々承知だ。


好き、だなんて簡単に言えない。そんなに簡単なものではないのだ。

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[bkm]