act.2
いつも通り饅頭を売っていると、八重さんが私の名前を呼んだ。 一体なんだろう。 首を傾げながら軒先に向かえば、そこには見たことのある人の姿。 壁に寄りかかる平助の横顔。
「果穂ちゃんを呼んでって言われたから」
八重さんが本当に知り合いなの?と尋ねるので、私は慌てて肯定する。 こちらの世界に来て私に知人がいないことは、八重さんが一番知っている。 この間の出来事を話せば心配させてしまうからあえて話さなかったのだけど、それが仇になっていたらしい。 後で訳を話します、と言い、僅かに好奇心を見せた八重さんの視線から逃れた。
平助は物珍しそうに店内を覗きこんでいたが、私の姿を認めると笑って手招きした。
「よっ!」 「どうしたの?」
気さくな様子を見せる平助に、私は首を傾げる。 助けて貰ったあの日から数日。平助と会うのは二度目だ。 お礼を言おうにも私の方は平助がどこに住んでいるのか知らないし、忙しい日常を送っている間に時間が過ぎてしまった。 だから会いに来てくれて驚いたけど、それ以上に嬉しい気持ちが広がる。
この間会った時と同じで、平助は派手な色合いではあるけど平服姿だ。 相変わらず長髪を高く一つに結っている。
「ちょっと時間出来たからさ、どうしてんのかなと思って」
そう言って平助は軽く笑った。 私は饅頭屋の人たち以外に話すような相手がいない。 だから久々の感覚に嬉しくなって、胸に温かいものが広がった。
「ありがとう。私はほら、いつも通り」 「そっか、なら良かった」
頷いて、平助は不意に目を泳がせる。
「ところでさ、少し抜けられねぇか?」 「え?」 「色々話したいなって」
小首を傾げ尋ねた彼に、私も頷く。 後ろを振り返れば、店はいつもと同じくらい繁盛している。 けれど八重さんは行っておいで、とジェスチャーしていた。
気持ちに甘え、少し休憩を貰おう。 平助と話してみたいって思った。 直ぐに戻ります、と言った後、私は前掛けを外すと彼に駆け寄る。 平助は頬を緩めて、それから街の喧騒に入った。
京の通りは賑やかで、沢山の人が行きかっている。 私は平助の真横について歩いた。 はぐれたりしたら大変だ。この間の例もあるのだから。 それは平助も気遣ってくれているのか、歩調を合わせてくれている。 何だかくすぐったく、けれど嬉しかった。
一ヶ月と少しこの時代で過ごしている。 ようやく幕末にも馴染んできたところだ。 でも、それでもやはり平成の時代が恋しい。 平成の、現代には私の家族がいる。友人もいる。私が生きてきた礎がある。 その全てが今はない。
こちらに飛ばされた時、最低限の物しか持っていなかった。 そしてそのほとんどが幕末では役に立たない。 携帯は当然通じないし、お金は使いものにならない。 現代の機器が幕末にあるのはきっと良くないから、私は自分に与えられた部屋の箪笥の中に、着物に包んで隠した。 何より自分のすぐ目の前に現代を彷彿とさせる物があるのは辛かった。 携帯電話が手元にあれば、直ぐに連絡出来る気がしてしまう。家族の、友人の声が聴ける気がしてしまう。 繋がらない携帯電話が手元にあるのは、恐ろしく足が竦んだ。
「果穂?」
突如黙り込んだ私に、平助は訝しげに話しかける。 慌てて、何でもないよと笑った。
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