ただ、そばにいたいだけ | ナノ











働きながら、必死にこの時代の慣習や地理を覚えた。
慣習は八重さんに教えてもらった。
私は長崎の貿易商の娘で、長らく異人と接して生活していたため、日本の常識が良く解らないということにしたのだ。
父母での貿易商は流行病で亡くし、仕方ないので親戚がいる京までやって来たが、その親戚も死んでいた。
元々着ていたのは異国の服で、私には平服なのだと教えた。


私の話を聞くと、八重さんやおばあさん、旦那さんは同情してくれた。
心苦しいけれど仕方ない。
未来からやってきた、なんて信じてもらえるわけがない。頭がおかしいと思われるのが関の山だ。
私には行くあても生きる術もない。放り出される訳にはいかないんだ。


八重さんは自分が若いころ着ていたという着物を着せてくれて、一つ一つ常識や物の遣り方を教えてくれている。
おばあさんや旦那さんは何かと気遣って可愛がってくれる。
子どもが生まれなかったから娘が出来たみたいで嬉しいと、喜んでくれた。
トリップは不運で未だに納得出来ないけど、唯一この人たちに巡り合えたのは幸運だったと思う。


「果穂ちゃん!」
「はい?」


店先を掃いて中に戻ると、ちょうどお客さんの応対を終えた八重さんがこちらに来た。
彼女はにこにこ親しみが持てる笑みを浮かべている。


「ちょっとお使いに行って欲しいんだけど…」
「お使い、ですか?」


私が首を傾げれば、そうだよと彼女は頷いた。
町の地理はいまいち解らないけど、周辺ぐらいだったらようやく把握出来た。
お使い先は近所の八百屋さん。私も八重さんと一緒に行ったことがある。
今お饅頭を蒸している最中で、私以外は手を離せないらしい。
道順は簡単だし、八百屋さんの奥さんはこの店の常連でもあるから顔見知りだ。
解りましたと私は快諾した。
前掛けを取ってお財布を手に、店の暖簾を潜って通りに出た。


九月半ばの昼間、町中は賑わっている。
この時代の京の町は物騒だ。
1867年の大政奉還まであと四年。
攘夷志士と佐幕派がせめぎ合い、連日のように斬りあいが行われている。


また自称攘夷志士の浪人も多く、その人たちは攘夷の名の下に事実上の恐喝なんかを繰り返しているのが現状だ。
若い娘は一人で町中を歩かないものだし、私も控えているけど今日は仕方ない。
八百屋さんはすぐそこだし、気を付けていれば大丈夫だろう。
通りを歩きながら、店を眺めて看板を確かめる。
全部左から右に書かれているというのにも慣れた。
この時代の文字は未だにきちんと読めないのだけど。


私は元々篤姫や和宮など、幕末の大奥が好きだった。
だから自然と幕末の時代背景は知っているし、今後の流れも解る。
絶対に未来から来たのだと、ばれてはいけないと思う。何に利用されるか解ったものではない。
特に人の生死に関するものは絶対に話してはいけない。


私の父方の親類は京都出身だ。なので私の御先祖が京のどこかにいると思う。
誰かを助けたり、逆に殺してしまったりしたらそれがきっかけで、私自身がいなくなってしまうこともあり得る。
存在しなければいけない人を消してしまったり、存在してはならない人を生み出したりする。
考えただけで恐ろしい。
私はそんなのを受け入れられるほど、強くなんかない。
ただこうして普通の生活を送っていれば、きっと大丈夫。
何の心配もないはずなんだ。


町行く人たちは確かに生きているのに、本当は出会うはずがなかった人ばかり。
そう考えるととてつもない孤独感に苛まれる。


私は、どうしてこんなところにいるのだろう。





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[bkm]