ただ、そばにいたいだけ | ナノ











「すみません、ありがとうございます」
「あ、いえいえ!元気になられて良かったです」


しっかりした口調の彼女はもう心配はないだろう。
突然倒れたから驚いたが、回復してくれて良かった。
少しは保健体育の授業で身に付けた、付け焼刃的な知識でも役に立つらしい。
案外あのようなものは真剣に聞くべきなのかも知れない。


「あの、」
「はい?」
「あなたは蘭方医か何かですか?」


は?


言われた意味が解らず私は眉を寄せる。
目の前の女性は冗談を言っている様子はない。真剣だ。
彼女は私の服装を物珍しそうに眺めている。そんなにおかしな恰好だろうか。
街中へ出るわけではないから洒落てはいないが、普段大学に行くときと変わらない服装だ。
薄桃色のTシャツにブラウンのカジュアルベスト、小花柄のミニスカート。
特別変わっているようには思えない。


それに私が戸惑っているのは、彼女の口から出た言葉だった。
蘭方医。その単語を確かに知っている。
しかしそれは知識として知っているだけだ。
医者や看護師ではなく蘭方医。祖父母からも聞いたことのない、遠い昔の医師を指す言葉。
どうしてわざわざ解り辛い表現を?
何かがおかしい。


「いいえ、私はただの通りすがりですよ」
「そうなのですか…。でも助かりました。ありがとうございます」


訝しがりつつも、彼女は再度のお礼を言ってくれた。
ちょっと介抱しただけなのに、そこまで感謝されると照れる。
私は首を左右に振って、別にいいんですよと言った。


「大したことはしていませんから」
「いえ、あなたがいなければ私はどうなっていたことか…。そうだ、時間はありますか?」
「時間?」
「はい」


ただの散歩に出ただけだから、時間ならばいくらでもある。
なんとなく彼女の目的は察したが、深読みするのも失礼なので素直に頷いた。
すると彼女は嬉しそうに笑う。


「良かった!ならばお礼に私の店にいらっしゃいませんか。通りで饅頭を売っております」
「お饅頭やさん…、ですか?」
「ええ。湯島という饅頭やです」


湯島饅頭。
はて、と首を傾げた。
この辺りは幼い頃から散策しているから詳しいつもりだったけど、聞いたことのない店だ。そんなお饅頭やさんなんてあったっけ。
記憶を手繰るが思い当たらない。
でも私は詳しいといっても、この土地の人間ではない。知らない店もあるだろう。
そう結論付けて、私も笑った。


「魅力的なお話ではありますが、本当にお構いなく」
「いえいえ!そうはいきません。助けてもらってお礼も言わずに帰したとなれば、礼儀知らずの恥知らずです。ここは私の顔を立てると思って」
「はあ」


あまりの剣幕に気圧される。
好意でお礼をと言われているので、断りすぎるのは逆に失礼だ。
親戚の近所の人だったら気まずいことになりそうだし。
そう思って、私は了承した。


「解りました。ではお言葉に甘えて」
「良かった」


彼女は微笑みながら、こちらですと歩き始めた。
慌てて私はその隣に並んだ。


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[bkm]