ただ、そばにいたいだけ | ナノ










店の中に入って注文をして、餡蜜が目の前に運ばれてきても私たちは無言だった。何を話せば良いのかわからなかった。この目の前の人が“原田左之助”だとわかっているけれど実感はなかった。私は彼が話していない生い立ちも生き様も、そして本人すら知り得ない未来の末路も知っている。何を話しても言ってはいけないことを口にしてしまいそうで恐ろしかった。


長い沈黙を破ったのは左之さんだった。溜息をついて、それから彼は私を見据えた。


「俺たちが怖いか」


真っ直ぐな中にも少しだけ寂しさを滲ませて彼は尋ねた。私は反射的に首を振る。やってしまってから怖いと言えば良かったのかもしれないと思った。その方が後々の説明がしやすいだろう。
でも同時に辛い時に優しく励ましてくれたこの目の前の人に嘘をつきたくなかった。傷つけるようなことを言えなかった。


左之さんは言葉の真偽を問うようにじっと見ている。黄色の瞳が私に向けられてた。


「果穂」


色気のある、艶のある声が私を呼ぶ。肩を震わせて私も彼を見る。目があった瞬間、捕われたような気がした。目を逸らすことができない。言い逃れも許されないような気持ちになった。
左之さんは表情を変えないまま、形の整った唇を動かす。


「質問を変える。 …俺たちが、嫌いか」
「そんなわけ…!」
「じゃあなぜ避ける?」


言葉に詰まった。ストレートに尋ねられると何も言えなくなってしまう。まさか未来から来て、あなたたちの行く末を知っているからなんて言えるわけがない。もし言ったとしても頭のおかしい人だ。信じてもらおうなんて、そんなの期待する方がどうかしている。


沈黙が肌を刺した。痛くて痛くて居た堪れなかった。何も言えない自分が不甲斐ない。
でもどんな理由にしろ避けている私が悪いのもわかっている。だからこそ分が悪くて余計に言えない。


「…果穂」


どれほど時間が経っただろう。左之 さんが私の名前を呼ぶ。先ほどまでとは違って柔らかくて優しい声音だった。ハッとして顔を上げると彼は困ったように笑っていた。


「お前に避けられると流石の俺たちも辛い。勘弁してくれねぇか」
「左之さん…」
「俺も新八も、お前のこと妹のように思ってんだ。お前にとっては迷惑かもしれねぇが許してくれねぇか」
「迷惑だなんて、そんな…!」


あんなに優しくしてもらって親切にしてもらって、可愛がってもらって迷惑だなんて思うわけがないのに。言葉に出来ないまま、心の中で叫んだ。迷惑だなんて思うわけないじゃないですか。


左之さんは口元の笑みを深めると、不意に手を伸ばす。 私の頭をゆっくりと撫でた。


「俺たちが嫌われているのは解る。自分たちがやっていることを解らねぇほど馬鹿じゃねぇ。でも、それでもお前のことが好きなんだよ」
「左之、さ、」
「なぁ、果穂。羽織を着ていない時の俺たちとは、今まで通りただの通りすがりの浪士として付き合ってくれねぇか」


都合がよいのは解っている。そう左之さんは言った。違うんですとは言えなかった。違うんです、私はあなたたちをそういう理由で避けているのではないのですと。
言うべきだったのかもしれない。頭がおかしいと思われても何でも。けれど私の喉は役立たずで、何も言葉に出来なかった。


そんな私 を左之さんは優しく見つめている。まるで本当の兄のように、慈しむように柔らかな目をして。


「勝手ばかり言って困らせてごめんな」
「い、いいえ!」


勝手だというなら私の方だろう。誰だってそれまで親しくしていた人に避けられて平気な訳がないのだから。そしてこの期に及んで訳を話す素振りすらない私に苛立っても仕方ないというのに、追及しないでいてくれる左之さんはどれほど優しいのだろう。どれほど私が救われているのか知らないだろう。
なのにはっきり言えない。大丈夫です、今まで通りにしてくださいって言えない。私には勇気がない。彼らと今までどおり出来る自信も、それが許されるかどうかも何もわからない。


すっ、と目を細めると、左之さんは目の前の湯呑を掴んだ。お茶はもう冷えてしまっている。長い間、給仕されたものに手つかずだった。


「そういえば、さっきの男はお前の“良い人”か?」
「さっきの…?」
「茶屋で見送っていた男だ」


なんのことだろうと一瞬考えて、ようやく思い出した。庄吉さんのことだった。傍から見れば逢引きにでも見えるのだろうか。実際は絶対にありえないというのに。
苦笑いを零して、そんなのではありませんと言った。じっと私を見ていた左之さんも微笑んだ。


「そっか、そりゃ良かった」
「良かった?」
「もしそ うだったら平助が卒倒しそうだと思ってな」


それってどういう。言葉が喉の上部にまで上がったけど、慌てて飲みこんだ。そんなこと訊ける立場ではなかった。けれど目を見開いた私を見て、鋭い左之さんは察したらしくて、落とすように静かに笑んだ。


「お前も平助が好きなんだろ、果穂」


なぜか否定できなかった。本当は否定しなければならないというのに何も言えず、ただ視線を逸らして俯くだけで精一杯だった。
餡蜜はとても美味しそうなのに食欲が沸かなかった。喉の奥で何かがつっかえていた。


「果穂、それ、下ろしたての着物か?」
「…え?あ、はい」
「良く似合ってる」


突然の褒め言葉に反射的に顔を上げる。左之さんは柔らかく笑んで、それから髪を掻きあげた。


「気持ちの整理がついたら平助にも見せてやれよ」


はいとは言えなかった。でも息を飲んで否定も出来なかった私に、左之さんは頷いてみせる。
きっとどんな決断をしても、この人たちを嫌えない。心が確かにそう告げていた。



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