近くのお茶屋さんの軒先で並んで座った。庄吉さんは本当に時間がないのだろう。団子に軽く口をつけたあと、お茶を啜るだけだった。この店で奢るくらいのお金なら持っている。お小遣いだと言って、八重さんはいつも私に少しだけお金を持たせている。本当なら居候させてもらうだけでありがたいから必要ないのだけれど、何かの時に持ってないと不便だというのだ。それが本日は役に立った。八重さんには感謝しないといけない。
「果穂さんって律儀ですね」
庄吉さんは目を細めて言った。その目を見つめながら、この人はどこか怪しんでいるのだろうと思った。当たり前だ。櫛を拾っても らったくらいでお茶でもなんて、安いナンパみたいだ。そう思うとなんだか恥ずかしくなるけれど、だからといってやめられなかった。どうしても話がしたかった。
「本当に大事な櫛だったんです。だから、その、」 「まぁ女性にそう言ってもらえると悪い気はしませんが」
口籠った私の言葉に、庄吉さんはそっと言葉を被せた。私に他意はないと判断したのだろう。彼はようやく穏やかに笑った。
「ところで果穂さんは湯島饅頭のお嬢さんなんですか?」 「あ、いえ。私はご好意で住み込みで働いているんです」 「そうなんですか、しっくりきました」 「え?」 「いや、湯島さんは 私も丁稚の頃よくお使いに行きましたが、お嬢さんがいたようには聞いてなかったので。確か奥さんはお八重さんでは?」 「はい」 「快活で明るくて気持ちの良い女性ですよね。若い頃はよくお世話になりました。よろしくお伝えください」
商人だからだろうか、庄吉さんの言葉は柔らかくてあたりさわりがなかった。父よりも上手にふるまう人だろう。でも話し方のテンポとか、ふとした時の表情なんかは父に似ていて、何だか安心する。同じ血が流れているというだけでこうも違うのかというほどに。 もちろん庄吉さんは見かけでも私より少し年上というだけだろう。あえて見当つけるなら左之さんくらいか、それよりも上か。だから父と比べると随分若いのだけれど、とても落ち着いているから余計父を連想させてしまうのかもしれなかった。
呼び止めたはいいけれど、何を尋ねていいのかわからなかった。そもそも自分がどうしたくて引き留めたのかもわからない。ただこの人と話したかった。本当にそれだけだった。
「なんだか不思議ですね」
沈黙を破ったのは庄吉さんだった。彼は穏やかに微笑んだあと、視線を空に移した。真っ青に晴れた空に白い雲が浮かんでいる。空ばかりは現代だろうが幕末だろうが、何も変わらなかった。
「あなたと出会ったのは初めてのはずなのに、不思議と初めてだという気がしません」 「…え?」 「話していて、なんというか、しっくりくるというか」
驚いた私にもう一度彼は不思議ですねと言った。心臓を鷲掴みにされたみたいだった。泣きたくなる衝動を抑え込むので精一杯だった。
「庄吉さん」 「はい」 「また、いつかゆっくりお会いできませんか」
もう会わないのが正解なのに、気が付いたら尋ねてしまっていた。この過去の、幕末という世界で見つけた唯一の肉親。血のつながった私の遠い先祖。しかも父に似ているその人と話すのがこんなにも嬉しいだなんて。私は思ったより精神的にやられているのかもしれなかった。安寧を求めているのかもしれなかった。
庄吉さんは私の問いかけを予想していたのか、特に驚くこともなく頷いてくれた。
「祇園社のすぐ近くに店があります。手代の庄吉といってもらえればわかりますので」
その優しい笑みに泣きたくなった。父に会いたい。気持ちをぐっと堪えて笑って頷いた。
「私も湯島饅頭屋の果穂といえばわかります。大抵店におります」 「わかりました」
さてそろそろと庄吉さんは立ち上がった。お代を払おうとしたら遮られて逆に奢られてしまう。焦る私に彼は微笑んで、静かに制する。
「奢るのはこの次に」
そう言ってひらひら と手を振る庄吉さんの後姿を見送った。その背はやはり父に似ている。よく似た背だった。 風が吹いて頬を撫でる。髪を弄ぶような少し荒い風だった。砂埃に目を閉じて、少しだけ擦った。道が舗装されているわけではないから、風が吹くと少し辛い。 帰ろうと思って振り返って、私は硬直した。目の前には困った顔をした左之さんがいた。いつものように私服だったから、きっとプライベートなのだろう。
「よう、果穂」
どういう顔をしていいのかわからないでただ立ち尽くす私に、左之さんが静かに声をかける。それはいつも通りに。だけどこの人はもう私が”平助の仲間でお兄さんのような左之さん”だけではなく、“新選組十番組組長原田左之助”ということを知っていると気づいているはずだ。 そして私がそれからというもの避けてしまっていることも。
「久しぶりだな。元気そうで何よりだ」 「左之さん…、あ、あの、」 「悪いがちょっと付き合ってくれ。あんみつでも奢るから」
それは有無をも言わせぬ口調だった。浮かされたように私はただ頷くしかできなかった。それだけ左之さんの瞳は真っ直ぐで、こんなにも射抜くような目をした彼を見るのは初めてだった。
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