店を出てからも平助と話し続けた。他愛もない話だった。 左之助さんがモテる話、新八さんの少し間抜けな失敗、街の噂話。実はないけれど面白かった。平助の傍にいると楽しい。息が出来るような気がする。
もちろん饅頭屋の皆は親切だ。私を実の娘のように可愛がってくれる。 だけど平助はそれ以上に私に安らぎをくれた。元の時代へ帰れないという焦りを忘れさせてくれた。 楽しくて笑っていて、そんな自分に驚いてしまう。別に普段から笑わない訳ではないけど、でも平助と一緒にいれば私は笑い上戸だった。
「そんでさぁ、新八っつあんったらひでぇの。黙ってればいいのにさぁ、」 「新八さんは嘘つけないもんね」 「ああ」
目を細めた平助は優しい表情をしていた。 新八さんと左之助さんはたまに店に来てくれる。平助が一緒の時もあるし、そうではない時もある。二人はいつの間にかこちらの世界でのお兄さん的存在になりつつあった。 平助が温かい人だから、周りにもそうした人が集まるのだろうか。そんなこと考えると、ますます平助が眩しかった。
道行く人の衣は少しずつ厚手になりつつある。最近では起きぬけは肌寒い。火鉢に当たりたいだとか思うほどではないにしろ、夏のように薄着でいるのは厳しかった。 こうして季節が移ろいゆくのかなと密かに思う。現代で生きていた頃は、そこまで季節を身近に感じることはなかった。冷暖房があるし室内にいればそんなに明確に感じられない。 新鮮だけど寂しくなる。私はこうした移ろいを知らない、あくまで違う時代の人間なのだから。
「果穂?」
ふと平助が私を呼び掛ける。不思議そうな顔をしてこちらを見つめていた。 いけない。思考に囚われていつの間にか私は黙っていた。 なんでもないよ、と首を振る。平助に心配をかけたくなかった。こればかりはどんなに不安に思っていてもどうしようもないことなのだから。
「あのさ、果穂。その、」
何か平助が言おうとしたけど、私はふっと視線を逸らした。前方からガラガラと大きな音が近づいてきたからだ。平助もすぐに気づいて目を丸くする。 米俵を大量に積んだ荷車が迫っていた。
ぐっと肩を引かれる。平助の腕が私を引き寄せた。すれすれのところを荷車が通り過ぎていってどこかの店の軒先に衝突して止まった。 どうやら荷車が勝手に発進してしまって暴走していたようだ。
「あっぶねぇなぁ。ぶつかったらどうすんだよ」
平助の声が頭上から降ってきた。すぐ上に彼の顔があった。心臓が痛いほど速まっていく。私を引き寄せた手は大きくて逞しい。肩に回された手は予想以上に男性の手だった。 男性にしては背が低いと思っていたけど、こうして間近にすれば平助は私よりも高い。陽だまりのような平助の匂いがして身体を強張らせる。抱き寄せられたみたいで、ドキドキしてしまった。
「ったく。大丈夫か?」
平助の顔が私に向けられる。大きな瞳に、顔を真っ赤にした私が映り込んだ。 瞬間平助の手に力が籠った。みるみるうちに平助も顔を朱色に染めていく。 黙ったままお互い数秒見つめ合った。
「わ、悪い!」
パッと手を離し、平助は一歩仰け反った。やっぱり助けた時に無意識に引き寄せてくれたらしい。私は首を左右に振る。心臓がうるさい。鼓動が平助にも聴こえてしまうのではないかと思ってしまうくらい、早鐘を奏でていた。
「け、けがとかしなかったか?」 「大丈夫だよ。平助は?」 「俺は平気」
お互いの顔を見ることが出来ずに早口で会話する。傍から見ればなんて奇妙な光景なんだろう。そう思ったら可笑しくなって、思わず噴き出した。
「え?果穂?」 「ううん、ごめん」
なんでもないよ、と微笑んだ。 たまに男前かと思うと素直な反応をする人だ。こういうギャップが人をドキドキさせるって、当の本人は解っていないんだろう。 不思議そうな顔をした平助だったけど、最後は釣られたように彼自身も笑った。
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