ただ、そばにいたいだけ | ナノ










その後も凄く楽しかった。
三人の会話は何の変哲もない、いわばくだらないって言われちゃうような話だったのに、全てが面白くて、私は笑いっぱなしだった。
トリップしてからもちろん笑わなかった訳ではないけど、それでもこんなにずっと笑い続けたのは久しぶりだった。
笑っている間は現代のことなんて、すっかり忘れてしまっていた。


名残惜しいけど三人とも忙しくて、それに私も店の手伝いをしなくちゃいけないから、お別れすることになった。
座敷から降りて店の表側に出た瞬間、あっと平助が声を上げる。
平助は慌てて振り返り、私を見据えた。


「俺、今日土産買って帰るって言ったんだった!今のお勧めって何?」
「え?今?うーん、芋餡の饅頭かな。ほら、さっき食べた」
「あ、あれな!うん、うまかった!じゃ、あれをいくつか包んでくれ」


平助は僅かに思案するよう首を傾げると、二人前ほど欲しいと言った。
予算を聞いて、二人分に十分なほどの芋餡の饅頭を竹皮に包む。
お金を受け取って、代わりに饅頭を渡すと、平助は嬉しそうに笑った。


「これ食ったらアイツも元気になるよな」
「…あいつ?」


聞き慣れない名前が挙がったから、思わず口の中で繰り返した。
ドクン、と心臓が飛び跳ねて、鼓動が速くなる。
手先が震えた。


アイツって、誰だろう。
身体の先端の、足先の体温が急激に失われていった。
あいつ。女の人、なのかな。
今まで考えたことなかった。平助の口から、女の人の名前が出るなんて。


そう思った瞬間、心の中に嫌だって想いが浮かんできた。
ぐるぐる黒いものが生まれて、身体中を巡っていく。
どうしてだろう。嫌だった。
平助が芋餡の饅頭を受け取って嬉しそうにする女の子を想像して、幸せそうに笑っているのが、嫌だった。


と、その時頭にポン、と大きな手のひらが載った。
びっくりして顔を上げれば、左之助さんが優しく微笑んでいた。


「アイツってのは小姓だよ」
「小姓?」
「俺たちの…、上司に当たる人の小姓。平助と同じくらい」


声を潜めて告げられたのは、全てを見通したうえでの言葉だった。
自分の醜い感情を見破られていたのだと思うと、途端に恥ずかしくなった。
だけど同時に安心する気持ちになる。
小姓だってことは男の子なのかな。
女の子の小姓なんて聞いたことが無いし。


多分面倒見の良い平助は、同い年の小姓のことを気にかけて、饅頭を買ったんだ。
そこまで思って、何だか恥ずかしさが募った。
勝手に想像して勝手に嫌な気持ちになるなんて、私ってなんて馬鹿なんだろう。
顔から火が噴き出しそうだ。


「なぁ、果穂」
「はい?」


悶々と考え込んだ私に、左之助さんは笑みを落とす。
彼は一瞬だけ平助と新八さんに目を向け、それから再び私を真っすぐ見つめた。


「平助には女はいねぇ」
「…え?」
「だから、頑張れ」


何を、と問い返すまでもなかった。
頑張れって、だから頑張れって。
それじゃまるで、私が平助のことを好きみたいだ。


確かに平助は親切で優しくって面白くて、一緒にいると楽しいけれど、そんな。
否定の言葉をたくさん浮かべる。
でも、それは全て不完全だった。


すとん、と胸に落ちた事実がある。予感がある。
まさか、そんな。
私は平助のことが、好きなのだろうか。
だから嫉妬したってこと?そんな、だって。


驚愕した私の頭を軽く撫で、左之助さんは二人に帰るぞ、と呼びかける。
何かを言い合っていた平助と新八さんは、ようやく私に目を向けた。


「そんじゃ果穂、またな!」
「う、うん」


笑顔で手を振る平助を、ぼんやりと見送る。
心臓が相変わらずうるさい。体中が火照って仕方ない。
まるで、これでは左之助さんの言葉が正しいみたいだ。


だけど、許されるのだろうか。ううん、許される訳がない。
平助は幕末の人。対して私は、平成の人間。恋なんて、そんなもの。


唇を軽く噛んだ後、意気揚々と去っていく平助の背に予感を抱く。
それでも私はきっと、引きずられてしまうのではないだろうか。
それは不確定ながらも、説得力のある予感だった。


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