外に出ると見事なまでに晴れ渡った空が広がっていた。 京の町にはたくさんの人が行きかっている。 平助は何度も私とはぐれないように確認しながら、こっちだと指した。
人の波を縫うように歩き、裏通りを抜けて小道に出る。 徐々に波は引いていき、河原に出ると人影はほとんど見えなかった。 他愛もない世間話をしながら、砂利の上を歩いた。
大きな橋の下に差し掛かると、平助がおもむろに腰掛けるので私も倣った。 潜りぬけていく風が気持ち良い。 少しだけ汗ばんだ身体を冷やしてくれた。
「なぁ、果穂」
話がひと段落したところで、平助は私の名を呼ぶ。 その声に躊躇いの色を見つけ、私も同じように緊張した。 平助の表情からは笑みが消える。 真っすぐ見つめる大きな瞳が、私を捉えていた。
「あのさ、」 「なに?」 「その…」
ふっ、と一瞬視線を逸らし、それから平助は再び私を見る。 困ったような悲しそうな目だった。
「何か、辛いことあった?」
それは胸の奥に潜めていた疑問を、取り出したようだった。 上手く誤魔化していたつもりなのに、誤魔化し切れていなかったらしい。 息を止め、平助から目を逸らさずにいた。 いや、逸らせなかった。
辛いことなんて、贅沢な悩みだ。 優しい饅頭屋の人たちに拾われて、お客さん達に可愛がられて。 この時代、餓死する人なんて珍しくないのに、運よく食いつないでいる。 右も左も解らない私が生きているのは、感謝すべきことだろう。 解っている。それは重々承知だ。
けれど不意に思い出すのだ。 自分はこの時代の人間ではないのだと、この時代は自分がいるべきところじゃないのだと。 部外者なのだと、思ってしまう。 周りの人は皆優しいのに、他人なんだと感じてしまう。 家族や友人はここにはいないのだと、思い出してしまう。
喉のすぐそこまで出てきた弱音を呑みこんだ。 こんなこと、話すのは凄く贅沢なんだ。 私が生きていた平成時代とは、訳が違う。 無事に生きていることを感謝すべき時代、それが江戸幕末。
「何でも、ないよ」 「果穂、」 「大丈夫」
一生懸命、笑った。 なのに平助は痛ましいものを見るように、眉を顰めた。
ああ、そっか、笑えてないのか。 実感すると何だか空しくなって、笑みは硬直する。 俯いた視界に砂利が映る。 石と石の隙間から小花が顔を出していた。 いつもだったら微笑ましく思うのに、今は痛い。 場違い、だ。
「果穂」
平助の声が優しいから、余計辛い。 ぐっと手のひらを握り締める。 爪の先が白く変色していた。
平助は不意に身を乗り出し、私の手を包み込む。 骨ばった手だけどどこか優しく感じるのは、守るように覆われているからだろう。 そんなことを考えると、胸がいっぱいになった。
「俺でよければ、話してみない?」 「平助…」 「その、なんていうかさ、お前が辛そうにしてるの嫌だなって、思って」
途切れ途切れではっきりしないけど、だからこそ平助の言葉は響いた。 心配、してくれているんだ。 目の奥が熱くなる。 一気に想いが溢れて、視界が曇った。
ぽつり、と涙が平助の手の上に落ちる。 嫌そうな顔をせずに、ただ心配そうな眼差しのまま、平助は私を見つめていた。
「つら、い」
口走ってしまったのは、無意識だった。 懇々と湧き出る泉のように、感情が溢れだす。 もう、自分では止められなかった。
「つらいん、だ」
泣くのはみっともないとか、こんなことで愚痴を言うなんて贅沢なんだとか、それは解っている。 だけど、止まらなかった。
「つらい」 「…何が、辛いんだ?」 「私は、ここに、いるべきではないから」
私は、本当の私の居場所は、
「私はここに、いてはダメだから」
居場所がない。 私には、この時代にいる権利はない。 今まで生きていて、そんなこと考えたことはなかった。 だからこそ衝撃は大きい。
居場所が、ない。 ならば私はどうすれば良いのだろう。 それが解らなくて、途方に暮れている。
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