平助が連れてきてくれたのは、市中にある甘味処だった。 私が住んでいる辺りから少し離れているから、初めて訪れた。 本当に時代劇の中みたい。 まるで他人事のように思ってしまうのは、半分現実逃避だ。 私はまだ、心の底では幕末にいるということを認めたくない。
「何がいい?俺、餡蜜にしようと思うんだけど」
お品書きを見ながら弾んだ声を出す平助に、私は我に返る。 釣られてお品書きを見たけど、やはり所々読めない文字がある。 饅頭屋で使うような文字は流石に覚えたとはいえ、初めての場所では知らない文字も多い。 かろうじていくつか見てとれた。
「私も餡蜜で」
怪しまれないように、と少し気遣った為か声が震えたけど、平助は気付かなかったみたいだ。 店員のお姉さんに二人分の注文を告げ、彼は微笑んだ。
「ここ、知り合いが勧めてさ。果穂は来たことあった?」 「ううん、初めてだよ」 「じゃあお互い初だな」
平助は明るく笑った。
「果穂って、京の人間?」
尋ねられて、肩が震える。 普通の会話の流れで何も可笑しいことはないのに、自分の心にやましい気持ちがあるためか必要以上に反応してしまった。 平助の顔が、見れない。 だから代わりに仮面を被った。 笑顔という、仮面を。
「ううん、肥前の国」 「肥前?というと、ええ?長崎とか?」 「そうそう。私は長崎の出身」 「ふぅん」
予想以上に驚いた平助から、静かに目を逸らした。 実際は長崎の出身ではない。だから深く追及されても、教科書程度の知識しかない。 平助が長崎の人でないことを祈るばかりだ。 胸の前で固く結んだ手を、ぎゅっともう一度握る。 心臓の音はうるさいけれど、私は笑顔でい続けた。
「それで、平助は?」 「あ?」 「あ、京の訛りがないから、違うところの出身かなと」
上手く逸らそうと、しどろもどろになってしまった。 それでも何とか成功したようで、訝しげな表情を浮かべていた平助は表情を崩しあっさり頷く。
「俺は江戸」 「江戸?」 「長崎なら行ったことねぇよな」 「そう、だね。行ってみたいんだけどね」
会話をするにも一苦労だ。 私は東京には何度も行ったことがある。 けれど、平助が言っているのは、あくまで江戸だ。 廃藩置県が起こる前の、私が生まれるずっと前の町。
急に胸に鉛が落ちたようになる。 ここには私の知る町は無い。
「あ、きた!」
平助の声に、いつの間にか俯いていた顔を上げる。 目の前に餡蜜が運ばれていた。 食おうぜ、と笑う平助があまりに嬉しそうだから、私も釣られて笑ってしまう。 箸を握って軽く手を合わせた時には、平助は既に餡蜜を掻き込んでいた。
[←] [→] [bkm]
|