薄桜鬼 | ナノ




草の濃い匂いがする。川沿いの芝生の上に腰を下ろすようそうちゃんは促した。幾日か続いた晴れ間のお陰で芝は乾いていた。またこんなところに腰かけて母上様に叱られてしまうだろうかと思ったが、これならば泥もつかないだろう。自然な動作で腰から刀を鞘ごと抜いたそうちゃんの横顔を見つめる。会わない間に、少し大人っぽくなった。


竹の包みを差し出すと、そうちゃんは顔を顰めながら受け取った。その指先で包みを解けば不格好なお握りが二つ顔を出す。母上様に内緒で私が握ったものだ。まだ力加減が解らなくて上手く握れない。この間は力を入れ過ぎてぐちゃぐちゃにしてしまったからと今日は緩めにしたら失敗した。今にも崩れ落ちそうだ。


「なにこれ。随分個性的だね」


案の定、受け取ったそうちゃんもそう評した。いいでしょう、と言いながら私は少し後悔する。余計なおせっかいだったのだろうか。
だけどそうちゃんは迷うそぶりを見せず、お握りを手に取ると大口を開けた。ぽろぽろ零れる米粒が彼の長い指に纏わりつく。行儀悪く指まで舐めて、彼は二つのお握りを平らげてしまった。


「咲、少し味が薄い」
「えっ、」
「でもおいしかった。ありがとう」


戸惑った私にそうちゃんは目を細めて笑ってみせた。満面の笑みというより、少し悪戯っぽい笑い方だ。そうちゃんはよく笑うようになった。純粋に心からではなくても笑みを浮かべるようになった。変わったのだと思う。悔しいけれどそうちゃんは随分変わった。もちろん良い方に変わったのだ。近藤さんと、試衛館の人たちと出会ってから。


そうちゃんは九つの時に試衛館に内弟子に出された。元々才能があったのか、あっという間に頭角を現して、今では道場を代表する剣客だ。師範代になったと嬉しそうに笑う彼を複雑な思いで見つめたのはそう遠くないことだ。
試衛館道場は私やそうちゃんの実家から少し離れた場所にある。だからそうちゃんが内弟子になってからあまり会えなくなった。頻繁に家を抜ける訳にはいかない。母上様はあまり良い顔をしないし。何とか都合をつけては会いに行ったお陰で試衛館の人とも顔見知りになってけれど、そうちゃんとの距離は開いてしまった。


試衛館の主の近藤さんはとても良い人だ。お兄さんのような温かい人で余所者の私にも優しい。そうちゃんには尚更だ。そうちゃんがぐんぐん剣の腕前を上げた一つに、近藤さんのことがある。ある時からいつか近藤さんの役に立ちたいのだと口にするようになった。良い影響だ。どこか諦めているところがあるそうちゃんに目標が出来るのはとても良いことだった。だけど私は複雑だった。そうちゃんが遠くに行ってしまった気がした。
刀を握るそうちゃんは私の知らないそうちゃんだ。徐々に私たちの距離が開いていく。それが怖くて何かと会いに来てしまう。


「もうすぐ桜が咲くのかな」


目を細めてそうちゃんは遠くを見ていた。
川の向こう側には枝垂れ桜が植えられている。春になれば花見に人が訪れる場所だ。私たちも毎年お花見をするのが恒例だった。
先日庭の梅が咲いたから、きっと桜ももうすぐだろう。そうしたら私たちの大好きなお花見が出来る。色々なものが変わりゆく中でお花見をするという習慣だけは変わらない。


「去年も楽しかったね、お花見」
「そうだね。あの人たちがいると賑やかだからなぁ」


昨年の花見は試衛館の人たちに混ぜてもらった。みんなとても気の良い人たちだ。近藤さんの奥方様のお手伝いをして、私も弁当を作った。お握りはどうしても上手に結べなくて奥方様に手伝ってもらったっけ。賑やかでとても楽しかった。あんなに笑ったのは久しぶりだった。


「また今年もお花見したいなぁ」


私が呟くと、そうちゃんは生返事をした。心なしか彼の表情は暗かった。何か拙いことを言っただろうか。そうは思うけれど特に何か言ったような覚えはない。そうちゃんとは幼い頃からの付き合いだから、自然と互いに扱いは熟知している。言っていいことと悪いことの区別くらいついている。伊達に長くはないのだ。


珍しく思いつめたような顔をして、やがてそうちゃんは顔を上げる。相変わらず視線を合わせない。こんな時の彼はそう、あまり良くない。場の雰囲気を変えたくなったけれど、同時にこういう時の彼が勇気を振り絞っていることを知っているから微動だに出来なかった。


「京に行くんだ」


癖のある声が風に乗って流れていく。直ぐには意味を理解出来ず、私はただそうちゃんを穴が開くほど見つめていた。


「京、って?」


自分の声が掠れていた。京、って。繰り返した私をそうちゃんはようやく見つめた。翡翠色の瞳が悲しみを浮かべていた。けれど真っ直ぐだった。真っ直ぐで純粋だった。


「上洛するんだ。近藤さんたちと一緒に上洛する。上洛して何をするのか知らないけれど、僕も行く」
「なんで…」
「近藤さんの傍にいたいんだよ。あの人のお役に立ちたい」


引き留めようだなんて思えないほど、彼の眼差しは定まっていた。もう決めたのだろう。私がここで何を言っても引き下がる気はないのだ。そして誰にも止められない。そんなことで曲げられはしないのだ。
何を言えば良いのか解らずに、私はそうちゃんを見つめ続けた。遠い、と思った。何かを見定めた彼の瞳が遠かった。彼の未来に私はいないのだろうか。胸は痛くて苦しいのに、何一つ言えなかった。




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -