「それって、迷惑じゃないの?」
寝転がって煎餅を食べながら話を聞いていた総司は、気だるそうにそう言った。 聴いているのかいないのか解らないな、なんて思いつつ話していた私は、唐突な言葉に思考を止める。問い返した私に、総司はようやく顔を向けた。
「だから、迷惑じゃないのかなって」 「迷惑、って?」
瞬きを繰り返した私を見て、総司は顔を顰める。昔から感情をあまり隠さない人だ。 身体を起こして彼は欠伸をすると、呆れたように息を吐いた。
「咲さ、剣客の端くれなら疑問に思わなかったの?普通、剣術の稽古している時に他人が傍にいると集中出来ないと思うんだけど」 「え……」 「しかも一くんが個人的にしている稽古なんでしょ。僕だったら嫌だね。絶対見せたくない」
やけに自信が籠った声音で総司は言った。今まで気づかなかったことに茫然としてしまう。云われてみればそうだ。朝の稽古は斎藤さんが個人的にしている稽古だった。 忙しい斎藤さんが唯一個人的に出来ている稽古だ。それは既に確認済みだから解っている。 稽古中やましいことをしている訳ではないが、誰かに常に見られていたら嫌だ。それが普通の感覚だと思う。何も総司や私が特殊なのではなく、剣を嗜んだ人間なら誰しもそうだ。
真っ青になった私を見て、総司はあからさまにため息を吐く。何も言わないけど、呆れが顔に浮かんでいた。
「今まで一度も来るなって言われなかったの?」 「言われてないよ。けど、」 「一くんは優しいからなぁ」
私の心を読んだかのような言葉だった。斎藤さんは優しい。紛いもない真実だ。 もしや迷惑だとはどこかで思っていて、でも優しいから言いだせなかったのだろうか。私が楽しそうにしているから、気遣って言わなかったのだろうか。 考えれば考えるほど、そうとしか思えなくなっていく。私が斎藤さんに好意を抱いているのだと気づいてなくても、何となく雰囲気で明るい空気を感じ取っていたのだろうか。 自分を押し殺すことに慣れた人だから、今回もそんな風に譲ってくれているのではないだろうか。私はもしかして、好きな人を困らせているだけなのではないだろうか。
「咲」
軽く、けど先ほどよりは柔らかい口調で総司が呼びかける。意地悪でねじ曲がっているのは彼の常だが、流石に私の反応を見て態度を改めたらしかった。総司にまで気遣われるほど落ち込んでいたのかと、苦笑いが漏れてしまった。幼馴染に近い総司は昔から私に容赦がなく、遠慮など知らないというのに。
「明日から任務で屯所を離れるんでしょ?いい機会じゃないの?」 「…なんでそれを総司が知ってるの?」 「あ、やっぱり本当だったんだ」
ハメられたな、と気付いた時は遅かった。顔を顰めた私に対して悪びれた様子もなく、土方さんの部屋に資料があってさ、と総司は言った。どうやら句集を探す過程でたまたま見つけたらしかった。
土方さんの命令で、山崎さんと共に明日からひと月ほど長州屋敷傍に潜伏することになっている。長州藩の動向を探るためだ。 山崎さんと商人の夫婦役を演じて、長州屋敷を出入りする手はずになっていた。 その情報が漏れれば私たちの身が危うくなるし、情報入手も難しくなる。だから土方さんは誰にも話していないはずだった。
「そんな調子で密偵なんか出来る訳?」 「それを総司に言われたくないんだけど」 「僕にも解っちゃうようなうっかりだから、忠告しているんだよ」
さらりとそう言うと、彼は文机に頬杖をついた。意地悪半分、半分は本気の心配だ。 大丈夫だよ、となるべく強い声音で返事した。だから心配しないで。言葉をつづけなかったけど、総司にも伝わったらしい。 彼は深く息を吐くと、それからいつものように唇を歪めて笑った。
「ま、どっちにしろ暫く一くんの稽古は見納めな訳だから、良かったんじゃない?色々考える機会にもなってさ」 「…そう思うことにするよ」
声に出さず唇だけで、ありがとうと呟いた。総司は髪をかきあげて、零すように笑う。 どういたしまして、と言った声音は、今日一番優しかった。
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