薄桜鬼 | ナノ






斎藤さんと一部の隊士を残して、私達は仙台に向かうことになった。
私は土方さんの後ろを黙々と歩く。
小さくなっていく鶴ヶ城を、土方さんは一度も振り返らなかった。


その夜のことだった。
野宿をすることになった軍は、そこかしこに身体を休めた。
私は女だと露見しないようという配慮で、土方さんや島田さんなど見知った隊士の傍に座っていた。


「咲」


眠れずにぼんやりしているところ、土方さんに声を掛けられた。
彼は随分険しい表情を浮かべている。
いつも穏やかとは言い難い人ではあるけど、ここまで皺が寄っているのも珍しい。
少し緊張しながら私は手招きに応じた。


森林の木々の間から透けて見える夜空は、無数の星を散りばめて輝く。
淡く光る月明かりが夜道を照らしていた。
前を歩く土方さんは無言だった。
うるさくなっていく心臓を抑えながら、私は手のひらを握り締めた。


人っ子一人見当たらない場所まで到達すると、土方さんはようやく振り返った。
やはり瞳には険しさがある。
彼は静かに私を見据えた。


「お前はどこまでついてくるつもりだ」
「…え?」
「仙台か?それともその先までもか?」


言われた意味が解らなくて、私は思わず目を見開く。
どこまでついてくるつもりって、そんなの。
まさか今更問われるなんて思わなかった。
言葉を失った私を見て、土方さんは顔を顰める。


「どこまでだ」
「最後まで、です」
「最後?」
「命が尽きるまで」


私が言いきると、土方さんの眉間の皺が濃くなる。
紫の瞳が射抜くように見つめた。


「帰れ」
「…え?」
「江戸に帰れ」


それは鋭く有無を言わさぬ口調だった。
息を呑む。
何を言っているのだろう。
今、土方さんは何を言ったの?


反論出来ない私に、更に彼は追い打ちをかけた。


「今までは試衛館以来の奴がゴロゴロいたから何も言わなかった。が、これからは到底てめぇのような奴の面倒はみきれねぇ」


役立たずなのは解っていた。
女の私はどうしても非力だし、技術的にも総司や斎藤さんにはとうとう敵わなかった。
近藤さんは私は頑張っていると言ってくれたけど、お世辞だってことも知ってる。


でも土方さんにここまで言われたことはなかった。
そんな風に、思っていたの?
私がいることはそんなに迷惑なことだったの?


衝撃的過ぎて涙さえ出ない。
唇を噛み締めて、私は胸を押さえた。


「市村を一緒行かせる。今から支度しろ」


この話は終わりだとばかりに、土方さんは言い放った。
踵を返して彼は皆の場所に戻っていく。
私は何も言えずに立ち尽くしていた。


江戸に帰る。
新選組の邪魔になっているというなら、そうするしかないだろう。
私は土方さんの障害になりたくて隣に居続けたのではないから。


これで、いいんだ。これでいいんだ。
何度も自分に言い聞かせる。
けれど胸のざわめきはおさまる気配がなくて、それどころか徐々に大きくなっていった。


本当に?
もう一人の私が問う。
本当にこれでいいの?本当に、このままでいいの?


ふと、総司の言葉を思い出す。


『後悔しないでね』


頭に甦った声は、私の頭を殴ったようだった。
後悔、しないで。
このまま江戸に帰ることが、私にとっての最善なんだろうか。
ただでさえ土方さんは近藤さんを失った。斎藤さんを会津に置いてきた。
試衛館以来の仲間達はもうほとんど残っていない。
そんな状態の彼を一人にしてしまってもいいの?それで後悔しない?


気付くと走って土方さんの背を追いかけていた。
足が縺れそうだし、息が苦しい。
それでも土方さんの腕を掴んで、ぐいと力強く引っ張った。


「咲…」


土方さんは驚いて振り返る。
その瞳を見据えて、私は荒い息のまま言った。


「傍に置いて下さい!」
「は、」
「傍に、いさせて」


見開かれた土方さんの目を睨み返す。
傍にいたい。
それが私の下した結論だ。


自分勝手なのは解っている。
色々理由をつけて正当化しているけど、単なる我侭なんてことも解っている。
それでも譲れなかった。


好きな人が死地に向かうのに、自分だけのうのうと安全な場所に逃げるなんて、嫌だったんだ。


呆気にとられていた土方さんは、ようやく我に返って険しい表情に戻った。


「駄目だ」


異論は認めない、とでも言うような厳しい言葉。
新選組の今や局長としては当然だろう。
私のような人間がいたって、迷惑なだけなんだから。
でも譲れない。これだけは譲れない。


「嫌です。私はあなたのお傍にいます。ずっと傍にいます」
「咲は江戸へ行け。これは局長命令だ」
「聞けません」
「…命令に背くのか」
「いくら土方さんの命令でも、それだけは」


土方さんの腕を掴む手に力を籠めた。
後悔だけはしたくなかった。
例え役立たずにしても、後悔だけは絶対にしたくない。


土方さんはすっと目を細めている。
張り詰めた空気が漂った。


「駄目だ」


相変わらず土方さんは頑なだ。
昔から自分を曲げない人だ。でも今回ばかりは曲げて貰わなくては。


私は腰の刀を抜くと、地面に突き立てた。


「どうしても連れて行けぬというなら、この場で私を叩き斬って下さい」


土方さんは目を見開く。
信じられないものを見るような眼をして、彼は私を見ていた。


「あなたの手で殺して下さい」


吹いた風は緑と雨の匂いがした。




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