いつだって僕は、あの赤色の少年に、日々悩まされていた。


   チュンチュン、可愛らしい雀の囀りで、スッキリ目が覚めたらいいのに。鼓膜に残るのは、夢の中であの人に粘着性を帯びた声で力強く叫ばれた、

『テツヤァアアアァ〜〜!!!』

自分の名前。夢でも現実でも全く変わらず、あの人は自分を執拗に追いかけ回している。夢は夢でも悪夢にしかならず、現実はより一層ひどい惨状。逃げ場なんて、どこにもない。今日も、深刻な溜息から、黒子テツヤの1日が始まった。


   重苦しい足取りで通学路を歩く僕は、学校へ行きたくない、いじめられっこの不登校児ではなく、極々普通の高校生。ただ、非常に影が薄いことが、全て平凡以下な僕の唯一の特徴ではあるけれど。

   僕が通う帝光高校は、都内屈指のマンモス校。大好きな読書を思う存分堪能出来る程の蔵書を誇る図書館や大好物のバニラシェイクすら売っているバラエティに富んだ学食、全国制覇記録を更新し続けている超強豪のバスケ部がある。学校生活自体は何ら問題がない。むしろ最高だった……はずだけれど、その場所へ行けば必ず会わなければならない至極面倒な人間がいるせいで、僕を取り巻く環境がこうも一変するとは夢にも思わなかった。今更、この学校を選んでしまった後悔しても無意味なのに……どうしてあの時、彼と出逢ってしまったのか。悔やんでも、悔やみ切れない。

「……神様は、どうして僕へこんな途方もない試練を与えるのでしょうか……」

絶え間なく降り注ぐ苦難により精神的に参っていた僕は、真っ青に晴れ渡った大空を見上げ、ゆっくりと力ない息を吐く。そうして胸の奥に溜まった淀みを吐き切れば、やっとグラグラ揺らいでいた精神が安定してくる。

   さぁ、今日も1日、頑張ろう。全てを、去なすんだ、彼の求愛行動全てを。遂に決心を固めた僕は、強い意志を持って、大きな大きな校門へと足が向かうと……予想通りの展開が、早速待ち構えていた。

「……はぁ……まったく、懲りませんね……あの人は」

色鮮やかな新緑と心地よい風に迎えられた、爽やかなはずの朝。それをぶち壊すのは、帝光高校の校門にて恒例行事になってしまった濃厚パフォーマンス。その為にわざわざ登校して来る沢山の生徒達が道を避けて、広々とした花道を作り上げていた。僕にとっては申し訳ないやら勘弁して欲しいやら。幸せが逃げてしまっても、溜息を吐かざるを得ない状況だ。それもこれも全ての元凶は、

「あっ……おはよう!テツヤァ!!僕のテツヤアアアッ!!!今日も全力愛してるっ!!!!」

傍迷惑な朝のお出迎えを強行する、この学校の絶対的最高権力者、

「おいでッ、テツヤ!!僕達のラブラブ学校生活をはじめる第一歩……愛の抱擁だっ!!僕の熱でやさしく包み込み……今日も1日お前の身も心もハッピーにするよっ!!!」

“テツヤの王子様”だと自称する、とんだ暴走野郎・赤司征十郎君だ。

   鳥のように両腕を大きく誇らしく広げるのは、尊厳も道理も鋏も何もかもかなぐり捨てて、僕に対して心を御開帳する赤い少年。その無防備な胸が僕が飛び込んでくるのを待ちわびている。早く早くと、まるで誕生日プレゼントを欲しがる無邪気な子どものように。残念ながら、僕には彼の理想通りに行動する愛も勇気も義理ももない。いくら周囲の人間が「お願いだから飛び込んであげて!赤司様が可哀想だから!!」といった無責任な視線を投げかけ「貴方様を一心に恋い慕う赤司様へどうかご慈悲をっ……!!」といったイヤな空気を漂わせたって、僕は頑として自分のスタンスは崩さない。

「ねぇっ、テツヤってばぁ!もしかして照れてるのかい?大丈夫、恥じらうことはないよ……此の世の人類全て……いや、ミミズだって虫けらだって駄犬だって……運命共同体である僕達を優しく見守ってくれているからね……安心して未来の旦那様の胸へ飛び込んで来るがいいっ!!」

もしもし、貴方は、生き恥というものを忘れたのでしょうか??そうでなければ、目を疑うような顔面(鼻息荒く頬を紅潮させ口元を緩ませたニヤケ面)や耳を疑うような気色悪い妄言(「かまととぶってないで早く僕らの愛を確かめ合おう!!」「もうっ!シャイで内気なテツヤマジ正天使!!」)を露わにする訳がありませんよね。みんなのドン引き以上のガチ引きに全く気付けないキミが、おそらく僕という存在しか目に入っていないキミが、自分の荒ぶる滑稽さを自認するはずもありませんよね。

   ザワザワと五月蝿いギャラリーは僕の苛立ちを悪化させていくけれど、その中で聴き覚えのある声がいくつかあった。「黒子っちぃいいい!!赤司っちと合体しちゃらめぇぇええっ〜〜!!!」とキャンキャン警告を叫ぶ黄瀬くん(駄犬ですら、優しく見守ってないじゃないですか赤司君)を片手で抑えつけながらお菓子を食べている紫原君(おそらく赤司くんの命令により駄犬捕獲)や何かを我慢するようにブルブルと震えながら固唾を飲んで傍観している緑間君(今日のラッキーアイテムらしきトマトケチャップのチューブをグニャリと握り潰している)がいるのが分かった。(おそらく遅刻常習犯の青峰君は寝坊に違いない、そして彼の幼なじみである桃井さんは世話を焼いているのだろう)

   赤司君と親しいはずの彼らだって、僕達ふたりのことに関しては一定の距離を保っている。それは、魔界の王子様(失笑)が『僕とテツヤのサンクチュアリに侵入する奴は神でも殺す』と標準装備である血に飢えた(苦失)鋏を彼らに向けて言い放ったからだ。そのせいで、実質的にみんな僕を助けてくれない。(駄犬は駄犬でただ吠えるだけ、役立たずめが)今ここにいない青峰君に至っては『そーいえば、オマエら相性いいのか?カラダの』と、ふざけるなザリガニガングロ野郎めと罵りボコボコにするレベルの発言をぶちかましてきた為、僕は渾身の力を込めて股間めがけてイグナイト。いつだったか彼が自慢していた、名器らしい男のシンボルを一撃粉砕。凄まじい痛みに仮死状態に陥った人間へ『今度そんな馬鹿げたことを抜かしたら、完全再起不能にしてやりますから』と吐き捨てた。すると赤司君が『テツヤぁああ!!そんな汚物にイグナイトしちゃダメだよ……清らかな僕のテツヤが穢れちゃう!さ、触るなら……僕の聖剣に、どうぞ。……このまま、お互いの剣を交えてみるかい……?』とモジモジしながら訊ねてきたもんだからイラァっとして『そのご立派な聖剣、キミの鋏でチョン切ってやりましょうか』と笑顔でお返事。それに対して奴は『ヒドイッ!カワイイッ!ナイスツンデレテツヤッ!!』既に日本語すら通じない始末。どう罵倒したって逆効果にしかならないことが腹立たしいけれど、既に耐性がつき始めてしまった僕は、ある悟りを開いてしまう。

“馬鹿と天才は紙一重”

なんて赤司くんにピッタリな言葉なんだろうか。

   そんな天才的な馬鹿を、今日はどう退治しよう。どうせ、誰も助けてくれない、いや、助けられない。もともと、僕達ふたりの問題であることは確か。これは僕が暴走変態魔王に毅然と立ち向かい、対決して解決するしかないのだ。前を見据えれば、僕に好き好きテレパシーを送りつけながら、抱擁の準備万端で待機する赤司君がいる。きっと彼は、その胸の中へ僕が飛び込むまで、延々と待ち続けるのだろう。普段の彼なら“従わぬなら殺してしまえ下僕共”だけれど、僕に限っては“従うまで待ち続けるよ僕のテツヤ(はーと)”であるから、殺されないだけ有り難いのか、諦めが悪過ぎて面倒過ぎるのか……結局の所、判断しかねるが……、

「テツヤァ……早くしないと、僕、拗ねちゃうよ……大人しく僕に捕まってよ……身も心も……さもないと、」 

あ、マズいですね。未だに足をピクリとも動かさない僕にじれったくなったのか、少しずつ強引横暴魔王様の片鱗を出し始めてきた。このままだと僕ではなく……、 

「敦、駄犬を持って来い」
「は〜い、駄犬どーぞー」
「えっ、ちょっ、何す、」

周りに悪影響が出ると顔を顰めた時にはもう遅く……ビッ!!ジャキン!パラパラパラ……キラキラの黄色の前髪が赤色の髪の人間の手によってぶった切られた。しかも、誰かさんのよりもひどいパッツンで、惨たらしい。

「ギャアアアアッ?!?!俺の自慢のキューティクルヘアーがああああっ……!!!ヒドイッス〜〜赤司っちは非道の鬼ッス〜〜……うぇええええん!!」
「10秒経過ごとに、駄犬のヘアーカットをしてあげるよ……それでもお前は素直になれないのかい?どうする、テツヤ……」

あぁ、やっぱり。これも一応予想の範囲内ですが、またまた面倒なことになりましたね。彼は僕の行動を待つスタンスをとってはいますが、ただで待つ程気が長い人間ではありません。周囲に暴挙を振りかざしながら、それを見せしめに僕の投降を待つのです。どうにもこうにも質が悪いですよ……僕らの駄犬殿黄瀬くんは一応シャララ☆モデルなので、彼の御髪が無惨に切り落とされることで泣いてしまうファンの女の子達が沢山いますから……、

「いやぁあああっ!黄瀬くんっ!!」
「……あんなっ、あんな変な前髪にされて……ひどいっ!かわいそうっ!」

あぁ、ほら、一大事です。これ以上、女性を泣かせてはいけませんよね、男としては。さて、ケリを、つけましょうか。

「赤司君、お願いです。とりあえず黄瀬君を解放して下さい。今すぐキミの元へ行きますから」
「えっ、本当に?……テツヤのお願いなら、仕方ないな。もう少しカリスマ美容師気分を味わいたかったけれど……テツヤに比べたら何事も重要性はミジンコ以下だからな……敦、その泣いてるワンコロどこかに捨ててきて」
「じゃあミドチンにあげる〜〜この子の飼い主になって〜〜」
「俺におかしなものを押し付けるな!運気が下がるのだよ!」
「オムライスもないのにこんなとこでケチャップ持ってるミドチンっておかしな人でしかないよね〜〜」
「なにっ?!失敬な!!ラッキーアイテムと俺は常に一心同体!それを馬鹿にするとは言語道断!許さんぞ、紫原っ……!!」
「うわ〜〜うぜ〜〜……とりあえず黄瀬ちんはポイしておこう」
「うぅっ、この世は理不尽っス……」

こうして、僕の一発勝負が、

「さぁ、テツヤ、僕の胸の中へ」

はじまる。



「おい、今朝の騒ぎ、知ってるか?」「いつもの赤司様の求愛パフォーマンスだろ?今日は俺、見てなかったんだけど」「あぁ、そうなのか……惜しいな。今日のは凄かった。決着の付け方がハンパなかったよ……」「えっ、そんなに凄かったのか?一体何が起こったんだ?」「……赤司様が黒子様に愛の抱擁を朝からぶちかまそうと手を広げて待っていたんだけど……中々黒子様が足を動かさなくて我慢出来なくなった魔お、……赤司様は人質をとって脅迫するように暴れ始めたんだ」「お、おう……さすがの横暴さだな」「そんな状況を食い止めようと、お優しい黒子様は人質を解放させて……意を決し、赤司様の元へ走って行ったんだけど……その時の赤司様の満面の笑みときたら、もう……」「魔王じゃなくて天使だろうな……その時ばかりは」「あぁ……幸せそうだったよ……あの時は、さ……まさか、」「……まさか?」

「最愛の黒子様に、巴投げされるとも知らずに……」

「……マジか」「マジだ……黒子様が懐に入る直前、好きすぎて我慢しきれなくて抱き締めようとした赤司様の一瞬の隙をつき……ものの見事に素晴らしい巴投げを決めたんだ……そのまま何事もなかったかのように、颯爽と朝練に向かったよ……あれは、惚れる」「あぁ……惚れたぜ……さすが、我等が黒子様だな。あらゆる武道に精通してるって噂、本当だったんだな。見た目は可愛らしいのに中身は男前……最高だな。あ、それで赤司様はどうなったんだ?」「あぁ、なんでも……、」

『……テツヤ、の、一本勝ちだ……愛情、一本……ゲフッ……!』

「……って、幸せそうな顔で途切れ途切れの言葉で感嘆しながら……血を吐いて力尽きたよ……だけど、かなり吹っ飛ばされて落ちた時すごい衝撃音だったのに……数分後には生き返ってピンピンしていたのには驚いたな」「さすが、赤司様……あらゆる意味で不死身だな……」「しかも不毛だしな……黒子様の態度を見る限り……完璧に望みはないだろうけれど… …頑張って両想いになって欲しいな……」「そうだな……望みは全くないだろうけれど……頑張れ、赤司様」



   赤司君は、本当にお馬鹿ですね。僕の気持ちを、何も解っていません。貴方は普通にしていればいいのに。普通にしていれば、こんなことにはならなかったのに。どうしてあんなにおかしくなってしまったのでしょう。

   そう、ロッカールームにてギリギリ朝練に間に合った青峰君に問いかければ、

「あ?そりゃあテツがアイツをおかしくしたんだろ?」
「……そんなつもりはありません」
「まぁ……赤司はテツを好き過ぎて頭ヤられて暴走してんだな」
「……普通にしてれば、いいのに……」
「そうかもな、普通にマトモでキレイな赤司だったら……テツも惚れてるのにな」

ウッ、と言葉に詰まる。学力の低さや野性味に溢れ過ぎた行動から、アホ峰と揶揄される彼の怖い所。時々核心をつく鋭い言葉を発するからどうにもこうにも厄介だ。きっと持ち前のポーカーフェイスで取り繕って否定しても、どうせすぐにバレてしまうだろう。僕の相棒に、嘘は通用しない。

「その……僕も一応、一目惚れだったんですが……その後の驚天動地の変貌ぶりに愕然として……今では何ともいえませんよ」
「そうかァ?案外、嫌いじゃねぇだろ?頭ン中爆発してネジがぶっ飛んだ黒子テツヤ大好き暴走赤司だって……ホントは、好きだろ?」

僕が、あの赤司君を、好き、




「テツヤァアアアッ!!!さっきの巴投げは素晴らしかったよっ!心臓が破裂しそうな程の衝撃波が来たよ!お前の闘志溢れる愛が僕を追い詰めてきて……僕だって負けてられるかっ!次は僕の番……愛の乱取りを始めるぞっ!!!」

「嫌いです」 
「まぁ、これは仕方ねぇよな」


   まだまだ続きそうな、僕の苦行の日々。それを終わらせるには、無敵の赤司君を完膚なきまでに叩きのめすしかない。赤司征十郎を倒す、心に誓いながら僕は容赦なしの一本背負いを決めた。









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