明日へ翔ける | ナノ
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「本気で嫌がらねぇと、やめないぜ?」
太陽の光を遮る雲やたちこめる霧のせいで、私は今いる場所から周囲をうまく見渡せなかった。

不思議な島に生えた高い高い、その木の中ほど。
私はそこからいっぱいに目を細めて遠い景色を見てみるのだが、この瞳に映すものはぼんやりとした揺れる海のほんの一部分だけだった。

だからもっと上に、もっと上に。そう思った。
あれから一週間以上も経ってしまえば腕の傷はすでにきちんと塞がって治ってしまっている。
それ故に、私は薬が無くても痛みなんて感じず、木や崩れた建物の上を自分の手足だけで登り続けることができていた。

ひらり、ひらり

枝や瓦礫に足をつけては飛び上がり、更に遠くまで海が見渡せる場所を目指して私は移動した。
そして木の天辺まで登り終え、上がった息を整えながらこの目を再び凝らして海を見つめた。
船を持たない彼らがどうやってここまで、しかもいつ頃にやってくるかなんて決してわからなかった。けれど私は部屋でじっとしていることなんてできなくて、不毛だと思いながらもこうやって海を眺めて彼らを探す事を続けてしまっている。

…あの時。
何故かシーザーをグリーンビットで再び回収する事になったその際。血を流して息を乱して、必死の形相をしながらここを離れろと言ったあの人のその姿は…私の脳裏に焼き付いていて、それはずっと消えてくれない。
私はもっと彼の色んな表情を知っているはずだった。けれど、その後彼を思い出そうとすると何故か私はその時の痛々しい姿しか思い浮かべることができなくて、だからその度にこの胸は苦しくなり、どうしようもできない感情の中で私は喘ぎ続ける事しかできないでいる。


…ああ、私はものすごく…あの人に会いたいんだ…


そして、そうなってしまうと同時に、私はその事を強く思い知らされてしまった。
今夜にでも会えるだろうと彼に言ったその言葉が、彼の酷い有様を見せつけられると共に現実にならなかったあの日…。私はその事にこの上なく落胆し、この身いっぱいに深い悲しみが広がっていくのを止められなかったのだ。
それでも私たちはドレスローザから離れるばかりの船の上、彼に指示された通りゾウへ行くしかなかった。
そして彼らと離れたその日から一日一日と時間が経過していくほど、この腕の傷が治っていくほど、否応なしに増していく辛い気持ちや圧し掛かる不安と共に私は残された仲間と一緒にサニー号にいた。


サンジもナミも、そんな私を優しい眼差しで見守ってくれていた。何も言うことはせず、ただ慰めるようにそっと温かい手を肩や頭に当ててくれる。
その彼らの気遣いに、私は歪みそうになる顔を必死で誤魔化そうと頑張った。強がってもみた。けれど、あんたが哀しいのは当たり前でしょ…と。そうひと言言ったナミの言葉を聞けば堪え続けていた涙がぽろり…溢れて落ちてしまった。
二人はとっくに私の気持ちに気づいているのだ。
あの人に緊張するばかりでしかなかった私を、どうにか和ませて笑わせて、彼が側にいても自然にいられるようにしてくれていた…そんな彼らだったから。

…私はトラファルガーさんに対してパンクハザードで会った時から、本当はずっと、特別で甘やかな感情を抱いていた。
彼の強引だけれど強く私を導くその手は常に優しくて、それは私の色々な場面での恐怖心や不安をいとも簡単に取り去って…そしてそれらの事は私の心を惹きつけるばかりだったのだ。
だから、私はいつの間にやら彼の事が好きになっていて、でも、想い続けることなんて絶対に許されないとそう思い、私は彼が苦手だと無理やりに思わせては彼を避け続けていた。
けれどそれでも身近にいようとする彼に、好意を示し続ける彼に、私を助け続けてくれた彼に、私はその想いが再び溢れ出すのを止められなかった。
キスをして…この上なく嬉しかった。
嬉しかったけれど、でも、私はそれでも彼の事は拒絶しなくては…と冷静にならざるを得なかった。


何でよ!

ナミはそんな私の頬をぎゅっとつねりながら怒った。
だって、そうじゃないか。
私は彼女に泣きながら訴えた。


だって、あの人は敵船の船長だから…
だから好きになっても、どうしようもできない…


けれど私がそう告げると、ナミもサンジも、二人はまるでそれが馬鹿げていると言わんばかりの声で私に言った。


そんな事、少しも気にする必要ないじゃない。…と




「包帯は捨てないの?」


船の上でそれに無意識の内に触れていた私を見たナミは苦笑しながらそう言う。
ドレスローザを離れてすぐ、チョッパーは腕の包帯を新しい物へと取り換えてくれたのだが私はどうしてもあの人の巻いてくれたそれを手放せなくて持っていたのだ。
「何かあったらまた巻いてもらえばいいじゃない」
「…うん。でも、もう…なるべくこれからは怪我はしないようにしたいんだ」
「…そう」
「これは私が上手く海王類と戦えられなかったせい。…だから私…、もっと力を磨いていくよ。自分の身は自分で守って…側にいる事を邪魔だと思われないように」
「そっか」
私がそう言うと、彼女はふふっと笑って私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「恋してそれを隠してるあんたは見ていてずっとかわいかった!けど、考えは男っぽいわねぇ。女は守られる側でもいいんじゃない?」
「いいのっ!これが私だから!」
からかう彼女に私は小さく吠えて立ち上がると、包帯をポケットに仕舞って彼女から逃げるように船のマストに登り、遠く離れたドレスローザの方向を眺めた。




ゾウの一番高い木の上に登ってしまっても、今日は一段と濃い霧が立ち込めていたから遠くを見ることはやはり敵わなかった。
その事にため息を吐いた私であるが、けれど夕日が地平線へと落ちていく景色はぼんやりとでもこの瞳に映すことができた。そして今日も一日が終わっていく。
ドレスローザであの後何が起こったのか私たちはまったくわからなかった。あの人もその後どうなったのか、見当もつかない。そしてサンジはいなくなってしまった。不安なことだらけだ。日々、私はこの感情に押しつぶされそうになりながら、こうやってルフィ達の帰還を待つことしかできないでいる。

私はその悲しい気持ちのまま、大切にポケットに仕舞っていた包帯を取り出すとこれを巻いてくれた彼の顔を再び思い出そうと試みた。
地上より高くそびえたつ、この木の上。
その枝の上に立ちながらそっと目を閉じてみる。
すると足裏にある丸い木の枝の感触から、何となくだけれど、私は船の帆桁の上に立っているようにこの瞬間錯覚することができた。

ああ、それならば

私は思った。
今ならば最後に目にしたあの姿ではなく、あの時帆桁の上でバツが悪そうにしたあなたの顔が思い浮かべられそうだ…、と。
血で汚れ苦しそうに歪んだ顔じゃない、柄にもなく頬を赤くして恥ずかしそうな顰め面をした、そんな顔をしていたあなたを…。
私はその記憶と共にゆっくりと目を開け、そしてクス…と微笑んだ。


すると突然に一陣の強く大きな風が海から運ばれた。

その風は思った以上に強力で、持っていた包帯へ容赦なく当たれば、ひらり、それはこの手を離れてその大風に舞った。
私自身はそのくらいの風ではびくともしないけれど、小さな軽い包帯はその風にいとも容易く遠くへと運ばれてしまいそうだった。「あ…」。だから思わず伸ばしたこの腕。けれどそれはちょっと手を出した程度では届かなくて、だから私は飛んでいく包帯へ更に身体ごともう一度手を伸ばした。

…でも、届かなかった。
包帯は私の指先をかいくぐって空高く舞いあがり、そのまま遥か彼方へと飛んで行ってしまった。
そして身体は何もない空間へと手を伸ばしたままぐらりと傾き、視界も同じように揺れて、私は立っていた枝からそのまま落ちそうになった。

「…っと」

でも私はそのくらいでここから落下しちゃうような人間ではない。
ぐらついた体勢でも、すぐさま足裏の枝を蹴ってその場から飛翔する。ひらり。このくらい、難儀ではないのだ。枝の多いこの木のまわりにはいくらでも足場はあって、私は飛んだ先に見える手頃な枝をつかもうと試みた。


けれど、そんな私を瞬時に包み込む光があった。


何度も何度も見てきたその光。
それが次にもたらす現象なんて嫌と言うほど知っていた。
だから掴もうとした枝を見つめていた目を閉じて、そして笑った。移動する…。それならば、もうこの手を伸ばす必要なんてない。失くしてしまった包帯も、惜しくなんて…ない。

そして目を開ければそこは木の天辺ではなくて、私はその近くにある建物の屋根の上にいた。
目の前に見えるのは、藍に染まった服と刺青のある肌だ。それにこの上ない懐かしさを感じているなんて…たった十日ほど見ていなかっただけなのに今の私はどうかしている。
トラファルガーさんは黙ったまま、慈しむように私の背をそっと撫でた。そして頭を垂れてその顔を私の側へと埋めた。
彼の両腕は柔らかい力で私を抱いていた。私もまた、やっと彼と再会できた事がただひたすらに嬉しくて、彼の背中に本当にナチュラルに自分の腕を回していた。鼻の奥がじん…と痛んだ。


「…ッ…、ルフィ…ルフィは…無事?」
「ああ…」
「ゾロも?無茶してなかった?迷子になってなかった?」
「少しだけ、かな」
「ロビンは…」
「もちろん大丈夫だ」
「ウソップ…五体満足??」
「とりあえず」
「フランキーは…どこか壊れたりしてない?」
「大丈夫。壊れてねぇ。皆生きてるし、元気でいる」
「錦えもんの仲間は?」
「大丈夫。助けた」
「…よかった」
「ああ。…とりあえずは…終わった」
「…でも…大変……大変なの…。サンジが…ビッグマムの所に行って……だからっ…」
「…」

心の中でため続けていた不安だった気持ちを吐露し始めれば、それをきっかけにして私の口は止められなくなっていた。トラファルガーさんはその全てにしっかりとした口調で答えてくれて、けれど最後には不服そうな声音で「お前とりあえず黙れ」…と、私を制する。埋めていた顔を離してそう言った彼に、私はそっと自身の顔を上げ、その先にいる眉を寄せるも小さく笑う彼の顔を見た。


「…まずは目の前にいる俺を気遣えよ…」


そんな風に。
彼が柄にもないであろう拗ねた顔を浮かべてそう言ったから、私はくしゃりと顔を歪めながら「腕、どうしたの?」…と。彼の右腕の、以前の私以上にぐるぐると巻かれたその包帯をちらりと一瞥してそう聞いた。
トラファルガーさんは自分から気遣えと言ってきたくせに、その問いに対して「さぁな」とすげなく言って目を閉じればくつりと笑った。

その余裕のある口ぶりに、重症そうにしか見えないけれどそれならばきっと大丈夫なんだ…と、そう思って私も笑った。



「ずいぶんと日が経っちまったが、やっとお前に会えた」



夕陽はどんどんと沈み始め、この不思議な島全体は夜の始まりを告げるように光を無くして薄暗くなっていく。
つい昨日までは、確実に一日が過ぎ去っていったというその現実をこの身に突き付けられる事はとても辛かった。
ずっと隣に居てくれていたものが消えて、それがいつ戻って来るかもわからない状況がこんなに悲しい事だとは思っていなかった。
…でも今、彼はここにいる。そう。私は会いたかった。
彼にずっと会いたくて、また当たり前のように隣にいて欲しかった。


「…私もトラ男さんに会いたかった…よ」
「…」


だから心の思うまま素直にそう伝えると、トラファルガーさんは一瞬信じられないといった具合に目を見開くも、すぐに「そうか…」と言ってニィと意地悪そうな笑みを浮かべた。
そして彼は私から離れると、ぐい…と、私の手を取って引いた。

「…なら行くか」
「うん。…って。え?方向が違うよ?ナミたちはあっちの…」
「とりあえずこっちだ。恐らくは皆歓迎してくれるだろうよ。ああ、お前潜水艦は平気か?」
「ん?あの、ちょっと待って。歓迎って…潜水艦が平気か…って、一体どういう意味?」

トラファルガーさんは私のその言葉に「あ?」と声をあげながら足を止め、首だけで振り返ればこちらを見てニヤリと嗤った。

「何だお前忘れたのか?お前が欲しい≠ニ言っただろ?これからクルーにお前を紹介する」
「紹介!?いや、あの、それはルフィと一緒の時でいいんじゃ…」
「それはまたその時でいいだろ」
「い、意味がわからないんだけど!」
「お前こそ何言ってんのか意味がわからねぇな。俺はただクルーが増えたと早く皆に伝えてぇだけだ」
「は??!え!?増えた?!」
そしてトラファルガーさんは、私のその言葉にくつくつ嗤いながら至極当然、といった具合に言い放った。


「欲しい、とはそういう意味だ。お前を俺の船の一員にする」


「え?!!」。トラファルガーさんの一方的でしかないその発言に、私がこれ以上できないほど口も目も驚きのあまり開け放したままでいる姿を彼はアハハ…と笑いながら眺めていた。
欲しい、とは確かに言っていた。それは覚えている。…けど、まさかクルーに…という意味だとは思ってもみなかった。てっきり…


「そ、そういう意味だとは思ってなくて…ッ」


だから思わずそう言ってしまった私に、トラファルガーさんはへぇ…と可笑しげに口の端を上げれば「じゃあ、どういう意味だと?」と意地悪く聞き返す。その言葉にあわわ、と動揺する私に彼は嗤いながら私の手を強く引いて寄せた。それによりいとも簡単に彼へと引き寄せられてしまった私は、再び彼の両腕に収まってしまう。強く抱かれて赤く火照る顔を覗き込まれ「言えよ」…と、その答えを聞き出そうとする彼に私は目を逸らして嫌嫌と被りを振った。

黙ってしまった私に、トラファルガーさんはくつくつ嗤いながら言った。なら俺が代わりに言ってやろうか?、と。そして私がそれに拒否する間なんて与えずに、彼はその口を私の耳元へと寄せれば小さくそっとその言葉を囁いた。
私はそれを聞いた途端に盛大に顔を赤らめてしまい、腕の中から脱出しようと必死で暴れてはみたが彼はそれを許してはくれない。だから私は彼と密着したまま、急にこの身を襲った様々な苦悩や葛藤を処理しきれなくて途端に頭が痛くなった。

「楽しみだなァ」

けれど、そんな私の苦しみなんかどこ吹く風でトラファルガーさんは明るくそう言った。その言葉により私の身体中にぞくりと悪寒が走ったが、それと同時に心臓が甘く痺れたのもまた…否めないから嫌になる。
「その時は…本気で嫌がらねぇと、やめないぜ?」
「…っ」
「まぁ…嫌がってもやめねえけどな」
「…ぅっ…」
「それに俺は事前にそうする、と伝えていた」
「……」
「本気で逃げたとしても必ず捕まえてやるよ」
「………」
「だから色々と、諦めろ」
「…………」
トラファルガーさんはそれらの言葉にたじろぎ狼狽え続ける私を笑い、きゅ…と抱きしめる手に力を入れた。





「ラナ、ありがとう」



そして、暫くすれば突然に彼はそう告げた。
その声は急に穏やかで、少しの切なさを含みつつも限りなく温かい声音をしていた。
私は何故彼にお礼を言われるのかわからなかった。
その口調の変化の理由すらも到底わからなくて、赤い顔のままそっと彼を見上げて首をかしげる。
彼は先ほどまで私を見下ろしていたその顔を遠くの空へと向け、まるで何かを偲ぶように見つめながらその目を細めて微笑を浮かべていた。
その表情を見れば、先ほどの言葉にはきっと途方もなくたくさんの思いや意味合いが含まれているんだろうと…そう思った。残念ながら今の私はその全部を解読できない。
けれど、幸せそうである彼を見れば私の心もまた同じように幸せになってしまうから、今はとりあえず目の前にある悩みや問題なんか忘れて彼がそんな心地よい感情を抱くことができてよかったと思う。
ずっと好きだった人が側にいて、その笑顔を間近で見ていられることは、ああ、こんなにも私の心を安らげてくれるのか。



「お前のお陰で…俺は明日も生きたいと思えたよ」