放課後の静かな美術室にバーンと勢いよくトラファルガー君は現れた。その顔は盛大に顰められていて、私を見るなり「どういう事だ」ときつい言葉でそう言いながら私の目の前まで詰め寄った。
「ドフラミンゴの野郎と日曜日にデート、だって?」
「…」
「意味がわからねェな…」
「…一緒に絵画展に行っただけよ」
案の定、今日は朝からずっとそのことを生徒たちにからかわれ続けた日、だった。それはもううんざりするくらいで、否定するのにも最終的には疲れてしまうほどだった。
子供ねぇ…
思わずそう呟けば、トラファルガー君は目に見えて不服そうな顔をし、苛ついた態度を示した。
「ガキじゃねえ」
そう言って、腕を強く掴んだ。
「痛い」
私は声を上げた。そのくらい、今までにないくらいにそれは強かった。
彼はそのまま私を引き寄せて、乱暴に口づけてきた。まるで噛みつくようなキスで、最初勢いがありすぎて歯が当たってそれもまた痛かった。
「言ったろうが…。俺は…ヒナ先生が…好きだって」
「…」
キスの合間にそう言われる。そうだね。そうだった。あの日から何度も、キスをされながらそう言われ続けた。
「あんたは一度も…それに返事をしなかったがな」
「…」
怒った顔のトラファルガー君は唇を放して、次に首筋にそれをあてた。私は思わず遠くを眺める。…それもその通り。私は何度彼が愛の言葉を囁こうとも、一度もそれに対して自分の気持ちを伝えたことはなかった。
「いつだって、ただ受け入れるだけ…。抵抗はしねぇ。けど、自分からは動かねぇ…」
「…」
「ムカつくよ」
ガリ…
彼の歯が首を噛む。「痛い」。思わず身をすくめて小さく叫んだ。…でも、彼が怒るのも無理はなかった。だって本当にその通り。…私はずっと逃げ道を作っていたんだから。これは私の意志じゃなくて、この男子生徒だけからの行いだった…と。いつかそう、何かあった時のために言い逃れができるように…。けど、私はドフラミンゴ先生にそれをあの時言えなかった。
私は思わず時計を眺めた。いつもの癖だ。なので目を閉じて視線を外し、次には目の前の彼を見つめた。
「ごめんね」
小さくそう呟いた。
「…きちんと最初に……突き放せばよかった…」
「…」
「…ごめんなさい」
そう言うと、トラファルガー君はチ…と舌打ちをした。
「…でも…突き放せなかった、の」
「…」
私は思い出す。
彼の匂い。彼の温度。彼の絵筆を握る手のその指先。教室にいる時の顰め面。私を見つめる瞳。ここに現れる時の笑った顔。全部が全部、深く私にいつも刻まれる。
彼に告白していたらしかった女の子の笑顔にチクりと痛んだ胸。何かを考えるより先に思わず逃げ出した身体。
いつだってどうしても見つめてしまう時計は、時が止まればいい…と、いつもそう思っていたから。このまま動かなくなってしまえばいいと、そう思っていたから。
「あなたの絵が好きだよ…。…でも…本当はね」
あの時、慌てて付け足したセリフ。でも、心を奪われたのは彼の絵の方ではなかった。
いつもだらりと下げているばかりだった両腕を、しっかりと彼に回した。
トラファルガー君は目を見開いていた。私はそのまま精一杯に爪先立ちで、彼の顔に私の顔を近づけた。いつも身を屈めさせるばかりだったから。けれど、やっぱり届かないから少し首を曲げてもらわないといけなかった。
「本当はずっとあなたが好き」
息を飲む彼のその唇に、私のそれをそっと寄せた。
多分、本当に、最初から。
私はこの生徒が好きで好きでたまらなかった。
ただ、私は、この恋に、お互いの立場に、それに対してどうしようもなく臆病で。
彼にずっと抱えていた気持ちを絵具で塗りつぶすみたいにして隠し続ける事しかできなかった。
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