初めてのキスは一年前だったと思う。
美術が苦手らしいトラファルガー君は、授業の最初の日に現れなかった。多分サボりですよ、と生徒の一人が苦笑交じりに美術が彼の苦手分野である事を教えてくれたので、私はああ…と納得した。
まあ、そもそも進学校であるのに美術なんて必要ないだろうという思いも私にはあった。だから、廊下を歩いているトラファルガー君を見つけたときに言ったのだ。
『せめて授業には居てよ』
『…』
『そうじゃなきゃ、悪い成績しかつけられないし。仕方なしでいいからさ』
そう言うと、トラファルガー君は少し面食らった顔をしつつも、けれど次の授業からは顔を出すようになった。授業中はずっと鉛筆や絵筆を持ってずっと顰め面しているんだけれどね。
その日は、彼の絵の進みが悪くて少し居残ってもらい、側に寄ってとりあえずの指導をしていた。
『よく見てそのまま描けばいいのよ』
と言ってみたけれど、それは絵が不得意な人にとっては本当に意味のない指導らしくて、彼の鉛筆はぐにゃりと何でだかよくわからない線を描いていた。けれど味はあるな、と思った。
くすり…と笑うとチ…という舌打ち。
部屋は今日みたいにオレンジ色に染まっていたと思う。美術室は学校のはずれに位置していて、下校する生徒の声はかすかにしか聞こえなかった。
『ま、いいか。これはこれで素敵よ』
…とそう言った矢先、彼のスケッチブックに寄せていた私の顔に急に手が添えられた。びくり。驚いて硬直しかけた私の顔を、トラファルガー君は否応なしに自分へと向かせてぶつけるように自分の顔を近づけたのだ。ムニ…と、ムードも何もない妙な皮膚の触れあう音がして、ああ、そういえばその時もかすかにカフェインの味がしたなあと思い出した。
『美術は嫌いだが、あんたは好きだな』
顔を離したトラファルガー君がニィ…と不敵な顔でそう言った。
なので私も言った。『私も好きよ』。そう言うと、トラファルガー君の目があっという間に見開かれて、口が半開きになった。
『あなたの絵』
そう続けて言うと、彼は鉛筆を床に投げつけてクソ…と舌打ちした。私はそれを拾ってあげた。
それから、こんなふうに彼はわりと頻繁に美術室に訪れるようになった。美術部は昔はあったらしいけれど、人気がなくて今となっては廃部。だからこの部屋はいつも静かで、何となくじめじめしていて、人の流れがないからか時間もゆっくりと流れているみたいだった。
「私もコーヒー飲もうかな」
なんだか怒っているような彼の側で、独り言のようにそう呟く。するとトラファルガー君はまた私の腕をひっぱって抱き寄せて、深い深いキスをした。
そうしたら更に強いカフェインの味がしたので、もう飲まなくてもいいか…という気分になった。
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