どうか、連れて行かないで | ナノ
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百年後へ。約束



「おいおい。…そんな顔してどうしたんだよ、ロー」



静寂の円蓋の中。立ちすくむ俺は、その声を…確かに聞いた。
なので思わずその瞬間ぐしゃりと顔を歪めてしまう。
外の音が何も聞こえなくなった空間で、その声だけが今はっきりと、俺の耳へと懐かしく届いてくるのがわかる。


俺が見つめた先にはリナと犬がいたはずだ。
犬は抱かれた腕の中で眠っているようだった。
だから俺を見つめ返すのはリナのはずで、でもその声はリナのものではなくて、言葉と共に動くその唇は懐かしい輪郭をしていて、そして、目の前にいるその人は、俺をただただ優しい表情をして見つめてくるものだから俺の目の奥は熱くなるばかりで身体は震えそうにもなる。…あの人でしかない笑い方。…あの人でしかない声。

「ちょうど近くにコイツがいたから身体を借りてみた。犬よりはちょいとマシだな」

クス…
コラさんはそう言って笑った。


俺は突然に彼を目の前にして、何を言っていいかどうかわからない。
「…コラさん…」
だから泣きそうになるのを必死で堪えて、ただ彼の名を呼んだ。コラさんはそんな俺を見て更におかしそうに笑った。


「全く…。腹の立つ野郎だなぁ。俺より男前に育ちやがって。大きくもなったな。…リナも…すっかり女らしくなっちまった」
「…コラさん…俺は…」
「お前ら二人とも病に打ち勝ったんだな。…よかった。しかも今のお前らが俺と同じ年齢だなんて信じられねえよ」
「…俺…」

今にも零れ落ちそうな涙と歪める事しかできない顔に、コラさんは少しだけ怒ったような、悲しそうな目を見せる。「泣くんじゃねえよ」。そう言って、儚く笑う。「時間がねえんだ。泣いてる暇はねえぞ」。そうも言った。陽はもう半分以上が海へと沈み、辺りは薄暗くなり始めている。だからリミットはそれまでなんだ、と。この初めてでしかない現象の中でも俺は自然とそう理解することができた。



「こんな奇跡、もう二度と起こる気がしねえ。けど俺が一番伝えたいことはやっぱり前と同じなんだからおかしいよな」
コラさんはそう言って俺に手を伸ばしてそれを頭に置いた。
「愛してるぜ、ロー」
「…コラさん、ごめん。俺は…あの日…」
「俺はお前の所為で死んだわけじゃねえ。だからそんなしけたツラしてんじゃねえよ。過去のことはもういい。しっかりしろよ。これからもリナの側で生きていくのはお前なんだから」
「違う…。リナは…コラさんを…」


俺は言った。
あの日から変わらずずっとあなたを想い続けているだろうリナの事を。
側で生きろ…と。あなたはそう言うけれど。
けれど俺では駄目なんだ。
十三年経とうが、やっぱり駄目だったんだ。
彼女はあなたが望んだように、あなたがこの世を去ってからもその笑顔を失うことなく笑って生きてはいるけれど。
けど、それでも俺では癒しきれない部分がどうしてもあるんです。
それはきっと、もうあなたでしか治せない。
だから…、連れて行かないでと…、さっきは思わずそう言ったけれど。
でも。
彼女はきっと、あなたが側にいないといつまでたっても失ったものを取り戻せない。


けれどコラさんはそれを聞いて頭に置いた手で軽くその場を小突きながら「お前…」と、まるで小馬鹿にするように吹き出した。
「相変わらず…。お前はリナの言う事を信じもしなければ、妙な思い込みまでしてるおかしな奴だな」
そう言って、ついに涙を落とした俺の顔に自身のそれを近づけてニィ…と笑んだ。


「でもまあ悪い気はしねえな。リナは俺が思っていた通り、見違えるほどきれいになった。連れていけるもんならアッチに一緒に連れて行きてえ所だが、俺もそこまで野暮じゃねえし残念ながらコイツもそれを望んじゃいねえのよ」
「…何を言って…」
「なあ、ロー。お前リナの夢を覚えてんのか?それ、叶えてやれよ。まだ変わっちゃいねえんだ」
「…夢って…。コラさん。…医者になんて…リナが今更なれると…思うか?コイツは不器用でおっちょこちょいで…どうしようもねえアホで…」
「ばーか。もう一個のほう、だよ」


コラさんは盛大に笑うと、俺から手を離し、そして甲板へ片手で抱いていた犬をそっと下ろした。
犬は未だに目を閉じて気持ちよさそうに眠っていて、コラさんはその体にあるハートの模様を指先で優しく撫でていた。

「また、会おうな」
そして屈めていた身体をまっすぐにのばして俺の目の前に再び立つと、少しだけ泣きそうな笑顔でそう言った。
「リナと二人で会いに来い」
「…コラさん」
「でもそれは百年後、だ」


最後の太陽の欠片がゆっくりと地平線へと飲み込まれる。
その光を受け止めながら、その身体を淡く薄くさせながら、コラさんはそう言った。
俺は頷いた。
嗚咽を堪えてただ、頷いた。
波の音や風の音、揺れる船の金属がきしむ音。
先ほどまで確かに消えていたそれらは、そして小さくも確実に、俺の耳へとその存在を主張するかのように送られてき始める。
最後にコラさんは言った。
彼はそれを告げながら、あの日と同じ優しい笑顔を浮かべていた。


「一つ心残りなのは、やっぱりリナと話せなかった事くれぇだ…。まあ、楽しみは百年後にとっておくかな。…じゃあな、ロー。リナ。これからもずっとお前らを愛してる」


そして太陽は完全に沈んだ。
そして、世界は完全に音を取り戻した。



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