どうか、連れて行かないで | ナノ
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近づけない領域


その時の俺は本当は目を覚ましていた。
そして、遠くからそんな二人をじ…とただまっすぐに見つめていた。

たき火まではそこまで離れていない距離であったのに、まるで遠い場所にコラさんとリナがいるとそう感じてしまったのは、きっと彼らの会話が俺にはまったく聞こえなかったせいだろうとそう思う。
コラさんの能力である防音壁が、目には見えない強固な壁となって、それは俺をはじき出して二人を静かに優しく包む。
その中でリナは哀しげな顔をして何事かを言っていて、コラさんはそんなリナの言う事をずっと笑顔を浮かべて聞いているのが俺には見えた。
辛そうな彼女の側に行かなくては…とそう思った。…けれど俺は身体を動かすことができなくなった。
だって彼女はそう思った矢先、ふいに笑顔を浮かべたのだから。
先ほどまでの泣きそうな顔が、何かをきっかけにして、恥ずかしそうにしつつも大輪の花のような笑顔へゆっくり変わる。
一体二人は何を話していたんだろうか…。
俺はそう思うも、それを知ることを心の底から切望するも、けれどどうしてだか身体はやっぱり動かすことはできなくて、ただこの場所で唇を噛みながら二人を見守ることしかできないでいる。

コラさんの能力は絶対だ。こちらに話が聞こえる事は決してない。だからその壁の中へと入らなければ俺の声は届かないし、二人の声も聞こえない。
しかし、邪魔をしてはいけないと誰かが俺に言っているみたいだった。だから動けない。
…そしてそうなってしまう事は、哀しい事にずっと前から続いている。


とある日。俺がファミリーのアジトにてさまざまな人間にさまざまな技術を教え込まれているその合間、ふと見下ろした建物の向こう側の庭で今日のようにして並んでいた二人。
その時もきっと防音壁が彼らを包んでいたのだろうが、あの日の俺にはそれがなかったとしても彼らの会話はどうしようもなく離れてしまっているこの距離のせいで決して聞こえるはずはなくて、けれど、リナの表情ははっきりとこの目に映った。
その日の俺が見たものは、かつて命からがら一方的に手を繋いであの惨劇から逃げてきた日以来見る事のできなかった、リナの笑った顔だった。
悔しくてたまらないとしか言いようがなかった。だからその時の俺の中ではますますコラさんに対する憎しみが湧いていた。
どうしてだかリナはコラさんと会ってから、頑なに閉ざしていたその感情を少しずつだが取り戻し始めていたのだから。
それはずっと側にいた俺の力で…ではなく、無関係としか言えなかった彼の存在が与える何か≠フお陰…。


それが彼女のコラさんに対する淡い恋心によるものからなのだろう…と気付いたのはそれからすぐの事。
恋をする人間は目を見ればわかる…だなんて。正に言い得て妙であると悲しくもそう感じた。そしてそれを言い出した人間はきっと、俺と同じでそんな人を見つめる側であっただろうことも。
たかだか十歳でしかないなんて、そんな事はその感情を抱くことを躊躇わせるのにまるで障害になんてならない。
そしてコラさんはその事にきっと気付いていないに違いないのだ。
あんなにきれいな瞳でリナから見つめ続けられているというのに…。本当にドジで…尚且つ鈍すぎる人、だ。
だからこそ、また、小さな憎しみがふつふつと湧いてそれは嫌らしく俺にまとわりついていく。
だってコラさんは全くその事をわかってなんかいないくせに、無意識に、誰も寄せ付けないようにして、己の能力でリナと自分の二人だけの空間を作り上げてそれをこの俺に見せつけ続けているのだ。そして全く邪気のないその壁は、圧倒的な力をもってして俺にその侵入を躊躇わさせてもいる。
全く…酷すぎる人でしかない。

それでもいつか。いつの日にか必ず。
俺はそんな彼の鈍さ加減を指摘してからかって、二人の側へと並び、一緒になって話をし、三人で笑い合ってやるんだ…と。いつかそうしてやると思っていた。
いつまでもこんな風に仲間外れになり続けるものか、なんて。
今に見ていろよ…なんて。
ずっとそう言い聞かせ、ずっと…そう願ってもいた。
なのに…。
あと少しでそれが叶えられたかもしれないのに…。
それなのに、彼は死んでしまった。
俺とリナを残して。
あの雪の日に。
泣き叫ぶ俺のその声を笑顔でかき消して、強い瞳で、強い口調で、オペオペの実を無理やりに口に押し込みながら、
「あいつを助けろよ」
…なんて一方的に言い遺して。




その現象は、実は最初は全く信じてなどいなかった。
昔リナと二人で、ファミリーのアジトの小さな部屋のベッドの上、並んで読んだ大きな本。
俺はその時、興味深げに本を読むリナの横顔ばかりを見つめていた。
非科学的な内容の本だったので関心などほとんどなかったけれど、それを読み進めて楽しげにするリナが俺には本当に愛しくて。虚ろであるばかりだった彼女の瞳が熱心に文字を追いかけていく姿がただ嬉しくて嬉しくて。だからその時はそんなリナを見つめる事のほうが重要であり、それは俺にとってそこはかとなく幸せでたまらない、美しく彩られた至福の時間だった。

それ故、とある町で彼女が俺のコートの袖を引いてソレを指差した時はただの犬だろ…と。…そうとしか思えなかった。
その犬にハートのブチ模様があっても。
その犬が俺たちを追いかけながら派手に転んで、まるであの人がかつて浮かべていたような、恥ずかしげにするその表情を俺へと見せてきていたとしても。
ただの偶然だろ?…と。
そしてその現象を期待する心がその偶然と出会うことであたかも奇跡が起こっているんだと錯覚しているにすぎない…と。そう思っていた。
だからその犬を見て流れ落ちていた涙は、ただ彼女の感情に合わせてそうしていた≠セけのはずだった。…けれど、この俺が抱いた所懐はどうやら間違っていたらしい。


奇跡は本当に、俺たちのいる場所へ舞い降りてきていると…そう思い知らされた。
彼は天国からここへとやってきて、どういうわけか小さな犬に宿り、そしてその存在を犬の身体を通してこちらへとずっと主張し続けているのだ。
だから彼女はずっとあの犬と共にいて、俺はそんな二人の側へと近づいていけない。
まるで昔のあの日々のように。
まるで過去に戻ったかのように。



そんな折、ペンギンが俺に言った。
その視線の先にいるのは、甲板で俺に背を向けて並んで座り、船が進むその先をじっと見ている犬とリナ。
そこから数メートル離れた場所には二人を黙って見守っているクルーがいて、そんな中、笑みを浮かべてそれを見つめていたペンギンがふと、何気なしに言ったのだ。
「なんだか、おしゃべりしているみたいですね。…リナとあの犬」
…と。


「まあ…そんな風に見えるだけですけど」
「…」
「無声映画みたいですね。…何だか入っていけない雰囲気だ」
「……」


その言葉に俺は思わず口をつぐんで顔を顰めるしかなかった。
たとえ魂だけであっても、あの人はその能力をやはり使えるとでもいうのだろうか?
ペンギンが言った言葉そのまま、二人はまるで何かに包まれたみたいにして、誰にも邪魔されない小さな静寂の世界でずっと何かを話し合っているのが俺にも見える。
もうずっと見慣れているはずのリナの顔。その唇。それは確かに何事かを語りかけている。でも今の俺にはその言葉の意味を決して受け取ることができないのだ。
いつものように、二人からは遠く離れてなどいないのに、やはり俺は彼がいると途端に彼女が何を言っているのかわからなくなってしまう。
そして針路方向で輝いている強い夕陽は、そんな二人を美しく明るく照らす。
すると彼らの輪郭はぼんやりと曖昧になって、まるで何だか二人は現実のものでないように見えてくる。

だから途端にまた憎くて、歯がゆい気持ちが湧いてきた。
いつだって、俺が見つめる背を向けた二人は、こんなふうにしてどこか儚い雰囲気を伴わせていて、それは尚更こちらが決して侵してはいけない領域として、俺も、ファミリーの人間も、クルーでさえも…。外側にいる人間全てをどうしてだかそう思わせてしまうのだ。


どうしてですか?


俺は思わず、顔を顰めたままそう問うた。
まるで消えていきそうな二人を見つめ、焦燥感の中そう聞いた。


あなたはどうしてこちらの世界へとやってきたのですか?
どうしてそんな姿を見せるのですか?
あなたは俺を本当は憎んでいるのでしょうか?
あの日あなたが託した「情報文書」を…俺が間違えてヴェルゴになんか渡してしまったから…。
だから、こうして、あなたは俺に最後の意地悪をして仕返しでもするつもりなのですか?



夕陽は少しずつ地平線へと沈んでいく。
だからこそ、俺の心はひたすらに焦心する。
…ウラバンナ現象は数日で終わってしまう…と、そうあった。
終わりの日がくれば、現世へとやってきた魂はここから離れてまた元の場所へ帰っていくんだ、と。
俺はだからこそ顔を歪めて歯噛みする。
どんなに後悔しても、俺はあの日には戻れない。
だから、俺にできることは彼に詫び続けることでしかない。
けれど、そんな彼に許しを請おうにも、昔からずっとそうであったように俺はやはり二人の側へは近づけない。



あなたの帰るその場所は、寂しいばかりの世界なのですか?
あなたはそこでは笑って過ごせられないのでしょうか?
あなたはいつも、リナといるその時は、穏やかで素直な笑顔を浮かべ自然に接していたことを俺はずっと覚えています。
だから今、あなたはここへとやってきて、そして彼女の横にいるのですか?

…彼女と、一緒にいたいのですか?


今も
この先も…


あなたはその小さくも強力な静寂の世界で、
誰にも邪魔されず、
二人で過ごしたいと、
…そう…思っているのですか?


「駄目だ…」


沈みゆく太陽の光がより一層強くなり、更に二人の輪郭がぼやけていく中俺は呟く。
すると、船首に座って見つめ合っていた彼らがそっと立ち上がる姿がこの目に映った。
犬は手を伸ばしたリナの腕の中へ、本当に自然にすんなりと収まっていく。
そして彼らは一歩船の手すりへと近づいていく。すると更に彼らは光に包まれたようになり、俺はその眩しさに意に反して目を細めてしまう。


「駄目だ」


だから思わずそう言って、俺はずっと動かすことのできなかったその足に、強い意志を送り込む。
地面へと縫い付けられているように思えていた足は、するとあっけなく動いたので俺は足早に二人に近づく。
小さな声じゃ到底彼らの元ヘは届かないのだ。それに彼の能力は外側の声なんて受け入れない。
だから行かなければならないのだ。
そして伝えなくてはならないのだ。
だって、駄目だから。
だって、嫌だから。
いくらあなたであっても、
それだけは…
俺は決して、許すことなんてできないから…。


だから止める。
だから伝える。
だからこの声で、この手で、必ず留める。


俺が憎まれる事は仕方のない事だと思っている。
けれど、
お願いだから…
それだけはしないで欲しい。



二人のすぐ側まで近づけば、彼とリナが俺の方へとゆっくり振り返った。
二人はにこやかに笑っていた。
眩しい夕陽に包まれて。
本当に、二人は今にも消えていきそうだった。


だから俺は言った。
しっかりと。
音にして…伝えた。


お願いだ…コラさん。
お願いだから…


彼女を…



リナを…



どうか…





「どうか、連れて行かないで」





すると、その瞬間俺の周りが静寂に包まれた。



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