ここは、忘れられる世界 | ナノ
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昼食のあとのやりとりの中、突然に倒れてしまったサラを慌てて抱えて診療所へと連れて行った。
あの日俺がサラを雇ってもらえるように掛け合ったその診療所の先生は、俺の記憶のままの姿でそこにいるのに、やはり彼は俺のことを少しもわからないようだった。
先生は青白い顔をして目を閉じているサラを見て悲しそうな顔をした。
ベッドへ寝かせた彼女に布団をかけてやり、そして俺の方を見ると寂しげに笑った。「ちょっと前にね…。こんな風にして倒れたことがあるんですよ」。彼はそう言った。

「その日は…彼女が心の底から愛していた人を亡くした日のようでした。彼女はまるでこの世の終わりのように泣いて、そして意識を落としたんです。それからずっと目覚めなくて、彼女は半分死んでいるようでした。本当はね。私たち島の人間はずいぶん前から彼女のことなんかちっとも怖くなかったんですよ。明るく笑ってよく働くいい子でしたから。…でもおかしいですよね。それでも何かきっかけがないと変われないだなんて…。人間とは哀しいくらい不器用なものです。私たちがようやく素直になれたのはその時でした。…だから、…ちょっとした罪滅ぼしみたいなものなのかな?…私たちは彼女の新しい世界≠ノ合わせて生きることにしたんですよ。…彼女にとって、それが今少しでも救いとなっていればいいのですがね…」
先生はそう言って眠るサラを哀しくも優しげに見つめた。
「愛する人を忘れてしまうことは…決して全部が全部悪いことじゃないように思えます。彼女はそのお陰で今ここで生きているのだから。そうすれば…、その先の人生できっと奇跡は起こるはずで、だからそれに出会うために何かを失っていることを思い出せなくても、それを取り戻せないままでいてもいいんじゃないかと思うんですよ。私たちは、ね」
「…俺もそう思います」
思わずそう呟くと、先生は苦笑した。あの日、俺の剣幕に気圧されつつ、彼女を雇うことを了承した際に見せた苦笑いとは少し違った顔をしていた。
「君に会ってからでしょうか?この一週間彼女は久しぶりにいい笑顔をしていました。…だから君が奇跡となり得るかもしれませんね」
「そうなりたいです」
俺がすぐさまそう答えると、彼はにっこりと笑った。「是非そうなってください。この診療所は彼女のファンが来てくれることで…フフ…成り立っているんです」。なので俺はそれに頷いて、彼に大きく笑い返した。





あの日も夕暮れ時だった。
住む家を得て、仕事場も見つかって、サラは新しい生活へと身を投じる準備を終えれば「探検!」と言って俺の手を引いて森へと笑いながら走った。どんどんと薄暗くなっていく森の中を、俺が指先に灯した炎を頼りに、まるで何かに導かれるみたいにして、小さな崖を降り、その先の水音に気づいて、そしてあの泉を見つけたのだ。その泉に咲いていた一輪の花を見て、彼女はその顔を顰めて少し悔しげにしていたっけ。
「ここであなたを待つことがまるで運命だって言われてるみたい!この花知ってる??孤独っていう花言葉なんだよ!1日に1本しか花を咲かせないんだって!」
そう言いながらひとつだけの花を見て頬をふくらませていた。
まあいいじゃねえか。俺たちは今ふたりでいるんだし。
そう慰めるように言ってみれば、彼女は更に頬を膨らませた。何言ってんの明日からはひとりじゃない!…と。
まるで俺達が来ることがわかっていたかのようにそこにあった、ちょうどふたりが座れる大きさの平たい石。俺とサラは並んでそこに座って、陽の落ちる中キスをした。愛してると言い合って、抱き合って、約束した。必ずまた会おう、と。
あの花だって、孤独が嫌でいつかふたつ花を咲かす日があるかもしれねえだろ?
そう言って、静かに泣いている彼女にまたキスをおとした。
それは奇跡かもしれねえけど、俺とまた会える事は必然だ!だから泣かないで待ってろ!
そう言ってみればサラは泣き笑いの顔で言った。
「エースはいつだって、嘘をつかないものね」
…と。



彼女は今、俺の腕の中で泣いている。
俺もまた、彼女を抱きながら泣いていた。


ごめん
悪かった
心の中でひたすらにそう謝った
自分の死によって、サラに初めて嘘をつく事になるだなんて…思ってもみなかった事なんだ
俺は目的を果たして、そしてここへまた来るとずっとそう思っていた
その時にはすぐさまあの家へと向かって、お前の手を取って、皆の待つあの船へと連れて帰るはずだったんだ
なのに…ごめん
本当にごめん…


サラは言った。
自分には愛している人がいると…。
泣きじゃくっているせいで抱きしめる俺の身体を完全に突き放す力のない彼女は、それでも必死に俺から離れようともがき続けていた。
俺はまた涙を流す。
サラはきっと、あの日もこんな風にして、泣いたのだろう。
俺が忌まわしいあの場所でこの生命を終えた時、彼女がそれを知った時、きっとこのように泣いて、泣いて、泣いて、そして今日みたいに倒れてしまったのだろう。
俺という人間がこの世からいなくなった、その所為で。


ずっとずっと愛しているの…

彼以外の人は愛せないの…

彼以上の人はいないの…

彼がいないと生きていけないの…

彼が私のすべてなの…


そして、彼女のその人間に対してひたすらに紡がれ続ける愛の言葉。
何故だろうな。
今の俺には。
それらの言葉は全て、俺じゃない誰か別の人間に対して言われているようにしか聞こえないんだ。
だから俺は、この上ない嫉妬心をその人間に…全く不思議でしかないんだけれど…今強く感じているんだ。



「それでもいい」



でも俺はそう言った。
君の中にいるその人は、きっとこれからも決して完璧に忘れることのできない人。
どんな人だったのか思い出せなくなっていても、それでも君がかつてその人を深く愛していた事は紛れもない真実で、それはずっと身体のどこか片隅に置いておいてくれていい。それを俺は拒まない。
その強い想いも、思い出せない記憶も、そのどちらも持っている君をこれからも大切にしたいと、今俺は心の底からそう思っているし、必ずそうすると誓いたい。




おかしいと思うかもしれないけれど。
けれど、俺には未来がある事がわかるんだ。
この世にいるらしい、会ったことも見たこともない歪んだ優しさをくれる神様に、俺はここで目覚めたその日からずっと、何千回も、何万回も祈っているから。
だから、絶対に、大丈夫。


君との2度目のお別れは、きっとずっと先にするから。
必ずそうなるようにこれからも俺は神様に願い続けるから。




「俺は、お前をこれからもずっと愛してる」




だから、今ここに存在している俺の、君への愛の言葉を聞いてほしい。
そして、
もしこの先君に奇跡が起きて、他の誰かを愛することができる瞬間がきたならば…


その時は、こんな奴でも…
一度君に嘘をついてしまった奴でも…
君を悲しみの底へと落としてしまった奴でも…
それでも…


その相手として、

この俺の事を、

その時にはまた、…選んでくれねぇか?




そしてサラは俺の腕の中で、抵抗する力を失いながら目を閉じた。
すると辺りからは太陽の光が消え落ちて、けれどかわりに月の光で満たされ始めた。
だから君の顔はずっと見ていられるな。
そうしてこのままここで一緒に夜を明かしてみようじゃないか。
何かを期待しながら迎える朝は、いつもの朝よりずっと楽しい。

青い花は、そんな俺たちに明日奇跡を見せてくれるだろうか?
そこまで都合のいい世界でもないだろうか?
けれどそれでも構わない。
花は相変わらずひとつしか咲かなくても、俺たちはその瞬間こうして変わらずふたり並んでいるはずだから。



ここは、
忘れられる世界。
俺も、以前の君も、そのどちらも知る者がいない世界。
その事はきっと…、本当はほんの少しだけ悲しい。



けれどこうも思う。
俺の腕の中に君がいて、そして君が目を覚ませば君の見つめる先に俺がいる。
そしてふたりでいられる明日が続いていく。それは俺が神様に祈り続ける限り…ずっと確かに続いていく。
俺は彼女を今一度抱きしめて、そして笑った。
それはもう悲しみを含めた笑顔なんかじゃない。



君が俺の隣にいるという事。
明日が確かにあるという事。
心の底から笑えるという事。
それさえあれば、今という現実はこんなにも愛しい。



だから、俺はこう思うんだ。










ここは、
素晴らしい世界。







Fin



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