死≠ニ呼ばれるものの先が無≠ナあり、だから哀しい≠アとであると…何故そう言うのだ?
それを言う君は生きていて、その世界を決して知らないではないか…
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目を開ければ、見慣れた景色が俺を迎えた。
青い空。
白い雲。
潮の香り。
聞きなれている、寄せては返す、波の音。
身を起こせば、目の前に広がるのは海。
思わずそれを強く凝視する。
手に触れた熱い砂の粒。思わずそれを掴んで目の前に寄せる。軽く開けた手から零れ落ちるそれは、風に運ばれてさらりと舞った。
立ち上がる。身体はその命令に素直に従い、俺はその場に立てた。
振り返る。きちんと動く首。
瞬きした瞳。それは目の前の世界をちゃんと映し続ける。
呼吸する。胸はそれに合わせて大きく動き、喉を通り過ぎる空気と吐き出す息の温かさを感じた。
声を出してみる。あー、と。それは聞き覚えのある音で口からこぼれおちた。
目の奥が熱い。
泣きそうになった。
一歩踏み出せば、この足は確実に大地の上へと降り立ち、足裏には間接的ではあるが靴を通して砂からの抵抗を伝える。
また一歩踏み出す。
そうすれば俺は見つめる先へと、ゆっくり進んでいけるのだ。
「生きている…」
呟いた言葉を伝える相手は、今はただこの俺でしかない。
そして俺はそれを聞いて、思わず一粒の涙をこぼしていた。その言葉は、俺にこの事実を確かなもの≠ニしてこの身に送り続けている。
生きている
もう一度呟いて、俺はそして泣く。
…ただ、今のこの時だけ、俺はまるで子供のように泣いていた。
*
この現象がおかしいばかりでしかない事なんて、目が覚めた瞬間からわかっている。
俺は死んだはずだった。もしかしたら…なんて希望もないくらいに、だ。
だから、これは夢かもしくは、神様が与えた最後の優しさみたいなものだろうか?なぜなら俺は今、死んだ場所ではない違う砂浜で目覚め、そしてそこを歩いているのだから。
全く知らない場所でない事もまた、神様の優しさなんだと感じる。
ここはよく知っている。
ここは彼女がいる島だから。
だからこそ、俺はこの奇跡のような優しさをすぐに受け入れてひたすらにその場所を目指して歩いているのだ。
島には幾人もの人間がいる。海兵すらも。
けれど、俺がその場所へと向かって歩くその道中に、彼らは俺を見ても何も言わなかった。それも神様の優しさだろうか?俺は顔を隠しているわけではない。そのための道具もなければ、それをしようとする気も今はないのだ。
それなのに彼らは俺を見ても何も言わず、それどころか目が合えばふ…と小さく笑ったりする。俺はそれに顔を引きつらせそっと目を逸らし、その場へと走った。…彼女の住まう家へと。
その優しさが歪んでいる、と気が付いたのは彼女と会った直後のことだ。
彼女は家にいて、椅子に座って本を読んでいた。
家の窓からそんな彼女を見たとき、ぐしゃりと歪んだ顔のせいで、せっかく穏やかに笑っている彼女の顔もまた歪んで見えてしまった。
急いで扉をたたいた。「はーい」…という華やかな声。開く扉。笑顔を浮かべながら覗ける、首をかしげた君の顔。俺の顔は更に歪んでしまった。「サラ…」。彼女の名前を告げる声が震えた。
…けれど、彼女は、言ったのだ。
「どちらさまでしょうか?」
何の冗談だ?
俺は彼女を問い詰める。
俺を忘れたのか?あんなに愛し合ったじゃないか。船の上で共に暮らして、オヤジやマルコや他のやつらにからかわれながら、けれど俺たちはそんな彼らに見せつけるようにして手を握り合った。そしてティーチを追うことにした俺を止めようとしたお前は、それでも行くと告げた俺にならこの島で俺を待つから…と言ってここで暮らしていたんじゃないか。…そう言ってみた。
けれど、そのどの言葉にも、彼女は首を横に振るばかりだった。知らない、と。白ひげの事は知っている。けれど、あなたの言う話のどれも私は知らない、と。
そもそも、あなたの事からして、知らない、と。
そして気が付いた。
この世界の記憶から、俺という存在が抜け落ちている…という事に。
島の民も海兵も、だからこそ俺を見ても笑顔すら浮かべられたのだ。
彼女の家から逃げるように離れ、他の住民と少し話しただけでそれに気づいた。
俺は死んで、そして何故か蘇り、けれど世界は俺を忘れた。
どういうわけか…
それが、この世にいる神が、死んだ俺に与えた奇妙な優しさ≠ニいうものらしかった。