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未来に大きな花束を
「ただいま」

って言ったら、ロー先生はすぐに眉根を寄せて持っていたカルテを挟んだバインダーで私の頭をカツン…容赦なく打った。しかも角で、だ。普通に痛い。
「ただいま、じゃねえだろうが」
その対応に、暴力反対と言わんばかりにロー先生を睨みつけてみるも彼はハー…と大げさなため息を吐きつつ私よりも数段威力のある目でこちらを睨み返してそう言ってきた。
「ここはリムの家じゃねえぞ」
そうも言った彼に私は掛け布団から掌を出して広げながら「じゃあセカンド・プレイス」と言い、ロー先生に体温計をそこへ置いてもらった。「…そりゃ学校のことだろ…。お前にとっては」。ロー先生はハァ…とまたため息を吐きつつ、今度はバインダーじゃなくて軽く握った拳でコツン…私の頭を小突いた。
「それに前も言ったろ?…ココに来るほど無茶するんじゃねぇって」
「そうだったね」
私は少しだけ久しぶりに会えたロー先生のいつもの仕打ちを受け止めながら、口角をあげてえへへ…と笑ってみせた。

この度通された素っ気ない病室では、体温計の終了サインを告げる音は小さくも明瞭に響いた。
おでこに触れたロー先生の手は少し冷たくて、反対に私の身体は全体的に火照っているため熱い。頻繁にここへは来るな…とはロー先生に毎回退院の時に言われるけれど、何の前触れもなく突然に体調を崩す事は私自身にもどうしようもできないことであり、そして本日、その自分の意思で決してコントロールのできない不調により私は速やかにこの場所へと送り込まれたところだった。
今のこの状況ははっきり言って怠くて、苦しくて、簡単な会話をすることさえ大変だ。けれど、それらはいつも通り≠フ事なので私にとっては慣れた辛さ=Bだからそんな中であっても、私は他愛もないことをどうにか話したり、どうにか笑ったりできている。
私は、いつしか顔見知り程度から担当医にまでなったロー先生と親しげに話せるようになるくらい、ロー先生に私の事を名前で呼んでもらえるようになるくらい、セカンド・プレイス≠セと言ったことが過言ではないほど昔からこの病院にお世話になっていた。最初は研修医だったロー先生も今や本当のお医者様。今回ちらりと見てみた名札には何と「主任」の文字が入るようになっていて、それにはロー先生との交流がいかに長いかを私は実感させられた。私がその名札をじ…と見ていることに気が付いたのか、ロー先生は小さく笑うと「つい先月からだ」とこちらが何か言う前にそう言った。

「おめでとう…なんだよね?やっぱり」
「まあな」
「じゃあ、おめでとう。主任先生」

私がどうしても掠れてしまう声でそう言うと、ロー先生はまた小さく笑い私の手から体温計を取ってちらりと表示を確認すればほんの一瞬だけ顔を歪めた。すぐに元の顔には戻していたけれど、残念ながらその変化を私は見逃さずしっかりと見てしまっていて、けれどその事についても慣れているから気にはならなかった。「主任クラスになったら顔に出ないようにしないとね」。なのでそう言ってやるとロー先生は「そうだな…」と呟いてカルテに数字を書き込み、「おとなしく寝てろよ」と一言言って後は黙ってここから去って行った。

一定の温度に保たれた質素な部屋に、うなされそうなくらい怠い身体で一人取り残されると、途端に何もかもに見放された気になってしまうがそれも私は慣れていた。
だから気にはならない。

…だから、今回の入院も、どんなに怖くてどうしようもなくなってもきっとどうにかやり過ごせるだろう。





他の人よりも体力がなく病院通いばかりであるこの人生を不幸に思うことは何回もあったけれど、病院でロー先生に会えたことは幸福だったと私は思っている。ここで初めて彼と対面したとき、私はやっぱりベッドの上で高熱にうなされていたのだが素敵な男の人を目の前にした事には純粋に浮かれていた。病弱でもあっても女子は女子、なのだ。
「先生カノジョいる?」
「はぁ??」
ぜえぜえと息を切らしている患者に開口一番そう聞かれて、ロー先生は今思えばさぞかし驚いたに違いない。私の発言にしばし言葉を失った研修医≠ニ記載された名札を下げたロー先生は、わずかな沈黙のあと「いない…ですね」と答えた。
「あのね。嘘つかなくていいんだよ。私に生きる希望を与えようとかそういうの、いらない」
嘘。いないわけない。
だから思わずそう言うと、ロー先生はまたしばし言葉を失った後呆れたように片端の口を持ち上げて失笑すると、「そういうのじゃない。単なる事実です」と言った。

「嘘…。かわいそう」
「お前…失礼なガキだな」

真面目口調を貫こうとしていたのかもしれないが、私のその後の発言で一気に外面らしきものを崩したロー先生は、柔和な顔から酷い顰め面へと変化させ初日から素であろう言葉づかいになった。その砕けた口調が私にとってとても嬉しかっただなんてきっとロー先生は気付いていないだろうね。
「ここの看護師はキレイどころが多いよ。よかったね」
「あーそうだなハイハイ。ガキは寝ていろ」
私は真実であるからそう言ったのだけれど、ロー先生は適当でしかない返事をしてその後は静かに部屋から去って行った。


それからは入院するたびにロー先生が回診に来てくれて、顔を合わせればまず「カノジョできた?」と聞くことが習慣となった。その度にロー先生はピシ…と顔を引きつらせながら「いねぇよ…」と舌打ちと共に返し、相変わらず生意気なガキだ…と悪態をつく。「寂しいねぇ。ちなみにこの階担当の看護師でカ…」「ホラ、体温計だ」。そして私がせっかく耳よりな情報を教えてあげようとするのにその言葉を遮りながらロー先生は体温計をこちらへ押し付けてきて、心音以外聞く気はない…とでも言いたげに聴診器を耳に当てる。私が蔑ろにされたことに膨れていると、微かに笑ってお決まりの「ガキは寝ていろ」という言葉を言い放ち、静かにこの場から去って行く。
私にもう少し体力があれば手を伸ばして翻った白衣の裾を引きロー先生を引き留めることができたかもしれないけれど、私は残念ながら入院当初は大抵起き上がることすらできないし、だからいつも私はロー先生を見送る事しかできない。



今が秋なのか冬なのかそんな事すらわからなくなってしまいそうなくらい一定の温度に保たれた院内。私は床の模様を見つめながらあとどのくらいロー先生と顔を合わせられるのかなぁということを考えた。
投薬された薬のお陰でずいぶんと身体は楽になった。けれどやっぱり私には人並の体力もなくて廊下を少し歩いただけで息がすっかりあがってしまい、そして今回はその事がこんなにも悔しいと思っている。

待合の椅子に座って息を整えていると、見知った看護師が私を見つけるなり即座に顔を強張らせながら私に駆け寄って来てくれた。けれど私は無理くりに平気な顔を作って心配そうにする彼女に何でもなさそうに笑って見せた。本当に大丈夫?うん。今はわりと調子がいいの。…だなんて笑顔のまま言うと、彼女は少しだけ躊躇うも暫くすれば諦めたのか困ったように微笑んでここからゆっくりと去って行った。
息が落ち着いたところでまた歩き始め、エレベーターに乗って自分の部屋のある階で降り、ふらふらしながら歩く。もうちょっとだ。あと少し。…そう思っていると、急に空気が揺れる気配がして後ろから私の持っている荷物を素早く奪い取る人がいた。

「…あ」
「…リム…お前、何やってる」

それはロー先生で、彼は私がさげていたビニール袋を手に取るや否や怒った顔でそう言った。「看護師が連絡してきたぞ??寝てろと言っただろ!」。その怒った顔がひどく歪んでいて可笑しかった。だから笑いそうになって、でも笑えなかった。ああ、ロー先生の顔が歪んでいるんじゃなくて私の視界が歪んでいるのか…。そのことに気づいたとき、途端に酷い眩暈が襲って足の力が抜け私は床にへたり込んでしまう。
「おい!!大丈夫か?」
傍らのロー先生の焦る声が遠くから聞こえる。「おい!誰かいねぇか?!!」。冷たいロー先生の手が私の顔や手に触れて、こんな事感じてしまうなんておかしいけれど、その感触がどうしようもなく火照った身体に心地いいなと思った。


「あのね先生……、それ、先生にね…プレゼント」
「何…言ってる」
「今、先生が持ってるやつ…。お祝い…の、花なの。あげるね。主任になったから…」
「…」


本当は病室でロー先生と会ったとき、ジャーンとでも言いながら渡したかった。けど残念ながら病院にある花屋への往復すらできないほどに私は力がなかった。でも誰かに頼むんじゃなくてどうしても自分の足で自ら買いに行きたかった。車椅子なんかも使いたくなかった。…でも結局こんな事態になってしまったからロー先生には結果として迷惑をかけただけでしかない。


「もう…、次回はロー先生が私の担当じゃないね」


そしてハァハァと苦しくなり続ける呼吸の中、寂しい気持ちを隠しながらそう言った。
病院に居慣れている私だから、主任レベルになった外科医の先生が日々の回診を担当しなくなる事くらい簡単に理解できる。だからきっと今回の入院でロー先生に会えるのは最後。あとはここへ再び来ることになってもきっとロー先生とは会えない。どの医者もさじを投げるような症状であるらしい私に突き付けられている現実は、延命になるのかすらわからない投薬による治療を入院するたび続けるだけ。
だから、最後に、何か記念になるものをあげたかった。今思えば、無茶でもして彼の記憶に残りたかったのかもしれない。
ロー先生と会えることが、私のこの場所での唯一の楽しみだった。
ロー先生がいれば、怖い事も怖くなく感じられた。
長い長い…、本当に正真正銘、私にとっての最初の恋…だった。



「勝手に決めるな。今後も俺が担当だ」



するとロー先生は誰かが運んできたストレッチャーに私を担いで乗せてくれながらそう言った。え?その言葉に思わず失いかけそうになった意識が不思議な力で現に留まり、緩慢に瞬いた瞳の先ではロー先生がニィ…と笑う姿が見えた。


「今回やっと有効な術式が見つかった。俺が執刀する」
「…え?」
「助かるんだリム。言っておくがな、見ての通り俺は優秀だ。だから安心して…」

今は寝てろ。

そう言いながら緩く握られたロー先生の手がゴツン…私の頭を小突いてその後わざと強い力でそこをグリグリと痛めつけてきた。
もう…。
バインダーより痛いし、自分は優秀だとか自ら患者に言ってくるなんて…本当に……ありえないよね。







病院の扉が開いて吹き込んできた外の空気は、秋の終わりと冬の始まりを感じさせるように冷たくて私は思わず首をすくめた。久々の外気に適温に慣らされた身体が驚いて縮こまるのが分かる。
入院当初におぼつかなかった足どりはいつも退院時には少しはマシになったと感じる程度に回復するのだけれど、この度はいつも以上にしっかりと大地を踏みしめることができている上に私の顔はまっすぐ前を向いている気がする。そして、目の前に広がる世界はとても鮮やかに美しくこの目に映っていた。

振り返るとロー先生が立っている。私が手を伸ばすと、先生は持ってくれていた荷物を差し出してくれながら「言ったことを守れよ?」と念押ししてきた。私はその言葉に作り笑いなんかじゃない笑顔を浮かべた。

「よく食べてよく寝て無茶しない、でしょ?簡単すぎ。わかってるわかってる」
「…わかってねぇからいつも入退院を繰り返してんじゃねえのか?とりあえずお前は一に食事、二に食事だな。もう少し線を太くしろ」
手術に耐えられねえぞ…。
そう言いながらロー先生は私の手足を一瞥して言った。わかったわかった。私は苦笑いしながら骨の目立つ自分の手を見つめてそう返した。そして、ふとある事に気が付いて「あ…」と声を上げつつパッとロー先生を見上げた。

「そう言えば先生」
「あ?」
「カノジョできた??」

遅ればせながらのいつもの質問。
今回はロー先生が主任≠ノなっていたことで、もう自分を担当してもらえなくなるんだ…という動揺から私はうっかりそれを聞くことを忘れていたのだ。

「…」

ロー先生はしばし呆れたように言葉を失った後、はぁ…と息を吐きながら「できねぇなぁ…」と言った。私は思わず吹き出してしまう。
「相変わらず寂しいね!」
「そうだな」
「じゃあさぁ…」

私は背後で私の名を呼んだお母さんの声に振り返り「今行く!」と手をあげた後、ロー先生へと向き直ってこの度初めて彼の白衣の裾をくい、と引いてロー先生を見上げた。そして言った。


「なら…手術成功したら私が先生のカノジョに立候補するね」
「…」


先生が顔を顰めてまた言葉を失う中、「先生にも生きる希望≠あげる!」。そう付け加えてバイバイと手を振った。


いつも怖くてたまらない毎日を生きていた私に、確かな未来をくれた人。今日、病院をこんなにも期待に胸を膨らませて笑いながら退院できているなんて、本当に今までなかった事なんだ。
だからずっと心の奥底に仕舞って隠し続け、そのまま消していくつもりだったこの恋心も、窮屈そうに悲鳴を上げていたこの身の内から解放して冬の空へと大胆に放ってあげた。
この告白に先生がどう反応するかなんて今までの完璧な塩対応を知っている私にはわかりきったことだったけれど、声に出して告げた私の思いはやっと自由になれてとても嬉しそうだった。


「先生ー!大好きだよーっ!!」
「大声で言うな。ガキだな」
「だって本当だもん!」
「あーハイハイ」
「ずっと前から大好きーー!」
「……帰って寝てろ」
「えへへっ」


私は笑ってもう一度手を振るとロー先生に背を向けた。
多分、今までで一番の笑顔をロー先生に見せる事ができた。本当に嬉しいとそう思う。
そして元気になったら外の花屋で買った大きな花束を先生に渡すことにすると私は決めた。ありがとう…って息を切らさずに言いながら、ね。

その時聞く私の質問にも、あなたがいつも通り「いない」…と言ってくれればいいな。
そう思いながら私は未来へ向けて一歩、また一歩と歩みを進めた。



そんな私に深いため息を吐いているであろうロー先生の息遣いが背後から聞こえたけれど、そんなもの私はずっと昔から聞き慣れているから気にはならなかった。



「……ハァ…。好きだなんて最初から知ってるよ」




おしまい







あこさんへあとがき



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