mitei Don’t cross the bridge until you come to it | ナノ


▼ "no biggie", maybe I'll say it again and again

「『自分は普通じゃないから』っていうのは、本心でそう思ってるのか、それとも『周りとは違う自分カッコイイ』って無意識にでも思ってるのか、どっちなんでしょうね」

「解説しよう。今日のりょうくんがいつもより違った角度の辛辣さでおれは驚いている」

「みんな自分は普通じゃないって一度は思うものなんですかね」

「すごいスルーされた。ツライ」

なんでもない日。バイトでもない時間に勝手にやって来て、誰に問うでもなくただ口から零れ落ちた疑問、みたいなモノ。
ちょっと廊下で聞こえてきた会話がやたらと耳に残って気になっただけだ。詳しい内容なんて知らないが、やけにその一言だけがループする。
普通じゃない。普通じゃない。普通じゃない?

俺も、俺のすぐ隣で薄いキーボードをカタカタ言わせている真っ白なひとも同じ事を思っていたし、もしかしたら今も思っている。
普通ってなんだろう。

もう何語か分からなくなるほど頭の中で繰り返された問いは最早意味もあるのかどうか分からなくなって、何でそんなことを考えているのか、そもそもその問いが何処から来て結局は何処へ向かうのか分からなくなっていた。
あぁ、無意味だ。すごく労力を使うのに、かなり無意味なループに自ら嵌っていってどうするというのだろう。

馬鹿だ。
そんな漢字二文字、ひらがな三文字に俺もこのひとも酷く、いや程度は違うかも知れないが、それでも悩まされてきた。
今だって、これでいいのか迷う時は無意識にその「普通」とやらの指標を探している自分が居る。

透羽さんにこんなことを言って良かったのか。今更吐き出してしまった言葉の羅列は取り戻せなくて、後悔したって遅かった。
だってもう聞かせてしまった。

俺はきっと疲れてるんだ。
何に疲れているのかまるで分からないが、疲れていていつも以上に気が回らなかった。

だからといって何を言ってもしても良い免罪符になんてなりはしないのに。最低な発言をしたのかもしれないと、また頭の中をぐるぐると無意味な渦が踊り始めた時。
酷く優しく穏やかな声が隣から降ってきた。温かい雨のようだ。傘はいらない、差したくない。

「しんどいねぇ」

「………ごめんなさい」

「なんでりょうくんが謝るの」

「………」

何も言えなかった。何に対する謝罪なのか、自分でも分からないのに、ただ形だけを纏った言葉が宙に浮いたまま。

だけど透羽さんはそれ以上何も言わない。ふっと息を漏らした気配がした、と思ったらポンと頭を撫でられて、髪をくしゃくしゃにされる。
荒々しいのに嫌になるほどに優しい手付きで撫で回してくるものだから、振り払うに払えなくてただ、されるがままにする。

「ごめん、なさい」

「だからなんで、きみが謝るのかな」

「だって俺多分、いえ、確実に、苛立ってて…。こんなのただの八つ当たりだ…」

「嬉しい」

「…は?」

「りょうくんの八つ当たり。きみは何でも一人で抱え込みすぎるから、そうやってどんな気持ちでもおれに分けてくれるの嬉しい」

「でも、八つ当たりは…ダメでしょう」

「りょうくんのならいくらでも喜んで受け止めるよ。クッションだと思って、物理的に殴ってくれてもいーよ」

「………Mだ。Mのひとだ」

「いや別に、そういうワケじゃあないんだけど…。まぁちょっとは元気出てきたみたいで嬉しい」

薄いノートパソコンはいつの間にやら閉じた貝になっていて、透羽さんは透き通った髪を揺らしてただ俺だけを見つめていた。
覗き色の瞳には本当に何の嫌悪感も見られなくて、痛いくらいの優しさと穏やかさを宿して俺を見ていた。

恥ずかしい。
普段散々馬鹿にしてはいるけれど、このひとは俺なんかよりもずっと大人だ。

多分色々なことがあったのだろうけど、そういう苦労なんて微塵も出さないでたまに俺の弱いところをこうやって包み込んでは撫でてくれる。
それが少し、腹立たしい。

今日、帰る直前。
廊下で楽しそうに話しているグループがあって、その隣を通り過ぎようとした時。たまたま聞こえた、ワンフレーズ。

『いやぁ、俺って普通じゃないってよく言われるからさぁ』

まるで自慢するような口振りでそう言う彼に周りはきゃっきゃと楽しそうに笑って、肯定するように相槌を打っていた。
会話の細かい内容なんて知らない。分からないのに。

あの言葉を聞いてからどうしてか俺の中で、得体の知れない黒い煙みたいなものが燻り続けている。

決め付けは、良くない。
もしかしたら明るく振る舞っているだけで、本当に辛い何かを隠しているのかも知れないし、真剣に悩んでいるのかも知れない。
だけど冗談めかして言うものだから、単純で視野狭窄になっている俺にはそんなバックグラウンドは残念ながら見えなくて、何故だか息がし辛くなって、気付いたらここに居た。

丁度お客さんは誰もいなくて、俺が玄関口に立つと同時に分かっていたかのように透羽さんが扉を開いた。
女子大生でもおじさんでもおばあさんでもない、彼本来の透羽さんの姿で。

暫く無言で彼に体重を預けていた俺を質問攻めにするでもなく、ただ淡々とキーボードを打ってたまにチョコを分けてくれていたこのひとは、一体どこまで見通しているのだろう。
そうして糖分を取り込んだ俺の口から発せられたのは、冒頭の言葉の刃だった。

それをいつものテンションですらりと受け流してしまうこのひとはやはり優しさの塊が不均等に固まってしまっている。
自分にもそれを使えばいいのに、俺などに惜しげもなく注いでしまうのだ。

やめてくれ、と思いながらも甘えることに抵抗が出来ない自分が嫌になる。嫌になったら、またあの手が伸びて髪をくしゃくしゃにしてくる。
いいんだよ、と何度でも言い聞かせるような言葉の無い言葉に、知らず知らずに目頭が熱くなってしまう。

「苦しいなら苦しい、嫌なら嫌って言うことをオススメするよ」

「でも、なににくるしんでるのか、分からないときは…?」

「分かんなくても、今、りょうくん苦しそうだよ」

「とわさんがそう言うなら、そうだとおもいます」

「自己判断、出来るようになろうねぇ。今はまぁ良しとするけどさ」

スッとティッシュの箱を差し出される。何だ、泣いている人にするみたいな行動だな。
そう思っていたら、いつの間にか水滴がソファーを濡らしていた。泣いてるのか?このひとが?違う、自分がだ。

「…りがと、ございます」

「…おれも、りょうくんも、不器用だからなぁ」

「俺は、とわさんほどじゃ、ないです」

「泣いててもキレが変わらないのがすごいよ…。そして否定も出来ない…」

ずずっと鼻を啜る俺の横でゴミ箱を差し出しながら、透羽さんはまたふっと息を漏らして笑った。
このひとは、「普通」が欲しかったのだといつか俺に言ってくれた。

俺も、「人とは違うのだ」と幼いころから突きつけられてここまで成長してきた。
具体的に何がどう違うのか分からないままだけど、それでも「変わっている」という褒め言葉か貶し言葉か分からない謎のレッテルを貼られてきたことを疎ましく思ってきた。

みんな、違うのに。全く同じならばそれは最早クローンだと、何かの歌の歌詞で聴いた気がする。
なのになぜ「普通」などという言葉が存在するのか。

それはある程度同じ長さの物差しが無ければ社会というものが上手く回らないのであろうことは分かるけれど、分かるつもりでいるけれど、余りにも「普通」という言葉が独り歩きしている気がしてならない。
一人一人の普通は、同じ尺度のようで結構ズレていたり、或いは全く違っていたりするものだ。

ある家庭の卵焼きは塩味なのに、ある家庭では甘口で、卵焼きという概念すら存在しない家庭だってあるだろう。

たくさんの物差しにたくさんの目盛り、その長さにピッタリ合うか、或いは多少の誤差はあってもある程度当て嵌まるモノ。
世界に大きな物差しがあったとして、その指標を決めるのは神様というやつだろうか。違うと思う。

きっと誰か強い力を持つ人の都合の良いように誂えたものが、そびえ立っているように思えてならない。
俺の思考は、結構歪んでいるのかも知れない。

「いきなり押し掛けて、意味不明なコト言って、すいませんでした」

「言い換えようか。バイトの日でもないのにおれに会いに来てくれて、苦しい胸の内を明かしてくれて、ありがとう」

「…怒らないんですか」

「怒って欲しいの?」

「怒ってるのを隠してるなら、言って欲しい…です」

「ふっ、怒ってないよ。ただそのもやもやを抱えたままおれに一言も相談されなかったら、怒ったかもなぁ」

「………」

「理由とか、はっきり分かることの方が少ないかもしれないね。苦しいのは、自分にしか分からないから」

「…お、れは」

「うん」

「すいません、なんで、こんな情緒不安定なんですかね…」

何か言う前にまた、水が滴り落ちた。分からない。分からないのに、必死に止めていた何かが決壊したみたいに目からまた溢れ出した。
ティッシュ、無駄にしちゃったな。でもいいや、また今度晩ご飯でも差し入れしよう。

「りょうくん」

「はい、ぅわ」

「ふっ、変な声」

「服、汚れますよ」

「りょうくんのなら、汚くないどころか聖水だよ」

「うわぁ…」

「あからさまにドン引きされた。ツライ」

言いながらも抱き寄せた身体を離そうとしないこのひとは、どこまで俺を甘やかせば気が済むのだろう。
頬に白い糸みたいな髪が当たって、心地好くて、耳元では透羽さんの呼吸の音がする。すぐ側で声がするのも心地好くて、涙は次第に引っ込んでいった。

呼吸がしやすい。なんて。
このひとはマイナスイオンでも放っているのだろうか。こんな汚部屋に住んでいるのに?

腕を背中に回し返すと、「よくできました」とお褒めの言葉を頂いた。ありがとうございます。

「俺には、人の苦しみなんて分からないんです」

「そんなの分かんなくていいよ。ただでさえきみは優しすぎる。これ以上はダメだよ」

「優しくなんか…」

「溢れ出るものは止めなくていいんだ。落ち着いたら、ちょっとだけ考えて、それでも分かんなかったら宿題にしよう?」

「宿題」

「そう。提出期限はナシ。そうでなくてもきみは、凛陽くんは頑張りすぎちゃうからね」

「先生はいつまででも待ちますよ」なんておどけた調子で言ってから、透羽さんは俺と顔を見合わせた。
濡れた頬を袖と親指とで躊躇無く拭いて、そこに軽いキスを落とす。音の無いそれは、本当に「よくできました」のハンコみたいだなと思って俺は少し笑ってしまった。

「ありがとう、ございます」

「おれも、ありがとうございます」

「なんでアンタが礼言うんすか」

「別に、ただそう思ったからだよ。ねぇりょうくん、」

はい、と俺が呟くと、透羽さんは薄い唇をゆっくり動かして言った。

「普通」も「普通じゃない」のも、苦しいね、と。

つまりどういうことだと俺が問う前に、彼はまた微笑ってみせた。酷く穏やかに、優しい声で。

「つまり、ツライ時は誰にでもあるってことだよ。普通でもそうじゃなく思えても」

結局みんな強くて弱いから。そういう時寄り掛かれる場所が必要なのだと。そうして透羽さんの時は俺が、俺の時は透羽さんが受け止められるクッションになれればいいなと。
そう言ってまた強く抱き締められたら、再びティッシュが必要になった。

あぁ、これは大きな宿題を出されてしまったものだ。

俺が小さく溜め息を吐くと、耳元で何度目かのふっと微笑う音が聞こえた気がした。

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