mitei 【藤倉くん】毎日の欠片 | ナノ


▼ ひとつひとつ大事に拾う、それだけの話。

「お前ってさぁ、」

「ん?」

「…んーん、やっぱり背高いなぁと思って」

こつん、と。

スニーカーの先が蹴飛ばした小石が、アスファルトの上を転がっていった。

いつだったか、俺がきみに選んだ靴。きみの為だけに悩んで考えて、あれでもないこれでもないと多くの中から選び抜く時間は割りと、いやかなり有意義だった。
あの日はきみと一緒だったから尚更。

よくよく考えれば、いや実のところなるだけ考えないようにしていたんだけど、俺の選んだものを他の誰でもない彼が身に付けてくれているという事実はとてつもない奇跡だ。
嬉しいとか少し恥ずかしいとかももちろんあるかも知れないが、そんな言葉では表現し切れない。

独占欲が完全に満たされるとまではいかずとも、緩くあいたままの蛇口からぽつりぽつりと水滴が零れ落ちるみたいに、俺の真ん中を絶え間なく潤し続ける。

少しだけ目線を下げれば見慣れたさらさらな黒い髪。
そうしてもっと目線を下げれば以前俺が彼の為に選んだスニーカー。

真新しかったそれも履き慣れてくると段々と彼の足に馴染んでいって、固かった布地も今では動きやすく適度にしなやかさを帯びているようだ。
初めこそ汚れ一つない真っ白だったつま先も、今では所々が薄黒く滲んでいる。

それでもたまには洗ったりしてくれているのだろう。履き慣れてこそきたが、目立った汚れが見当たらないところがまた澤くんらしいなぁと思った。
大事に使ってくれているんだと感じれば感じるほど、胸によく分からないものが込み上げる。甘ったるい綿菓子みたいな、春先の陽だまりみたいな、柔らかくて心地好いのに、ちょっとむず痒い。

まぁ、別に俺が選んだから特別大事に使ってくれているという訳ではないんだろうなぁってことは分かってるんだけど。

本当にきみというひとは真面目というか誠実というか…。物を大事に扱う彼の姿勢は、彼自身の誠実さをあらゆるところでよく表していると思う。

例えば彼は、俺の半歩先を履き慣れたスニーカーで歩く澤くんという人は、大事なモノをとても大事にする。
人であっても物であっても、想いとか関係とか、目に見えないものであっても。

本人はきっと無自覚なことが多いんだろうな。
仲の良い友達でもちょっと挨拶を交わしたことがあるくらいの知人でも、自身を傷つけたことのある相手であっても。
困っていれば迷わず手を差し出すし、相手の意思を何よりも尊重する。

そういった行為を当たり前のようにするもんだから、彼にとってはきっと呼吸するくらいに自然なことになってしまっているもんだから、彼は他人からの「優しい」という評価を素直に受け取らない。
「俺はそんなに優しくないよ」ってたまに自嘲したように笑うのを、俺は知ってる。

どの表情も瞬間も、全てを永遠にして写真に収めたいと思うくらい俺は彼のことを見ていたいけれど、あの表情だけはどうしても好きになれないし見たくない。
大事なひとが自分に刃を突き立てるのを喜ぶ奴がどこにいるというのだろう。

当然みんな、彼を慕う。危なっかしいくらい優しくて暖かくて、無自覚に周りを照らすような光。なのに本人の自己評価はおかしいくらい低い。
頭がおかしいんじゃないのかって言いたくなる程だ。もし言っても「何言ってんだ」って笑い飛ばされるかも知れないんだけど。

厄介だ。

あぁホント、だからこそ厄介な無自覚天然ひとたらしなのだ。

やれやれという気持ちでアスファルトを踏むスニーカーを眺めていると、不意にそのスニーカーの動きが止まった。
と思ったら、つま先が百八十度回転して俺の方を向く。

何だろうと視線を上げるとさらりと風に揺れる黒髪を携えて、澤くんが俺を見上げていた。

瞬間、ぐっと息が詰まる。だけど苦しくはない。寧ろ喉にすっと爽やかな風が通り抜けていったみたいで、肺一杯に綺麗な空気を取り込むように俺は深く息を吸った。
微かに香るのは、彼にしかない匂い。特別甘いとか清涼感があるとかそういう訳ではないけれど、この世で一番俺を安心させてくれる匂い。…まぁ時と場合によっては興奮も、するけど。

その匂いの主がじっと瞳に俺の姿を映していた。鏡みたいだが、こんなに抱き締めたくなる鏡が果たして他に存在するだろうか。ある訳がない。
でも何を考えているのか分からないから、その鏡が何かアクションを起こしてくれるまで俺に出来るのはただじいっと見つめ返して待つことだけだ。

触れたいのを我慢して、でも肺一杯にマイナスイオンを取り込むように息を吸って。匂いを感じて。

待っていると漸く、その唇が開かれた。

「うーん…。なぁ、その高さから見る世界って、どんな感じ?」

「え、どんな、とは?」

唐突な質問に分かりやすく狼狽えてしまった俺。

どんな感じ。
…どんな感じかぁ。

正直いつもただひとりを追いかけているだけだからどう答えていいか分からない。

「つむじが見えて嬉しい」とか、「話すとき上目遣いになってるのに悶えてる」とか、「大勢の中にいてもすぐ見つけてもらえるのが嬉しい」とか?
そんなことバカ正直に言っちゃっていいのだろうか。分かんないな。

俺が言い淀んでいるとそれを突然な質問に対する困惑と取ったのか、彼の方が先に口を開いた。

「ゴメン、変な質問したな。お前からすれば、その高さから見てる世界が日常だもんなぁ」

いきなりこんなこと訊かれても困るよなぁって彼は笑った。自嘲するような笑みじゃなくて、いつもの冗談を言い合う時みたいな笑顔で。
あぁ、この笑顔はすきだ。たまらなく。そりゃあもう、今すぐこの腕に閉じ込めてしまいたいくらいには。首筋に顔を埋めて思いっ切り俺の痕を残してやりたくなるくらいには。
これでも我慢した表現なんだけど。

「変な質問じゃあ、ないよ。そりゃちょっとは驚いたけど、そうだなぁ…」

俺から見た世界。この高さから見た世界、かぁ。

「何か思い付いた?」

「うん。上手く説明できないけど、今はすごくきれいだと思える。かな」

間違ってはいない。ただ俺の視野が狭すぎることは自覚しているけど、わざわざそれを今言う必要はないかなと思ったんだ。
まぁとどのつまり、俺はいつでもただひとりしか見ていないからそういう答えしか出てこないというのがホントのところだ。

でも、そうだな。嘘は吐いてない。
ちょっと顔を上げて彼の向こうにある空を見遣ると、少しオレンジがかった世界が広がっていた。まだ沈みきってはいない太陽が家々の影に隠れる前に、ただでさえ眩しくて堪らない彼をきらきら輝かせている。
いや違うか。逆だ。

この世界の中心にいる目の前のこのひとこそが、俺の見る世界を輝かせてくれている。

身長の高い低いは最早関係無い答えになってしまった気もするが、だって他に回答が思い当たらない。身長のことを加味するならばやっぱり先ほど一番に浮かんだ変態ちっくな言葉たちが羅列するのみだ。

「そっか。俺、お前がいつも見てる世界がどんななのかなってちょっと気になったんだけど。身長の違いとかでやっぱ違うのかなって思ってさ。でも俺今初めて…いや、改めてこの身長で良かったかもって思っちゃった」

だってこんなにきれいなお前の瞳を覗き込めるなんてさ、すごい特等席だよなぁ。なんて。

空へと向けた俺の瞳を見つめたまま、彼が放った一言は雷みたいだった。何でもないように放った言葉。

ハッと俺が視線を彼の顔へ戻すと、またふわりと笑った。細くなった鏡に俺は映らないけれど、確かに彼には見えているんだろう。
とんでもない不意打ちを喰らって呆然と口を開けた情けない俺の顔が、そりゃもうはっきりと。

居た堪れなくなって視線を落とす。と、そこにはやっぱりあのスニーカーが此方を向いたままで。
上を向いても下を向いても逃げ場が無くて、行き場の無い感情を逃がすように俺は「はぁ」っと溜め息を吐いた。

たまにこういうとんでもない不意打ちをしかけてくるのだ、勘弁して欲しい。
いや正直めちゃくちゃ嬉しい。だけどダメだ、頑張れ俺の理性。

本当にこの無自覚天然俺たらしくんは、どうしようもなく厄介なのだ。悔しい。仕返しがしたい。

さぁ帰ろうと、俺から視線を背ける彼。そのスニーカーのつま先が完全に俺からそっぽを向いてしまう前に掴んだ腕は、細いのに程よく筋肉がついていてすこし温かかった。
ちょっと力を加えただけで簡単に俺の方へ向き直った彼はやっぱり分かっていない。

いつもへらへらしたカオで隣に居る奴が、その中にどんなケモノを飼っているのかを。
そして完全に飼い慣らされてはいないそのケモノの檻は、彼の一挙手一投足でいとも簡単に壊れてしまうことも。

その檻から脱出しようとするケモノを抑えるのに、「おれ」がいつもどれだけ苦労しているのかも。

分かって欲しいとは言わないけどさ、ちょっとだけ零れた欠片までは防げないこともあるんだ。それだけは謝っておかなければいけない。

唇に触れた感触はさらりとしていて、閉じた睫毛にこれまたさらりとした黒髪が少し絡まった。汗の所為かな、ちょっとだけしょっぱい味がする。
顔を離すと、これでもかと目を見開いて驚きで固まったままのおもしろ…愛おしい姿があった。

してやったり。にやりと俺が微笑むと、我に返ったらしい彼は頬を押さえて少し声を荒らげる。

「だからっ!何でお前はいつもいつもいきなりっ!」

「それはこっちのセリフですが」

冗談めかして言うと彼はむうっと眉間に皺を寄せてしまった。あぁ、この表情もすき。たまらなくなる。

「…絶対、他の奴にはするなよ」

「なんで?」

「え、する予定あるのか?」

「どうでしょう?」

「…変態」

「チークキスだよ?アイサツだよ」

「日本ではメジャーじゃないし、本場でも本当にはしないって聞いたことあるんだけど」

「そ?じゃあここからメジャーにしていこう」

「え、まさか本気で…?」

他の奴にも…?と小声で聞こえた声が何とも愛らしい。ダメだ、語彙力がバカンスに出掛けてしまったみたいだ。
彼に触れるといつもこう。してやったりと思ったが、結局は自分にもダメージが来るのだ。
何とも心地の好いダメージだけど。

「ふっふふ」

「この、」

「変態だからね。だいじょうぶ。澤くんにしかしないよ」

というか、出来ないよ。

俺の言葉をどう感じて受け取ったのか、スニーカーを真っ直ぐ駅の方へ向けて彼は無言で歩き始めてしまった。
にやける口角をそのままに、俺はただその背中を半歩後ろから追い掛ける。

数メートル歩いたくらいで、やっぱり隣に並びなおした。うん、しっくりくる。

こつん、と、俺のつま先が道端の小石を蹴飛ばした。ころころ転がった先に咲いていた名前も知らない小さな花。
風に揺れるその隣に、もうひとつ小さな花が咲いていた。

色の違う花。
仲良く寄り添うそいつらに負けじと、肩を触れ合わせたら背中をつねられた。

あぁ、まぁ、うん。
頬でこれなら、他の場所だったら…。

「ふっ、」

「…何だよ」

「んーん。なぁんでも」

その反応はまたいつかの機会に楽しみにとっておこうと笑いながら、俺はまたそっと歩幅を揃えた。

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