初めの頃は、心踊るような心地で彼の待つ校門へと向かっていたが今日は違う。
まるで処刑台に向かう罪人のように、その一歩一歩がとてつもなく重い。
しがみついていたい、彼への執着心。
それが彼を苦しめているんだとしたら尚更早く解放してあげなければ、僕がこれ以上傲慢になってしまう前に。
一緒に居てくれるだけで良かった。
隣を歩いて、会話に相槌を打ってたまにこっちを見てくれるだけで良かった。
落ち着いたその声で名前を呼んでくれるだけで良かった。
…違うよ。
僕が彼に抱いていたのは、そんな純粋な好意じゃないよ。
別れ際、もっと僕と離れ難く思って欲しい。
触れて欲しいし触れさせて欲しい。
笑って欲しいし、僕だけを見て欲しい。
その瞳に他には何も映さないでただ僕のことだけを見ていて欲しい。
僕のことだけを考えて、他の子に笑いかけたりしないで。全部、全部欲しい。
だけど僕の全部をあげたって、きっと彼の全部には釣り合わないから。
始まりから唐突で歪だったんだ。
せめて終わりは綺麗に切り離せたら…綺麗さっぱり忘れられたらどれだけ良いだろう。
今日も今日とて待っていてくれた彼はいつもと変わらないまま。
隣を歩く僕がどれだけ醜い感情を持ち合わせているかなんてきっと露とも知らないんだろう。
好きだから一緒に居たい。それだけなのに、それだけじゃ足りなかった。
結局あの日のケンカの理由も教えてくれないままだ。
「僕には関係無い」ままだ。
道の途中で急に立ち止まった僕に合わせて彼もその足を止めた。僕の雰囲気がいつもと違うことに、聡い彼はきっともう気付いてる。
ぐっと全身に力を入れて、ありったけの力で拳を握る。震えてしまわないよう唇を噛み締めて、じっと彼の顔を見つめた。
やっぱり…僕を見つめ返すその瞳は少し険しい色をしていてまた胸がチクリと痛んだ気がした。
それでも。
嫌だ嫌だと抵抗する幼い自分を叱咤して僕は喉を震わせる。きっとこれが一番良いんだ。そう言い聞かせて。
「そうくんあのね。僕たち、わ、別れよう」
「どうして」
勇気を出して振り絞った一言に、予想外に食い気味に理由を訊かれてびくりと肩が震えてしまった。
駄目だ頑張れ、頑張るんだ僕。
「もう…いいかなって思って」
「もしかして…怖くなった?おれのこと。あんな場面見せちゃったから…」
「ち、違う!そうじゃなくてその、僕が!もう…飽きたかなって」
「あはは」と出来るだけ自然に笑って見せるけれどきっと酷く歪な笑みになってしまっているんだろう。
幼い頃から嘘が苦手だったから、今になって上手く吐ける訳もなくて。
それでもなるべく自然に、あっさりと終わらせてしまいたかったからこんな言い訳しか思い付かなかった。
別れる言い訳を、少しでもそうくんの所為にしたくなかったから。
「飽きたの」
「う、うん…」
「何に」
「ひっ」
瞬間、絶対零度の空気が辺りに立ち込めた気がした。思わず情けない悲鳴が喉から漏れる。
しかしすぐにふわりと大きな手の平が下りてきて、くしゃっと頭を撫でられた。
宥める様なその動作におずおずと顔を上げてみると、いつもは無愛想で表情筋が仕事をしていない彼の顔がほんの少し悲しそうに歪められている…ように見えた。
「ごめん。怖がらせた。ちゃんと理由、教えて」
これは…もう嘘は吐けないみたいだ。観念した僕は本音を紡いだ。きっとまだ震えている声だけど、急かすこともせず彼は耳を傾けてくれている。
「そうくん、無理して僕と付き合ってくれてるんだろう?僕はそうくんと居られてすごく楽しいし嬉しかったよ。だけど何よりもそうくんが幸せじゃなきゃ、意味無いから」
僕と一緒だと、きっとそれは叶わないだろうから。
押し付けたくなかったのになぁ。これじゃあまるでそうくんの所為で別れるみたいだ。だから嫌だったのに。
せめてもうちょっと上手く嘘が吐けるニンゲンだったら良かったのに。
「それが本当の理由?」
「…ごめんね」
今まで縛り付けてきて。無理をさせて、側に居させて。
こんな風にしか、貴方の幸せを願えなくて。
不器用で、ごめんね。
その全ての意味を含んだ「ごめんね」を、彼はどう受け取っただろうか。
震えそうになる身体にふっと漏らされた笑い声のような吐息が降ってきて、冷えていた身体にまた温度が戻ってくる心地がした。
温かい…。いや本当に、物理的にも温かい。
抱き締められたのだと、頭の悪い僕が理解する頃にはもうすっぽりそうくんの腕の檻の中だった。
「じゃあもう、我慢しなくていいんだね」
「がまん…?」
「ちょっと借りる」
「あ、えっ?うわ」
背中に回された腕が僕の尻ポケットへと伸びて、四角い箱を奪い取った。
僕を抱き締めた体勢のまま何かを操作するとすぐにスマホをポケットに戻し、彼は腕を引いて歩き出す。
僕の家とは反対方向の道を。
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