mitei 残夜 | ナノ


▼ 4

嫉妬する顔どころか、彼の笑った顔なんて見たことはなかった。ずっと見たいと思っていた。なのに。

なのにこんな形では望んでいなかったんだ。

いつものように校門で待ってくれているそうくんの元へ向かうと、その側に一人の影が見えた。女子生徒だ。手に何か持っている。…手紙、だろうか。

僕は咄嗟に木陰に隠れて、気付かれないように二人の様子を窺った。覗き見なんて良い趣味とは言えないが、今僕が出ていくことによって二人の邪魔をしてしまうのは気が引けたし、何より…。珍しくそうくんが人と話しているのが気になってしまったのだ。

いつもはどれだけ色んな人に囲まれてもツンとした態度で誰とも取り合わない彼が、クールで無愛想な彼が、話している。
特定の誰かと、親しげに。

しかも相手の女の子は少し頬を赤らめていて、そわそわと落ち着かない様子だ。
ここからは会話の内容は何も聞こえないけれど多分、告白だろうな。

そうだ思い出した。あの子、僕と同じクラスの子だ。確か写真部に所属していて、普段は大人しく成績優秀な女の子。
僕の斜め後ろの席だったような…。

少し話したことはあるけれど、名前が思い出せない。しかし人柄は良かった印象がある。

そのクラスメートがそうくんに…。
僕と彼が一応恋人同士であること、彼女も知っている筈なのに何もこんなところで。

いや何かの間違いだ。
きっとそう。そうであってくれ。

ジクジク痛みつつある胸を抑えつつ二人を見守っていると、胸の痛みは確かなモノに変わってしまった。

少しの会話の後女子生徒が手に持っている封筒を手渡すと、一瞬。ほんの一瞬だが、そうくんの顔が僅かに綻んだのだ。

頑なに閉じていた蕾がふわりと花開く様な笑顔に、封筒を手渡した女子生徒だけでなく道行く人全員が釘付けになる。

だけど僕だけはその美しい花を愛でる余裕なんて無かった。
正体の分からない靄の様だったモノが確かな形を得てトゲトゲした石になって、僕の身体の中心で暴れ出す。それを抑え込むのに精一杯で、浅い呼吸を整えるので必死だった。

彼が笑った。
ずっと見たかった顔だ。

そうくんが、あの眉一つ動かさないクールで淡白な彼が。僕の彼氏がやっと笑った。

僕以外の人の前で。

どくどくと五月蝿い鼓動と背中を伝う冷や汗を気持ち悪く思いながら木に凭れていると、僕の横をパタパタと誰かが駆けていくのが視界の端に映った。あぁ、彼女だ。

一瞬で顔は見えなかったけれど多分、彼女は嬉しそうだった。
告白したの?それで、成功したの?

「付き合って」って言って、「いいよ」って返してもらえた?

あの日の僕みたいに。
…いや、あの日の僕ですら貰えなかった笑顔も一緒に?

僕の彼氏は…そうくんは、彼女のものに、なったの?
いいや、もしかしたらそもそも彼は…。

「苦しい。…そうくん」

突然出来た僕の彼氏。
僕はそうくんのことが大好きだったけれど、やっぱり貴方は違ったのかな。

「…朔?」

「あ、そ、そ、うくん…」

「どうした?顔色が悪い」

立ち尽くす僕に気付いてくれたらしい彼が長い足で此方に歩いてきた。いつも以上に吃る僕を不審に思ったのか、僕の顔を覗き込むなり珍しく心配そうに眉を下げる。
その瞳の奥に本当に心配の色が見えた気がしたのはきっと僕の願望が見せた幻覚だ。

それにしても今日は本当にどうしたんだろう。彼の表情がこんなにたくさん見られるなんて。

例え幻覚でも…僕のことを心配してくれている。

その事だけでさっきより幾分か楽に息が出来るようになって、僕は精一杯何でもないように振る舞って彼に向き合った。
赤い髪が、夕方のささやかな風にまた簡単に揺れて靡いている。

「なんでもないよ。帰ろっか」

僕の顔を見たそうくんの目付きが一瞬険しくなったように思えたが、それも気のせいだと言い聞かせてその日はいつもより足早に家路に着いた。
横顔に突き刺さる訝しげな視線を一身に感じながら、口だけでもいつも通りの他愛無い会話を心掛けて。

「あのさ、朔」

「あぁ、もう着いちゃったね。じゃあまたね、そうくん」

何か言い掛けた彼の言葉を遮って鍵を開ける。いつもなら絶対そんなことはしないのに、今だけは何も聞きたくなくて。
想像するどの言葉も自分には痛くて聞きたくないものばかりだったから、早く逃げ出したくて顔を振り返ることもせずに扉を開けた。

いつもは家に着くなりさっさと自分の家に向かってしまう彼もその日は何故だか、僕が家に入るまでずっと僕の背中にその視線を向けていた。
変なの。いつもは僕が彼の背中を見つめていたのにな。

「おかえりお兄ちゃん」

「…ただいま」

「酷い顔だよ」

「ごめん…。大丈夫だから」

「大丈夫ならそんな顔しないよ」

「そうだよな…。でももう少ししたら、大丈夫になるから」

「…そっか」

優しい妹はそれ以上追及せず、ただピンッと僕の額にデコピンをお見舞いしてからそっと微笑んで自室へと戻っていった。多分「無理するな」っていう意味なんだろうな。
結構痛いんだけど、お陰でちょっと冷静になれそう。

ちゃんと彼の話を聞けば良かったんだ。
もしかしたら違ったかも知れないのに。

自分が傷付くのが怖くて、臆病な僕は彼の言葉を聞くことすら拒んでしまった。

身勝手でごめんね、振り回してごめんね。

…もう、解放してあげなくちゃ。

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