俺の恋人は、結構困った人だ。
「またかぁ…」
帰宅後、リビングにある大きめのソファに伸び伸びと横たわるその姿を見つけて、俺は小さく溜め息を溢した。
もう何度目かの光景に驚きこそしないが、正直いい加減にして欲しいという思いが溜め息となって溢れ出てしまったのは許して欲しい。
なるべく音を立てないようそっと鞄を置いてソファに近寄る。テレビは点いていなくて、カチコチという秒針の音と、何とも気持ち良さそうな彼の寝息だけが部屋に響いていた。
本を読んでそのまま寝落ちしてしまったのだろう。彼の片手の下には薄い文庫本が挟まっている。すうすうと聞こえてくる規則的な寝息は、彼が眠りについてからそこそこに時間が経っていることを示していた。
別に昼寝する姿なんて何度も見てるし、これだけなら微笑ましいなと思う。
だけど問題は…。
ごくりと喉を上下させて、俺はそうっと視線を落とした。
見えたのは、捲れた服の隙間からちらりと覗く脇腹。
あの日と変わらない、日に焼けていない薄っすらと筋肉のついた彼の素肌。いや、あの日と違うところと言えば昨日俺が付けた赤い花がまだ残っているところか。
全くこの子ったら…。
俺はそっと捲れていた服を元に戻し、彼に毛布を掛け直してやった。勿論、無音カメラアプリでばっちり撮影した後で。
こんな格好で寝てお腹を冷やしたらどうするのとか、風邪でも引いたらとかいう心配も勿論ある。
だけどそれ以外にも、こういった光景を見る度に俺自身が毎回試されているようでならない。
いくら恋人になって随分経ったからと言って、俺が二十四時間三六五日、年中無休できみにムラムラしてるって教えてやった方がいいのか?
いつだってこの無防備な姿を見る度に我慢が効かなくなりそうなのに、そんなみっともないところを知られたくなくて涼しいカオしてこっちは必死で耐えてるっていうのに、この試練。
一緒に暮らし始めてからそんな俺の我慢なんて露とも知らない素振りで何度も何度も試される俺の理性。いくら恋仲とは言えど、もうちょっと危機感持って欲しい。
いや、距離を置いて欲しいとかじゃなくてね。拒絶なんてされた日には俺は電源を無理矢理切られたみたいにフリーズしてしまうだろうしそんなこと考えたくもない。
だけどさ、流石の俺でも昨日の今日で彼に無理させたい訳ないじゃないか。だってその所為で疲れて昼寝しちゃってるのかもしんないし。
でも寝るなら寝るでちゃんと布団被って欲しいし、こんな誘うように無防備な寝相を晒さないで欲しい。
ホンット無防備なんだよなぁ、学生の頃から。
それだけ気を許してくれてるのかと思うと勿論嬉しくもあるが、その分心配でもある。
この子ってば俺のこと信用し過ぎじゃない?ヤバイにやける…。
おっといけない。寝顔は何時までも見ていられるけど、俺の理性が飛んでしまう前にそろそろ起こしてあげないと。
「おーい、優臣くーん?もう夕方ですよー?起きて、夜眠れなくなるよ」
「…ん」
唇から発せられる吐息のような声さえ艶やかさを帯びていて、その声ごと今すぐに飲み込んでしまいたくなる。
が、そんなことをしてみろ。絶対また止まれなくなって彼に負担を掛けてしまう未来しか見えない。
俺は自分を落ち着かせる為にもう一度ゆっくり息を吐いて、まだ夢から醒めていないらしい恋人の肩を優しく揺すった。
「起きて?ご飯作るから、一緒に食べよう」
「んんぅ…。あれ、フジ、クラ…?」
あれ、名字呼び?それはそれで学生時代に戻ったみたいでグッとクるけど…。
いや、そうじゃなくて。
ゆっくりだが、やっと瞼を開けた彼はまだ半分夢の中のようだ。そっと顔を覗き込んで額に軽いキスを落とす。
「そうそう、貴方の藤倉くんですよー」
「え?あ、おかえり…」
「ただいま。またお腹出して寝てたよ?気を付けてって何度も言ってるのに」
「ごめ、夢…見てた。何か俺薬屋さんで、寂れた教会で…お前は猫で…」
「ぶっ、俺猫なの?」
唐突に話される夢の内容に思わず吹き出してしまった。全く彼といると飽きるっていう事がないなぁ。
彼の夢の中では、どうやら俺は猫だったらしい。猫っ毛って言われることはよくあるけど。
というか、どっちかと言わなくてもネコはそっちなのに?何て下世話な冗談を言う前に、寝惚けたままで彼は続けた。
「ん、そう。猫…なんだけど。何かすんごい強い悪魔?らしくて、俺、祓い屋なのにお前に懐かれて…それで、えと。………あ」
「ん?」
言いながら、彼の顔がぼっと赤くなった。どうやらその先は言えない内容の夢だったらしい。例えその相手が俺だとしても嫉妬してしまうな。
「夢の中でも、やっぱりお前は変態だった…」
「ふはっ、あはは!ひどいなぁ。否定しないけど」
現に今も直ぐにでも昨日の続きをしてしまいたいくらいだしな。
なんて言葉は飲み込んで、彼に顔を洗ってくるように促した。寝起きの黒髪はあちこちに跳ね上がっていて、指先でつついてもぴょこんと元の場所に戻ってしまう。
それだけでも可笑しくて、俺はまた「ふふっ」と息を漏らした。
彼の奔放な髪に夢中になっていると、ふと手が伸びて頬に少し温かい感触が触れてくる。
そうっと頬を撫でられるのかと思いきやふにっと柔く摘まれてしまった。
痛くは無いが、摘んだ張本人はどこか不機嫌そうに頬を膨らましている。それがまた面白くて、髪に触れていた指先を下ろして膨らんでいる頬をふにっと押した。軽い仕返しだ。
ぷっと彼の口から空気が漏れる。あぁ可愛い。
恥ずかしいのかまた顔を赤らめて、睨みつけてくる潤んだ瞳さえ愛おしい。
「変態なだけじゃなくて意地悪だ」
「ぶふっ、ごめんて。でもそっちもそっちだからね?俺何回も言ってるでしょ」
「何を?」
きょとんと首を傾げた彼は本気で何のことか分からないらしい。
全くこれだから心配が尽きないんだよ。
本当、これから何かペナルティでも設けた方が良いだろうか…。
「ふーとーんっ!昼寝するのはいいけど、ちゃんと被ってっていつも言ってるでしょ」
「被ってたじゃん」
「俺が掛け直したんですぅ」
「そうなの?ありがとう」
「どいたま。じゃなくてぇ!」
「何?」
「またお腹出てた。風邪引いたらどうするの」
なんて、一番の心配事はそれじゃないんだけど。
「えー、平気だよ。冬でもないし、部屋快適だし」
「そうじゃないんだよなぁ…」
はあぁっと大きな溜め息を隠しもせず項垂れた俺を心底不思議そうに見つめながら、彼はまたこてんと首を傾げた。
俺だけがこんなにも意識してるのか?そうだとすると、ちょっと、いやかなり悔しい。
「えと、俺何かしたか?」
「俺がナニかしそうなんだよ…」
本当に、ただでさえ薄っぺらい俺の理性をハンマーで思いっ切りぶち壊しに来るのは止めて欲しい。
完全なる俺の我が儘かも知れないけどさ。
余裕無くてゴメンね。でもそれくらいいつもきみに触れていたいんだよ。
全身でその温度を感じていたいんだよ。
「んん?」
「あのさぁ、寝てる間に俺に襲われても知らないよ?」
「おそ、え。………えっ?!」
暫くして、彼がまたカッと顔を赤くさせた。漸く意味を理解してくれたようである。
「そういうこと。今度からはちゃんと肌蹴ないようにしてよね」
これで良かったかなと油断している俺の鼓膜にいつもより小さな、少し震えた声が届いた。
「別、に…。お前だから、いい」
「くっ…!」
余りの爆弾発言に、俺は額を押さえて天を仰いだ。
あぁもう、だから心配なんだよ!
本当に俺の恋人は、かなり困った人だ。
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