mitei 音の咲く場所 | ナノ


▼ 7

連れて来られた…じゃないや、お邪魔した部屋は、何とも簡素な作りだった。
玄関のすぐ横に台所がある。少し傷んだ畳は色が褪せ始めていて、四角い窓から入り込む西日が部屋をオレンジ色に染め上げていた。

何も敷かれていない床に、簡易的なローテーブルと本棚、それから衣装入れみたいなクリアケースが部屋の端っこに積み上げられている。
何ともシンプルで物が少ない部屋に折り畳み式のシングルベッドが一つ。

畳のある部屋にベッドって、意外と違和感無いんだな。
何てまじまじと部屋を観察しているとくいと腕を引かれてそのシングルベッドに座らされた。キシッと音がして、壊れてしまうんじゃないかと少し焦る。
銀色くんはというと、冷蔵庫の中に色々仕舞いながら何か探していた。

俺が何も要らないと言っても聞かず、結局買ってきたばかりのペットボトルのお茶を差し出される。
飲んでいいものか分からず手元で弄んでいると、彼が俺のすぐ隣に腰掛けてきた。

二人分の重さを受け取ったベッドがさっきよりも深く沈んで、本当に壊れてしまわないか心配になる。
だけどその心配もすぐ近くにある体温に打ち消されて、じいっと見つめられているのに気付きながらも俺は俯いたままポツリと呟いた。
距離が近いんだよなぁ、いちいち。右腕を少しでも動かせばすぐにでも彼の左腕にくっ付きそうだ。

あ、というかこのお茶お昼休みに銀色くんがよく飲んでるやつだ。好きなのかな。

「停学って聞いた。…一週間」

「そ。てーがく」

「大丈夫なの?ケンカしたって聞いたんだけどその…怪我とかしてない?」

おずおずと見上げてそう尋ねると、彼はまた切れ長の目を少し見開いた後薄っすらと口端を持ち上げた。
オレンジがかった部屋で僅かに舞った埃が、彼の後ろでふわふわ踊る。

「オレのこと心配してくれるの?相変わらず花芽くんは花芽くんだなぁ」

「心配っていうか…。そりゃするだろ」

「聞いただろ。オレはだいじょーぶ。怪我させた方だし」

「でも、自分からはケンカしないって聞いた。何かあったんだろ?」

言いたくないなら言わせたくないけど、きっと彼は悪くない。
自分から誰かを傷付けるような人じゃないし、仮に先生達の言う事が本当だったとしても、させたくて怪我をさせた筈がない。

そう言い切れるのは、彼がそういう人だって知ってるから。
知ってるなんて烏滸がましい考えだけど俺はそう思うんだ。

彼の何もかもを分かってるなんて言えないけど。でも彼は…俺の目の前で微笑むこの人は本当に優しい人だから。

「何で花芽くんが泣きそうなカオになってんの」

「そんな顔してた?」

「してるよ。…ちょっと、音も乱れてる」

「…?」

「でもこの音色も、悪くないかな」

銀色くんは優しい人だけど、言動がたまによく分からない。また何か、彼にだけ聴こえているのだろうか。
俺にも聴こえればいいのになぁ。

「手、繋ぐ?」

そう訊くと、彼はまた少し目を見開いた。噂と違って表情豊かなんだよなぁ。髪と同じ色の長い睫毛が瞼と一緒に動いて、少し面白い。

「きみはどこまで無防備なんだい」

「むぼうび?」

「いや、何で繋ごうと思ったの」

「いや、よく分かんないけど、銀色くんがその顔する時って大体俺の手握ってるから」

その顔、というのは何かに聴き入っているようなあの顔のこと。うっとりと、穏やかに瞼を下ろしてまるで優しい音色に身を任せているかのようなあの踊り場の彼のことだ。

「繋いでいいなら」

そう言うとひょいと俺の右手からペットボトルを奪ってローテーブルに置いた。
手元でくるくる弄んでいたから、あのお茶はきっともう温くなってる。

それからまた自然に俺の右手に自身の左手を重ねて、いつもみたいに指と指を絡ませた。
やっぱり同い年の筈なのに、こんなにも長さが違う。

「いつもこっちの手だね」

「いつもきみがそっち側に居るからね」

俺、何しにここまで来たんだっけ…。そうだ、先生に頼まれて一週間分のプリントとかを持って来て。

それで、それから…。

「そっか、分かった」

「何が?」

「俺、寂しかったんだ」

たった数日なのに銀色くんに会えなくて。
癒しの時間だった放課後の演奏会もいつの間にやら開催されなくなっていて。

先生に無理矢理言われてきた体でやって来たけれど本当は俺が、この人に会いたかったんだ。
手から伝わる温かさを感じながら漸く俺はその事に気付いた。いや、本当はとっくに気付いていたのを無視していただけかも知れない。

そっか、俺は寂しかったのか。だから彼に会えた今、こんなに満たされた気分なんだな。

「………」

「銀色くん?」

「…きみはこあくま学校を主席で卒業でもしたんですか」

「くまの学校?そんなの通ってな、ふぁっ」

右手の温もりが離れたと思ったら、急に視界から彼が消えた。
と思ったらさっきまで右手だけに伝わっていた温もりが全身に伝わってくる。主に正面から。

抱き締められたんだ、と理解するのとほぼ同時に肩に重さを感じた。
銀色の細い髪が数束頬を掠めて、擽ったい。
大きな掌が背中に回る。なのに小さな子供みたいな幼さを、その弱々しい力に感じてしまった。

…寂しいんだ。そうなんだね、きっと。

「…帰り道にさ、」

ポツリポツリと彼が話し始めた。
肩に顔を埋められたままだから息が結構擽ったいんだけど、そんなことを言ったら離されてしまいそうだから俺はただそっと背中に手を回して続きを促した。
こうして抱き締め返していないとまた迷子になってしまいそうだから、そっと、だけどしっかり彼を捕まえておこう。

「いつもみたく絡まれたんだ。多分一回会った事ある奴らで。オレは覚えてなかったんだけど」

「うん」

「それで何か倉庫みたいなとこ連れてかれて」

「え」

「そしたら似たようなのがいっぱい居た。分かんねぇけど、オレに彼女取られたっていう奴もいた」

「え、取ったの?」

そういや彼には彼女なる人が百人いらっしゃるとかいう馬鹿げた噂があったことを思い出してしまった。
信じてやいないけども。

「知らない。身に覚えが無いしオレ彼女居た事無い」

「うそやん」

そりゃ吃驚。やっぱり噂は噂なのか。この情報過多の時代において情報にどこまで信憑性があるかどうかはしっかり吟味してゆかねば。
じゃなくて。

「ほんまやん。で、いつもは怪我させないようにしてんのに流石にあの人数じゃ無理でさ」

「待って待って、倉庫で一人で戦ってたの?一人で?何人と?」

「えぇ、数えてないからそんなの分かんないなぁ…。十…いや、逃げたのもいるから二十くらい?」

「う、うへぇ…」

噂でも信憑性に足るものがあったのか。一人対数人でもドラマかよって展開なのに、に、二十人?嘘でしょ?
でも銀色くんは冗談は言えどこんな嘘吐くような人じゃあないし…もっと低く見積もってる可能性もある。

少なくともこの人…今俺にしがみついてる銀色不良少年は一人でそんなに相手して無傷だったの?マジで?全員倒しちゃったってこと?

何てこった。というか、一人相手に数十人でかかってくる相手もどうなんだ。
卑怯過ぎるだろ。というか絶対丸腰な訳ないよね?そんだけ準備してたんなら絶対鉄パイプとか持ってるよね?
全部ドラマとかの知識だけど…。

何か俺が腹立ってきたぞ。寧ろ銀色くん被害者側じゃない?なのに何で停学処分食らっちゃってるんだ。

あ、ケンカしたからか。

「…っていうのが、事の詳細になります」

「で、全員倒しちゃったの?」

「倒したっていうか…怪我させないようにはがんばったんだけど」

いや、普通は自分がやられないようにがんばるところ…って彼の強さはその次元じゃないのか。うへぇ。

俺の困惑が伝わったのだろうか。

ゆっくりと顔を上げた彼の前髪は俺の肩に凭れ掛っていたせいで乱れてしまっている。
だけどそれ以上に、その銀色のカーテンの間に隠れていた瞳が不安の色で揺れているのが気になった。

「ねぇ、ホントに怪我してない?」

「してない」

不安げに揺れる瞳を隠すカーテンをそっと掻き分けて、見つめ返した。
初めにこの瞳をじっと覗いた時は青色が見えた気がしたけど、今はどうだろう。オレンジに飾られた部屋の明かりの中では、あの色は見つけ辛かった。

「なぁ、右手貸して?」

「何で?」

「何でも」

「やだって言ったら?」

「俺の疑いが確信に変わる」

「………」

きっぱりと告げると、彼はおずおずと右手を差し出してくれた。細長い指に色白のキレイな肌。
俺は彼の顔に視線を戻して、その手を少しずつ確かめるように撫でた。指の先、手の甲、親指の付け根に、そして。

手首まで来たところで、ほんの少し力を加える。すると殆ど無表情だった彼が一瞬だけ、顔を顰めたのが分かった。

湿布も絆創膏も無いけど、やっぱりね。
隠したかったことを無理矢理暴いてごめんな。だけどこういう事には昔から鋭くて、見過ごせないから。

彼の利き手は右手。
でも今日、重い荷物を持っていたのは左手。冷蔵庫に食材を入れる時も、俺の隣に座ってペットボトルを奪ったのも左手。
それだけならまだ証拠不十分かも知れないって?

でも俺が怪我はないかって尋ねた時に僅かに背中に隠された彼の右手が、俺にとっては答えだった。
何で隠すかなぁ。心配かけるって思ってくれたのかな。

「全く、湿布くらい貼ればいいのに」

「もう大分治ってきたから」

「日常生活は?」

「支障無いよ」

「そっか。でも早く治してね」

「…ん」

「早くあの演奏、聴きたいからさ」

「………ん?」

だって、その為に今までケンカで手を使わなかったんでしょう。

驚きで固まったままの銀色くんの髪をわしゃわしゃ撫で回して、俺は部屋を後にした。

「じゃ、また学校で!」

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