mitei 音の咲く場所 | ナノ


▼ 11.encore2_andante

自分の通う大学にどうやらやたらと目立つ人がいるなと気付いたのは、入学して一ヶ月も経たない頃だった。

何千人、いや、先生やその他の関係者も含めればもしかしたら一つの町くらいの人数が行き交うであろうだだっ広いキャンパス。
大きな一本の通りには規則的に木が植えられていて、端々にはこれまた規則的にビルみたいな高さの講義棟が立ち並んでいる。

仰々しい入り口を惜しげもなく広げる美術館みたいな中央図書館に、一体誰が使うんだという吹き抜けの庭園。
建物の隙間に挟まるように営まれる小さな学生用のコンビニは庶民的で結構お気に入りポイントではあるが、それ以外はどれもこれも高校時分に目にしていた世界とは規模が随分と違っていて、入学したての頃は目がくらくらしたものだ。

次第に大学生活に慣れ始め、同じ学部にそこそこ話す友達もでき、取る授業も時間割も固まってサークルもそろそろあそこに入ろうかななんて。そんな感じでぼんやり学生生活の輪郭が見え始めた頃。

その人は、不意に視界の端に映っただけのその銀色の人は、一瞬でこの世界の真ん中を陣取ってしまった。
いや、どうやらそう感じたのは自分だけではないようで、その人とすれ違う人は皆彼の方へ振り返っていた。ある人はポカンと呆けたまま固まってしまったり、またある人は時間差で真っ赤になってしまった顔を恥ずかしそうに覆ったり。

何だろう、映画スターでも迷い込んできたのだろうか。
ちらりと見えた横顔は少し長めの銀糸で殆ど隠されていたから、詳細な相貌はよく分からない。だけど存在感は半端ではないことは分かった。だって数十メートルは離れているであろうこの距離でだって、思わず凝視してしまったのだから。

別に茶髪でも金髪でも、大学デビューで見た目が派手になるやつなんて少なくない。銀色はまぁ、少数派かもしれないけども。
それでもまぁ、ピアスを開けたり髪を染めたり見た目の変化が著しくなるのはありふれた現象で、決して珍しいことでは、ないわけで…。

なのにどうして、あの人はあんなにも人の目を惹きつけるのだろう。
ちらりと見えただけの横顔。すらりと整った鼻筋とすっきりした顎、そして何よりも特徴的だったのは…陽の光に揺れ煌めいていた銀色の髪。

あの人は背の高さや身体つきからして男性のようだった。なのにどこか儚げで夢の中にいるみたいで、それ程強くもない風に揺れる銀糸がやたらとスローで再生される。

そう言えば同じ授業で仲良くなった子が言っていた。

「童話の中から抜け出してきたような王子様がいる」と。

それを聞いた時は一体何を夢見がちなことを言っているんだろう、一目惚れでもしたのかなと思ったけれど今なら分かる。ものすごく、全力で頷きたくなる程に、あの言葉の意味が。

横顔でしか見たことのなかったその人の顔を、瞳を正面から見たときには一瞬世界が静止したのかと思った。

とある廊下での、すれ違いざま。
半分ほど眠そうに伏せられた銀色の睫毛に守られた瞳もまた、銀色だったのだ。

カラコン…だろうか。髪色に瞳の色も合わせてくるなんて、気合が入っている。というか、睫毛も銀色で、染めているにしてはやけにさらさらとしていて、何より…。
「王子様」という浮世離れした言葉がやけにしっくりくるなんて。どうして現代の服を着てこんな都会の大学に通っているのか、本当はどこかに大きなお城を持っていて馬にも乗れたりして、剣さばきも見事な王子様じゃないのか。

あぁ、これは皆が夢中になるわけだ。ファンクラブができているって聞いた時は「噂だろう」と思っていたがこれは実在するだろうなぁ。
というかすれ違う時、すごくいい匂いがした…気がする。

彼とはどうやら学部が違うようだったけれど、一年の使う講義棟は大体限られている。彼も自分と同じ学年であったようで、人混みができていると思ったらその中心にいるのはほぼ間違いなくその人だった。
しかし周りの反応とは裏腹に、話題の中心の人物は常に無表情を貫いていた。辺りを囲む視線もたまに話しかける猛者の必死なアプローチにも全く興味が無いらしい。

不機嫌というわけではないようだ。王子様情報をくれた子曰く、「それが彼の魅力のひとつなのだ」とか。
その子はすでに彼のファンクラブに加入しているようで、嬉々として勧誘されたが何とか断った。何だかこれ以上、あの人に深入りしてはいけない気がしてしまったのだ。理由は、その時はまだよく分かっていなかったのだけど。

「銀色の王子様」。
それが彼のあだ名だった。まぁ、見た目の通りだなと思うけれども。

それにしてもまさか大学生にもなってこんな少女漫画みたいなことがあるだなんて、一体誰が予想していただろう。

自分は王子様のファンクラブには所属していないものの、目に入ればそれなりに気にはなる。そして「銀色の王子様」を見つければ観察するのが、いつしか日常の一部になっていた。

彼は、基本的には無表情で感情の起伏が小さいらしい。実際そうなんだと思っていた。特定の人とつるんでいる様子もないけれど友達がいないという訳でもないみたいで、彼らと話すときには多少はにかんだり困ったような顔をしたり、それなりに表情はあったけれど、それくらいだ。
基本的にはそれくらいで、根は淡白な人なんだと思っていた。

スマホで誰かと話しているのを見るまでは。

その時だけは、彼を纏ういつもの淡々とした雰囲気が少し違って見えた…気がした。

とある日の授業終わり。忘れ物を取りに戻る最中でちらりと視界に映ったのは、最早見慣れた銀色だった。
夕方に差し掛かり皆サークルやらバイトやらに向かい始める時刻。ただでさえ人の少なくなった講義棟の端にある、人のいない休憩スペース。

外の柔らかな陽の光にも輝いていたあの銀糸は、室内のお粗末な蛍光灯の下でもこんなにも綺麗に光り輝くものかと思わず息を飲んだ。
話し声が聞こえたので思わず柱の裏に隠れてしまったが、そのまま通り過ぎれば良かったかなと後になって思う。

しかし時間差で出て行くのも気不味く思えて、とにかく彼がその場から立ち去るのを待つことにした。
この距離からだと会話の全てが聞こえる訳ではない。いや、盗み聞きするつもりじゃなかったんだ…けど。何を言っても言い訳にしかならないから、もう開き直ることにしよう。…罪悪感は残るけれども。

「…うん、うん。………だよ」

誰と話しているんだろう。というか、初めてちゃんと彼の声を聞いたけど、とても穏やかで落ち着く声だなぁ。緩やかに流れる音楽みたいで、ずっと聴いていられそう。

「えぇ?それはちょっと…。あ、…くん、ちゃんと………ね」

「くん」って言った?相手は男の子?仲良いのかな。良いんだろうな。というか語尾柔らかいなぁ。

柱からちらっと顔を出して銀色の彼を見てみると、どくっと心臓が驚いてしまった。
笑って、え?笑っている…。いやいや、声の調子からしても確かに楽しそうな感じではあったけど、でも、何と言うか…。

「ふっふふ、ふふ…。あー、………て、…じゃないんだ。うん。うん、で?」

すぐさま顔を引っ込めて、またそろそろと柱から彼の表情を確認した。零れ落ちる銀糸からたまに覗く薄い唇は、緩やかに弧を描いている。
瞳は…。確認しようと視線をゆっくり上げて、ヒュッと喉が鳴った。心臓がどきどきして、冷や汗が背中を伝う。中途半端に開いた口はただ何も言えずにパクパクと開閉を繰り返そうとするだけで、言葉は何も出てこない。

銀色が、こちらを見ている。声の調子だけは楽しそうに電話の相手と会話を続けたまま、けれど瞳には何の感情も滲ませずにただ、こちらを見ていた。
動けない。怖いとか気付かれていて驚いたとか、そんなことは通り越して、何故か見てはいけないものを見てしまったような気がした。
花に囲まれた王子様というより、まるで百戦錬磨の騎士みたいな、殺気を感じ取った忍者みたいな、そんな鋭さだった。

蛇に睨まれた蛙の気持ちって、こんな感じだろうか…。

しかし彼はすぐに視線を外して、背凭れのない四角いソファーから立ち上がった。
電話をしながら、柱にぴたりとくっついたおかしなやつの隣を何事も無かったかのように素通りして。

「すぐ帰るよ。頼むからオレが帰るまで待っててね?包丁はまだ花芽にはハードル高い、いや、だからゴメンてば」

早く、早く過ぎ去って欲しい。そう願って柱と一体化していたのに、銀色の彼は急に振り返ってもう一度こちらに視線を寄越した。
怒っても笑ってもいない、何の温度も宿さない銀色の瞳を。

そうして一瞬電話口の相手に断ってから、スマホを押さえてぽつりと呟く。
ただ一言、「うるさい」と。

さっきまで電話で話していたのとはまるで別人のような口調に低い声、そしてあの眼差し。今までとは違う意味でどきどきするけれど、気付けば銀色の背中は遥か彼方だった。

それにしても…。そんなにうるさかっただろうか。一言も話していないし、音だって立てないように極力気を付けていたのに?
息遣いとか、知らないうちに荒くなっていたりしたんだろうか。だけどいくら他に誰もいない空間だったとはいえ、電話をしていながらそんな些細な物音にまず気付けるものなのかな…?

「うるさい」、か…。

物凄く怒っているという感じでもなく、窘められているという感じでもなく、ただ感想を告げられたような抑揚だったのに。
やけにその言葉がぐるぐるして、「銀色の王子様」像はもう自分の中でガラガラと音を立てて崩れ落ちるのを感じていた。

彼がスマホを離した瞬間に見えた耳には、大学デビューにしてはちょっと多めの金属が見えた気がした。いやまさか、ね。

それにしても電話の相手、誰だったんだろうなぁ…。



「ただいまぁ」

「おかえりー」

「花芽くんやい」

「え、なにな、に!?」

帰ってくるや否や突如ぎゅううっと抱き締められ、エプロンをつけたままの俺はただ困惑した。
というかまた「くん」付け。さっきの電話でもそうだったけど今日は甘えたい気分なのかなぁ。

「んぁー…。落ち着くぅ…」

「風呂上がりにビール飲んだおっさんみたいなこと言ってるよ?一音くんやい」

「んー、もうなんでもいいや」

「疲れたんだなぁ」

「ちょっとだけね」

「何かあったの?」

無理に聞き出す気はないけど、一応。
リュックごと俺よりも一回りは大きい背中を抱き返しながら聞いてみた。

高校の頃よりちょっと伸びた髪は、相変わらずさらさらと俺の頬を擽ってくる。
暑くなったら切るって言ってたけど、こいつはものぐさだから多分切らないでまとめたりするんだろうなぁ。それはそれで似合うだろうけどさ。

「んー…。何があったってわけじゃあ、ないんだけど、」

「うん」

「やっぱりこの音が、すきだなぁ…」

あぁ、なるほど。何となく察した。大学はまぁ、高校と違って人が多いもんね。特にこいつの通ってる大学は頭が良い人がたくさん通う有名なところだとかなんとか。
一度だけ一緒にキャンパス見学しに行ったことがあるけどあれはまぁ、本当に一つの町みたいだった。

そんなところに通うとなると、必然的に人も多いし疲れることもあるだろう。殊この銀色くんに関しては。

派手な見た目だけでも近寄ってくる人は多いだろうし、それに何よりこいつには…。

「やっぱり疲れちゃったんだなぁ。ほら、荷物置いて早く家入ろ?」

「…うるさいのには、慣れてるんだ」

「…うん」

ずるずると背中に引き摺りながら、彼を漸くリビングのソファーまで誘導することに成功した。
リュックを床に置くと、一音はもう一度俺を自身の腕の中に閉じ込めてしまう。充電中らしい。

「慣れてるんだけど…。花芽との時間じゃまされるのは、ちょっと、やだったの」

「邪魔されたの?」

「うるさかったんだよ」

「うるさかったのか」

甘えたモードになってしまっている彼の言葉はいまいち要領を得ないけど、まぁ何か気に障ることがあったんだろうな。
この分じゃあしばらく拘束を解いてもらえそうにないし、指令通り調理も途中だからまだ晩ご飯も出来てないし…どうしようか。

あぁ、そうだ。

「な、一音?今日はもう贅沢しちゃおっか」

「え、今から一緒にお風呂入ってそのままベッ、」

「ノン、ピザをとりまぁす」

きらきらした眼差しで顔を上げた彼の言葉に被せてそう言うと、彼は少しムッとしたような、拗ねたような表情をして口を尖らせた。
背中の腕は解かないまま、ぐりぐりと肩に額を擦りつけてくる。

「甘やかしてくれるのかと」

「だからピザとるんじゃん。だって今日はもうご飯作るのめんどいでしょ?」

俺が包丁握ったらダメって言うし。全く過保護にも程があるよ。

そう悪戯っぽく首を傾げると肩の銀色にぶつかった。仕返しのようにぐりぐりと頭を擦りつけてやると、「やっぱりこあくまだぁ」という呻り声のような響きが聞こえる。
良かった、さっきよりは元気が出たみたいだ。

さてさて、そうと決まればとスマホを手に取る。
この分じゃあもう少し、銀色の彼は俺を放してくれないだろうし。

「そうだ、後でピアノ弾く?」

「…気が向いたら」

「気が向いたらね」

「マルゲリータ」

「はいはい」

学生で出前でピザなんて。こんな贅沢をするからには勉学にもきちんと身を入れなければと、俺は密かに気合を入れ直す。

でもまぁ、たまにはこういうのも悪くないかな。
たまにはでいいけどね。

「花芽」

「んー?んっ」

「ふふっ」

「酔っ払いみたいだなぁ」

「何とでも。ねぇ、お風呂も一緒に」

「入りません」

「えぇ」

「ふふ」

「…こあくま」

「何とでも」

明日が休みなら、ちょっとは考えたかな。少し不機嫌になってしまった俺の銀色は、折角上げた顔をまた俺の肩口へと仕舞いこんだ。

どうか俺の肩が凝ってしまう前に、ピザ屋さんが来てくれますように。

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