mitei 音の咲く場所 | ナノ


▼ 8

数日後にやっと学校に来た彼は、不機嫌というか何というか。
いつもより近寄り難いオーラが漂っていた。
あの時髪をくしゃくしゃにしたの、もしかして怒ってるのかな。ってそんな訳無いか。

教室の外がざわついているのを聞いてからきっと彼が来たのだろうと予想していたが、教室に入ってきたその人は知り合う前みたいな無表情で。

そうして教室へ入るなり銀色くんはその長い足でツカツカと真っ直ぐ俺の元へ来ると、唇がくっついてしまうのではという程近く俺の耳元に顔を近づけて、囁いた。

「如月花芽くん」

「何ですか?か、かぐらぎくん」

「放課後。いつもの場所で、待ってる」

「…わぉ」

そうして彼は授業を受けることなく、鞄だけ置いて教室から去って行ってしまった。

放課後、いつもの場所で。

お昼休みにいつもの場所というなら答えは一つ、あの階段の踊り場だろう。
だけど彼は放課後って言った。

放課後に俺が向かう「いつもの場所」なんてあそこしかなかった。

東校舎の突き当たり。
もう誰も使っていない筈の古びたとある教室。そこは昔、音楽室だったらしい。

その証拠にグランドピアノがひとつ、どどんと真ん中に鎮座していた。

いつもその椅子に座って、このピアノであの音色を奏でていたんだね。
…その細長くキレイな指で。

放課後俺がその音楽室に着くと彼はもうピアノの前の椅子に座っていて、教室のドアから中に踏み入れられずにいる俺をじいっと見ていた。美形の真顔は怖いって諺辞典にもきっと載ってるの、知らないの?
調べてみたことはないけども。

「何で入ってこないの」

「何か…何となく」

貴方が何考えてるか分かんなくて、ちょっと怯えているからです。とは言えない。

「久しぶりだね、花芽くん」

「お久しぶりですね、銀色くん」

「演奏会。ずっと待っててくれたんでしょ」

「うん。…あ、手首!もう大丈夫なの?」

「おかげさまで」

「そっか…良かった。良かった」

ホッと胸を撫で下ろしていると足元に影が落ちた。見上げると銀色くんがすぐ側まで来ていて、くいっと腕を引かれて教室の中に招き入れられる。まるであの日お家にお邪魔した時みたいだ。

「いつから知ってた?」

あの奇妙な演奏会の奏者が銀色くんだったってことを言ってるのだろう。

「はっきりこの時からってのは言えない…。けど何となく、銀色くんと話すようになってから。かな」

あとは、そうだったらいいなっていう俺の願望も少し混じってたけど。

「じゃ、オレの勝ちだね」

「え、なにが?」

不敵に微笑った彼の髪はやっぱり柔い風にも簡単に揺れて、同じ色の瞳をカーテンみたく隠してしまう。ちらちら覗く銀色の光は今日も西日の赤みを借りて、妖しく煌めいていた。

「…キレイな音だと思ったんだ」

「あの、ずっと気になってたんだけど。その音って、何の音?」

問うと、彼は俺の腕を掴んだままで少し目を細めた。そうして手を引かれ、ピアノの前の長椅子に座らされる。

「ずうっと聴こえてたよ。きみは気付かれてないつもりだったみたいだけど」

「音?」

「音」

…音。
鼓動や話し声、関節の動く音とかのこと?
そんなに耳が良いのかな。
だけど彼の聴く「音」とは、どうやらそういうモノではないらしい。

「どんな、感じなの」

「人によって違う。というか、同じ人でも気分や日によって違うんだけど」

階段の踊り場でうっとりと目を閉じる銀色くんの姿を思い出した。あの時彼は、その音とやらに聴き入っていたんだろうか。
俺の右隣に腰掛けて銀色くんは続ける。

髪と同じ色をしたピアスは、角度が変わる度にウィンクするみたいにちかちか光って存在を主張している。ちょっとだけ、眩しい。

「奇妙で穏やかで、たまに煩くて意味分かんなくて、でも…癒される。花芽くんのを初めて聴いた時は、海みたいだなぁと思った」

「あれ…。え、待って待って、ちょ、待って?」

「はいはい、待ってますよー」

俺と話すようになってから放課後の演奏はどこか楽しげな音楽が増えて、寂しいの音が減っていった。
銀色くんが居なくなってから放課後の演奏会も無くなった。
彼が放課後何をしていたのかを彼の方から教えてくれることは無かった。

キレイな細長い指先に、たまに零れ落ちる「音」。

それらがパズルのピースみたいになってかちりと在るべき場所にはまっていって、俺はあの謎のピアニストが銀色くんだったんじゃないかと思った訳だけど。
彼の口振りから察するに、彼は俺が気付くよりもっとずっと前から俺が聴いていたことを知っていたように思う。

「よし、もうよし。えと、じゃああの、その。俺が初めて聴いたあの音楽っていうか、演奏…は、もしかして?」

「花芽くんの音を表現したオレの即興ソング」

「すげぇ!じゃなくて、まさか初めから、知って…?」

「知ってたけど。ちなみに、今までのも大体きみの音を元にしたオレの即興演奏ね」

「す、すげぇ…!じゃなくて、あれ、それじゃあ…」

ポツリポツリと廊下に零れる。あの何処か寂しそうな音は、もしかして俺の…?

「全部花芽くんの音だよ。…って言いたいとこだけどウソ、ちょっとオレのも混ぜてみたりした」

「そう、なんだ…」

「引かないんだ?」

「いや、俺はピアノとか弾けないけど?」

「ちっげーよ知ってんよそんくらい。じゃなくて、こんな話しても引かないの?ていうか簡単に信じ過ぎじゃん?」

「何言ってんの?信じるも何も、銀色くんがそう言うならそうなんだろ?何か変なことある?」

「馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、こりゃあホンモノだなぁ」

「うわ失礼な」

「…気持ち悪く、ないの」

「何が?」って言いかけたけど、やめた。
だってわざわざ聞くまでもないなって思ったから。きっと自分のことを言ってるんだろうな。

俺にとっては「すげぇ」以外の感想が出てこないけど、人にはないモノを持ってるってきっと楽しいとか嬉しいばっかりじゃないんだろうな。

彼には人の「音」が聴こえるらしい。
その音で、その人がどんな人か、楽しんでるか悲しんでるのか分かっちゃうんだって。

きっとその事を「気持ち悪くないのか」って言ってるんだろうけど、俺にはよく分かんないから。

でもきっと彼にそんな考えを抱かせるような態度を取ってきた人達が居たんだろう。その人達に悪気があってもなくてもきっと彼が人を遠ざけてしまうくらいにはその鉛は重くなっていて、彼自身にもどうしようもなくなってしまったんだろうか。

だからああやって独り、ピアノで紛らわそうとしていたんだろうか。

気持ち悪いだなんて、そんなこと俺が銀色くんに対して思う訳無いんだけどなぁ。
寧ろ納得した。今までの演奏が全て雄弁に彼の事を語ってくれていたんだと思うと、それが更に尊く思える。

でもちょっと意地悪したくなったのは許してね。だって知ってたんならもっと早くに教えてくれたって良かったじゃん。
銀色くんだけ知ってたなんてちょっとずるいと思うんだ。

「気持ち悪い、か。そうだなぁ」

「………」

「正直そのピアスの数はどうかと思う」

「…は」

そこじゃないだろ、と明らかに不機嫌そうに顔を上げた彼に向かってにっと笑ってやった。それを見て、銀色が真ん丸く見開かれる。
ぱちくりと効果音が付きそうな瞬きを一回して、彼は真っ直ぐ俺を見た。

「…俺は好きだよ。銀色くんの音。その指から奏でられる音色も、銀色くん自身の音も。声も。ずっと聴いていたいって思うくらいには、大事なんだと思う」

まぁ俺は銀色くんみたいに人の「音」なんて聞こえはしないんだけどね。

微笑うとふっと視界が暗くなった。背中にまた何か温かい感触が触れる。
顔のすぐ横で、彼の音が聞こえる。

とくとく言ってる。うん、やっぱり好きだ。いつもよりちょっと速いけど。

背中に腕を回し返すと、頭上でふっと息が漏れた。

「やっぱり馬鹿だ」と返されてムッとする。俺はちゃんと「好きだ」って言ったのに。

「離せ」

「やだ」

「馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞ」

「じゃあオレも馬鹿でいいや」

「だってこんな馬鹿な奴好きになっちゃったんだもん」とか。

どんな告白だよ全く。信じらんない。

あ、そうだ。

「そう言えば俺、まだ銀色くんの下の名前知らない」

「あ、忘れてた」

「忘れるかな…」

「ひとつの、音」

「えと…長い名前だね?」

「違う。一つの音って書いて、かずね」

「かずね?」

「うん。そうだよ。神楽木、一音」

酷く優しい声音で彼が呟いた。俺の鼓膜は、その愛しい音をちゃんと捕まえる。
やっと知れた彼の本名と、振動で伝わる彼の気持ちと。ちゃんと捕まえて反芻して、確かめるように心の中でその輪郭をなぞった。

「似合ってる。すごく似合ってるよ一音…くん」

「花芽」

「ん?」

「くんは要らない」

「じゃあ一音」

「よろしい」

あの優しい旋律を奏でる手はこんなにも大きくて意外にも柔らかかったんだ。
頬を包み込むように添えられた彼の右の手に擦り寄りながら俺はそっと目を閉じた。

すると気持ち良かったその手がするりと俺の後頭部に回って、支えるようにくっと力を込められる。
あれ、と思う暇も無く近付いた熱い吐息に、その直後唇に受け取った生温かい感触。

驚いて目を見開くと何故だか彼も目を見開いて、俺を見つめ返していた。

「え、え、何すんの?」

「いや、待ってたのかと」

「待っ、え、なにを?!」

「あー、無意識だったかぁ。出たよこあベアー」

「こあ、くまじゃないですぅ」

「ふはっ、よしよし」

何がおかしいのか、ムッとした俺の顔がおかしかったのか。
思いっ切り破顔した銀色くん…改め一音くんの顔は破壊力抜群だった。

こんな笑顔、知ってるのが俺だけならいいのに…なんて。

真っ赤に染まっているであろう俺の頬を指の腹でふにふにと突きながら意地悪く口角を上げる銀色の彼。
それからあの時の仕返しのつもりだろうか。わしゃわしゃと犬のように俺の髪を撫で回してくるこいつをいつか絶対恥ずかしがらせてやろう。

こあベアーの名に懸けて俺は密かにそう誓ったのだった。

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