「俺は愛を信じない!」
「そっか。まぁがんばれよ」
高々と宣言する馬鹿を尻目に、煙草を燻らす。吐き出した煙にふっと息を吹き掛けると、ふわっと柔らかく広がって空に消えた。今日はとても天気がいい。ひつじ雲が真っ青な空を飾る。
「信じないぞ」
「おう」
「…信じないからな」
「分かったってば」
「本当にいいのか?信じないんだぞ?!」
「好きにしろよ」
お、女の子から電話だ。
「もしもーし。今?暇暇すんごい暇だよ」
「…本当にいいのかよ」
落ち込む馬鹿をスルーして電話に応え、二本目の煙草に火を付ける。
穏やかな昼下がり。木曜日のこの時間は講義が少ないのか、中庭も閑散としている。
「…うん。うん。わかったおっけー。じゃあその時間で、うん。待ってる」
ふと隣を見やるとむぅっと恨みがましく俺を見つめる馬鹿がいる。おねだりが失敗した子どもじゃあるまいし。
「何かもう本当に絶対信じられない気がしてきた」
「あー分かった分かった。信じるも信じないもお前次第だけどさ、お前が愛?を信じなかったとして、俺に関係ないだろ」
勝手にしろよ、とめんどくささを隠しもせず告げる。お、また違う子から電話だ。
「はいはーい。うん今?大丈夫大丈夫。へーそうなの?」
「………あーもういいよ。俺が馬鹿だったよ」
俺が電話してる横で、彼はわざとらしく大きな大きな溜め息を吐いた。ちょっとイラついたので軽くデコピンしてやったら思いの外クリティカルヒットしたらしく、額を抑えて悶えている。ざまあみろ。
「うん。うんおっけー。じゃまたね」
電話を切って隣を見ると、未だ額を抑えたまま上目遣いでこちらを睨む馬鹿がひとり。
「…めちゃくちゃ痛かったんだけど」
「なんでまだいんの」
「痛かったんだけど」
「はいはいゴメンて。で?何だっけ」
「俺は愛を信じない」
「うんうんそうなの。で?」
「で?」
「それが俺に何の関係があるわけ」
「関係あるっていうか…え、ないの?」
「え、あるの?」
「困らないの?だって信じないんだよ?」
「何で俺が困るの?関係無いって言ってんじゃん」
「だってほら、信じないんだったらその…する意味無いじゃん」
「するって?」
「だからほら、その、えと…せ、」
「せ?」
「とにかく!俺は男だろ?」
「うん?知ってるけど?」
何を言いたいのか今のところよく分からないが、とりあえず次の言葉を待つ。
「だから、女の子じゃない。お前も、男だろ」
「見れば分かんだろ」
「だから、何で、」
彼が言いかけると、ポケットでスマホが震えたらしい。一瞬ビクッとして画面を確認している。
「あ、電話だ」
太陽が、雲に隠れた。
電話に応えようとスマホにかざした手首をぐっと掴んだ。煙草を捨て、もう片方の手でスマホの画面を隠す。
突然の出来事に追い付けないらしい彼がおどおどと俺を見た。
額には、さっき俺がつけた赤い痕が残っている。
「え、なに」
「誰」
「いや、友達だけど、ってかでんわ、出ないと」
「出るの?」
「え、出ちゃ駄目なの?」
「電話、出るの?」
「いや、さっきまでお前も散々出てただろ?!だから手、はなして…」
ブーッブーッと俺の手の下で未だ震え続けている小さな箱。彼と俺以外の誰かを繋ぐ、小さな箱。
本当はぶっ壊してしまいたい。
壊したい、駄目だ、壊したい…駄目…困らせたくない、困らせたい、悩んで、困って、考えて…俺のことだけ。
五月蝿かったスマホが鳴り止む。
「あ…」
情けない小さな声の主を、無言で凝視する。不安げに俺を見上げる瞳には、どんな顔が映っているんだろう。
ぐいっと力をこめると、抵抗もなく引き寄せられる大きな瞳。シャツの隙間からちらりと覗く首筋には綺麗に咲いた赤い花。
首筋だけじゃない。背中、腰、脇腹、内腿…その花が全身に咲いていることを、俺だけが知っている。
「…馬鹿だなぁ。ほんと馬鹿」
「ちょっとまっ、…んぅっ」
彼の言葉を飲み込んで、代わりに煙草臭い俺の吐息を分ける。何度触れ合ってもやはり彼の中は暖かく、離れがたい。
「ふっ、んぅ…はっ、」
俺の腕の中で小さな背中がぶるりと震えた。段々と熱を帯びるその身体を閉じ込めるようにして、ぎゅうっと腕の力を強める。
ごめんね。もう逃がしてあげられない。
お前が愛とやらを信じていてもいなくても、そんなこと関係無いよ。
だって俺のこの醜くどろどろに溶けきった想いは、愛と呼ぶには余りにも不完全だから。
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