…運命じゃなくたって構わない。
そんな言葉を、何処かで聞いた気がするんだ。
「…ら、ふじくら」
「………」
「おーい、藤倉?」
「え、あ、どしたの?」
「いやそれはこっちの台詞…」
いけない、俺としたことがぼうっとしてた。折角彼と居る貴重な時間なのに。
俺を呼び戻した声の主は少し心配そうにじいっと俺の顔色を窺うと、はあと短い溜め息を吐いた。
その空気、俺にくれないかな。
「なぁ、どっかしんどい?保健室行く?」
「ううん、大丈夫。ゴメンね。ちょっと考え事してただけ」
「…そっか」
俺がそう答えると彼はそれ以上追及してくることは無く、ただ黙って俺の隣で窓の外を眺めた。
こっち側からは見えないから、反対側に回って彼の左手を取る。
すると少し驚いた彼が目を丸くして、それでもすぐに呆れた顔をして俺のしたい様にさせてくれた。
きっといつものおかしな「スキンシップ」の一環だとでも思われているんだろう。
そんな彼の左手を俺の左手の上にそっと乗せる。
左手で合ってたっけ。
俺の手の上に乗せた手を、この世で彼だけが持つ手をまじまじと眺める。
特に何の変哲も無い、男子高校生の手だ。
成長途中だからこれからもう少し骨張ったりするのかな。色は俺の手の方がちょっと白いけど、彼が特段日に焼けているという訳ではない。
ありふれた手。何処にでも居る人の、これといった特徴も無い手。
だけど俺にとってはこの世で唯一無二の、特別な手だ。
俺の頬に優しく触れて、むずむずした気持ちにさせてくれる手。
時には強く握り締めて自分自身を傷つける癖に他人を癒す魔法の手。
他の何処をどれだけ探したって見つからない、これ以上無い程に愛おしい…温かい手。
彼の薬指を俺の右手でそうっとなぞって感触を確かめた。だからといって特に何も無いんだけど。
それから小指をなぞる。
付け根を見て、またあの言葉が頭を過った。
『運命じゃなくても構わない』、なんて。
誰が言ったんだろう。俺が言ったんだろうか。
もしここから赤い糸が出ていたとして、それが俺以外の誰かと繋がっていたとして。
そうしたらきみはどうするんだろう。
その人の元へ迷わずに飛んでいってしまうんだろうか。
逆に俺にも赤い糸があったとして、それが目の前で優しく微笑んでくれているきみ以外と繋がっていたとして。
そうしたら今この胸の内にある様々な想いは何処へ向かうのだろう。
「運命の赤い糸」ってやつで結ばれた奴のところへ飛んでいってしまうのだろうか。
…やだなぁ。
そんなのすごくやだ。
運命なら、運命の人が在るというのなら、その人とくっつけば幸せになれるのかな。
俺はそうじゃなくたって構わない。
幸せでも不幸でも、澤くんが側に居ないなら俺に感情などそもそも発生しないから無意味だ。
だけれどきみはどうだろう。
もし運命の赤い糸が見えたとして、それが目の前でまじまじと手を握り締めては眺める変態…つまり俺以外と繋がっているとしたら。
きみは…どうするの。
「…なぁ、もういいか?」
「まだ」
「何の儀式?手相でも見てんの?」
「ううん。でもまだ離したくない」
「小指」
「うん?」
「いや小指、そんなに気になるのかなって」
あぁ、バレちゃったか。
察しの良い彼はされるがままにしていた自身の左手をぎゅっと俺の手首に回すと、くいとそのまま引っ張った。
自然と顔が近くなる。
俺より幾分身長が低い彼は見上げる形になって、それでも真っ直ぐに射抜くような瞳で俺を見つめてくれる。
きらきらしてる。多分、満天の星空よりもずっと。
自然界のどんな綺麗な絶景を集めたって、この絶景には敵うまい。
見惚れていると、パチッと小気味良い音がして額にじんわりとした痛みが広がった。デコピンされたのだと気付いた頃にはもうあの絶景は少し離れてしまっていた。
「…いたい」
「すまん」
「なに、手触られるの嫌だった?」
「ううん、ちがくて。何かお前、またおかしなこと考えてそうだったから」
やっぱり彼は馬鹿なくせにこういうところ察しが良い。
直感が鋭いっていうのかな。窓からふわりと流れ込んだ風が漆黒の髪を揺らして、悪戯に去って行った。
ずるい。俺も撫でたい。
風にすら嫉妬するどうしようもない俺のこと、目の前のきみはどこまで知ってるんだろう。
もう離れてしまった小指にまたふと視線を落とすけれど、やっぱり赤い糸なんて見えなくて、不安なのに安心する。
変なの。矛盾だらけだ。
「澤くんはさ、」
「うん」
「運命の人とか、信じる?」
我ながら馬鹿げた聞き方だ。直球過ぎて呆れてくる。ロマンチストだと思われたかも知れない。
ふと隣を見ると彼はきょとんと首を傾げて、直ぐに「うーん」と真剣に考え出した。こういうところも本当真面目で、たまんない。流してくれてもいいんだよ。
「運命の人、なぁ」
「もしいたらどうする?」
「え、どうもしない」
「え、どうもしないの?」
「うん。そん時になんなきゃ分かんないし…。それに小難しいことは考えるの面倒臭い」
「そう?単純じゃない?」
「そうだな…単純かも。うん。単純だよ」
俺の方に顔を向けた彼の瞳はやっぱりきらきらと瞬いていた。眩しい。
瞬きをするのも惜しくて。目が、離せない。
「俺は自分が一緒に居たいと思う人と一緒に居るよ」
なんて彼らしい答えだろう。すとんと胸のつかえが落ちて、身体が軽くなった気さえした。
その人が俺だとは限らないのに真っ直ぐに俺を見てそう言うもんだから、身体が勘違いしちゃったのかも知れない。
「ふはっ。澤くんらしいなぁ」
「そういうお前はどうすんの」
「俺も同じだよ。…俺が一緒に居たい人の側にいる」
「お前らしいな」
くしゃりとおかしそうに歪められた顔は陽に照らされて眩しさを増して、これ以上ない程に俺を縛り付ける。
分かってるのかな。きみのことだよ、俺が一緒に居たいのって。
もし「運命」とやらが来ても離してあげられないかも知れないよ。
「…本当、馬鹿だよなぁ。澤くんは」
「馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞ。って小学生かこのやり取り」
「ふふっ、本当だ」
「馬鹿だよなぁ、藤倉は」
「心外だな。そうかもしんないけど」
「そうだよ。これが運命かもしんないじゃん」
「…へ」
「もし運命じゃなくても、俺はお前と居るよ。それじゃ駄目か?」
どくんと身体の中心が高鳴った。
嗚呼、もしかしたら彼は超能力者か何かかも知れない。
なんで、どうしてそうやっていつも俺の欲しい言葉をくれるの。やっぱり魔法使いなの?
考えるよりも先に俺の手が彼の髪に触れていた。見た目より案外柔らかいさらさらの感触は、するりと指の間に入り込んでくる。
気付くと俺の髪にも、彼の手が触れていた。
いつも犬みたいに撫でてくるその特別な手が、確かな温度を俺に移す。
それがどれだけ心地好いか、きみは分かってやっているんだろうか。
「…運命じゃなくても、か」
運命じゃなくても構わない。
この手の温度を感じていられるのなら。
だってどうせ、もう離せやしないのだから。
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