mitei そんな金曜日の夜 | ナノ


▼ 気付いたら映画は終わってた。

「あの…もう良くないかな…」

「駄目。もうちょっと」

「いやでもさ、ほら、宿題が」

「今日金曜日でしょう?分からないとこがあるなら俺が教えてあげるよ」

だからもうちょっと、ね。

そんな風に穏やかな声音でお願いされたって僕はどうすればいいか分からない。



遡ること数十分前。

「え、うわっ」

いつもの如く二人だけの晩餐を終え、緋色が台所で洗い物をしてくれている時にそれは起こった。
机を拭き終わってソファーに腰掛けた僕が何の気無しにテレビのチャンネルを変えていると、突然画面に現れた肌色の世界。

四角いテレビから聞こえる高い女の人の声と、ベッドの軋む音と、それから…。

映画の一場面なのだろう。
恐らく恋人達が今からまさに事に及ぼうとしているそのシーンを観て、一瞬僕は固まってしまった。

そうしてハッと我に返ると、慌ててチャンネルを変えようと手元にあった筈のリモコンに手を伸ばす。
しかしいくら探してもリモコンは見つからず、代わりに頭上からいつもの飄々とした声が降ってきた。

「わぁーお。結構濃厚だねぇ」

「あ、緋色リモコン!返して、チャンネル変えるから!」

僕が慌てて手を伸ばすも、緋色はさっと躱して僕の隣にボスッと座る。

「何で?観ないの?」

「観ないよ!」

「面白いかもしんないじゃん。観たことない映画でしょ」

「そ、うだけどっ…!」

気、気まずい…!
よく家族とテレビを観ている時に突然そういったシーンが流れて何となくどうしたら良いか分からなくなっちゃうあの居心地の悪い感覚だ、これ!

いや、もう高校生なんだしこういう事で動揺するなんて幼いと思われるかも知れないけど、でも、とにかく気まずい…!

何で緋色はそんなに平然としてられるんだ?僕がおかしいのか?
反応し過ぎなのかな…。いやでも、思春期だからしょうがないというか、何と言うか…。

ぐるぐる思考を巡らせながらもテレビからは視線を逸らそうとしていたのに、それでも耳に入ってくる大人の世界の音声。
隣ではいつもと変わらず何を考えているのかまるで分からない無表情の幼馴染みがぼうっと顎に手を当てて画面に見入っていた。
もう片方の手にはリモコンを握り締めたままで、完全にチャンネル主導権を奪われてしまった。

全くこいつは…。何、考えてるのかな。
僕もうチャンネル変えたいんだけど。というか、このシーン長くないか?そんなに観たいなら自分の家に帰ってから観ればいいじゃないか。

見慣れた横顔に映画のライティングが反射して、整った輪郭を色とりどりに彩っている。
横目でちらちらとその様子を窺いながら僕はとある疑問を抱いてしまった。

…緋色もこういうのに興味あるんだろうか。

いや、無い訳ないか。男子高校生だもん。僕とは違ってモテるし、もしかしたら僕が知らないだけでもしかしたら既に経験済みだったりして…。
そこまで想像して、今まで真っ赤だった顔から一気に血の気が引いていくのを感じた。

え、何で。
そんなの僕が干渉していいことじゃないのに。何でこんな、嫌な気持ちになるんだ…?

「…ん、こん、紺」

「えっ!あ、何?」

「いや、そんなに観たくないならチャンネル変えようか?」

「え、今更?緋色が観たいんじゃないの?」

「んー。もういいかな」

あ、もういいんだ。
テレビの中ではいつの間にか場面が街中に移り、さっきまでの濃厚なラブシーンは終わっているようだった。

その様子を見て何となくほっとする。
というか何で気まずくなっちゃうんだろう。世の家族はこの状況を一体どうやって乗り越えているんだ。

「っていうかさ、紺」

「ん?」

「さっき顔赤かったね。興奮してた?」

「は?!な、何言ってんの!」

「赤かったでしょ。照れてたんだよね」

さっきまで食い入るように画面を見つめていた綺麗な双眸が今度はこちらに向けられる。
心なしか少し不機嫌なような…気がするけどやっぱ分かり辛いなぁ。

「そりゃあ照れるよ…」

「何で?何に興奮した?あの女優?」

「え、何?何?緋色何か、こわ、」

「高い喘ぎ声?柔らかそうな身体?それとも男の方?」

「だから、何の話…」

どんどん距離が近くなって、狭いソファーの上でとうとう覆い被さるような姿勢にまで追い込まれてしまった。
緋色がどうしてこんなにも問い詰めてくるのかまるで分からない。

表情は何一つ変わっていないのに、纏う雰囲気はやっぱりどこかピリピリとしているような…気がして。

「紺もああいうのに興味あったりするのかなって」

「え」

そう言われ、固まってしまった。
まさか全く同じ事を考えていたなんて。

それにしても何でそんな事を真剣に聞きたがるんだろう、こいつは。
いつも何考えてるのか分かり辛いけど、今は更に分かり辛い。

いつの間やらテレビから聞こえる音声は雑音のように遠くなっていて、凛とした声だけが真っ直ぐ僕の鼓膜に届く。
けれど見上げた瞳には今度はどこか寂しそうな色が見えた気がして、僕は無意識に目を逸らした。

何かずっと見てるとまた…頬が熱くなってくる。

「答えて。何で興奮してたの」

「こ!興奮なんてしてないよ…」

「でも顔赤かったじゃん」

「そりゃだって、」

「だって?」

恐る恐る視線を戻すと、やはり離してくれそうにない陽の光。
涙の膜でゆらゆら揺らめくその綺麗な瞳が、今度こそはっきりと不安げな色を映す。

「いや、だって…。照れるだろ普通…」

「だから何に」

「だからぁっ!ひ、緋色とその、何か二人なのにその…」

「俺と二人なのに?」

「もぉ分かってよ!お前と二人きりの時にいきなりあんなエッチなシーン流れたら気まずくなるじゃんっ!」

「………」

「え、緋色?」

何?僕何かおかしな事でも言った?
恥ずかしい事とか言っちゃったの?

どうして僕に覆い被さったままの幼馴染みは無表情のまま固まってしまっているのだろうか。
というかこの体勢、近いな…。今更過ぎるけど。

さっきから何でか速くなっている心臓の音が、この距離じゃ聞こえちゃいそう。

何となくそうっと緋色の頬へ手を伸ばすと、がしっと手首を掴まれ驚いた。
ただでさえちょっと速かった心拍数が確実に速度を上げどくどくと脈打っている。驚いたのだから当然なんだけど。

「あのー、ひいろ…?」

「つまり、紺は俺と二人で、ああいうシーンを観るのが恥ずかしかったってこと?」

「だからそう言ってるんだけど…。っていうか手」

「ふっ、ふふふ」

手を離してって僕が言い終える前に、薄い唇からふっと息が漏れた。僅かに熱い吐息を擽ったく思う暇もなく、別の驚きが僕を襲う。
緋色が笑った。いや、微笑んだりすることくらいはあれど緋色が、声を出して笑ってる…!

「え、な、笑っ?!どうしたの?」

「んーん。…可愛いなぁと思って」

ぼそりと呟いて緋色は僕の手の平に自身の頬を擦り寄せた。猫、みたいだな。

あれ、さっきまでの不機嫌オーラが消えてる気がする。
やっぱりあれは僕の気のせいだったんだろうか。

っていうか「可愛い」って何が…?

とにかく一向に手を離してくれそうもない幼馴染みに抗議しようと改めて視線を絡めると、僅かに開いた双眸が緩く細められた。
それだけでまたどくりと心臓が跳ね上がる。全く忙しい僕の真ん中だ。

嗚呼、熱いな。手の平も顔も、触れているところ、全部が。

何でそんなに嬉しそうなのか分からない。
僕もどうしてこんなに身体中が熱くなるのか分からない。

分からないけど…心地好い。

なんてぼうっとしていると、今度は緋色の手の平が僕の頬まで降りてきた。
ゆるゆると指先で撫で下ろすと、やっぱり目の下に指を這わせて涙袋をなぞる。

長めの前髪を退けて、じいっと吸い込まれそうなほどに見つめられて。
ずっと見ていられなくてぱちぱちと瞬きをしても、そこにある光は確かに僕を捕らえたまま離さなかった。

相変わらずこの眼差しに安堵してしまう僕は、どこかおかしいのだろうか。
でもそろそろ…。

いくら家族同然に育ってきたからといって、ソファーでずっと重なり合っているこの体勢は先程の映画よりも恥ずかしいものがある…。
伸ばした手は相変わらず彼に拘束されたまま、その温度を手首越しに伝えてくる。

僕を撫で下ろす細長い指も、穏やかに細められた眼差しも、心なしか僕が照れているのを愉しんでいるかのような意地悪な表情も。
居心地が好いのか悪いのか、段々分からなくなってきちゃったなぁ。

「あのさ緋色、もう良くないかな…」

「まだ駄目。もうちょっと」

そうして冒頭のシーンに戻るのだった。

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