何度目だろ、ここに来るの。
もう数えてないや。
何度来ても家はおっきいし、変態藤倉の部屋もあまり変わっていない。
でかいクッションは増えてるけど。
ホームルームが終わるやいなや藤倉が教室に現れたのはまぁいつも通りのことだった。
と言っても最近じゃ一緒に帰ることも少なくなっていたから、久しぶりの光景に少し驚いてしまったが。
そんな呆けた俺を無言で教室から引き摺り出し、無言でいつもの帰り道を歩き、無言で電車に乗って帰路につく。
そしていつもの駅で俺が降りようとするとガッと手首を掴まれ座り直させられ、無情にも閉まる電車の扉を見守りつつ一駅先までまた無言の時間。
「藤倉…さん?どしたの」
流石に不安が募ってきて恐る恐る尋ねると、真っ直ぐ前を向いたまま綺麗な唇が開いた。
「ちょっとツラ貸せや的な…アレです」
どれですか。
内心突っ込むがそんな雰囲気ではない。
そうして俺はそれ以上何も言えないままこいつの家まで連れてこられ、今に至る。
だだっ広い部屋の中にある大きなベッドの真ん中。男子高校生が二人正座で向かい合っても尚余裕のあるくらい大きなベッドの上で、俺は藤倉と見つめ合っていた。
嗚呼壁が白い。
ちょっとでも汚れが付くと目立ちそうだなぁなんて現実逃避していると、凛とした声が半ば無理矢理俺を引き戻してきた。
「澤くん。俺ホントは…とても怒っています」
「は、はい…。見れば分かるよ」
「何でだと思う?」
「え、えぇ…と…。分からな、」
「自分で言ったこと。分からないとは言わせない」
「え、と…」
分かりません…。何て言える雰囲気じゃない。
嘘、ゴメン。
本当はちょっと、いや結構かなりすごくとても心当たりがある。
最近一緒に帰る日があっても、どことなくいつも通りの藤倉じゃない様な気はしていた。
ピリピリしているとか苛立ってるとか、そういう雰囲気では無かったけど何処か少し…少しだけ寂しそうで。
その理由に何となく気づいていながらも結局何も出来なかったのも、俺が弱過ぎるからか、も…?!
パチンッ!
「はいそれ!それが原因!!」
「いっ、え、なに?何?!」
気が付けば目の前には真剣な眼差しの藤倉と、彼の熱で固定された頬。
考え込むうちにいつの間にか俯いていたらしい俺の顔を少しだけ強めに両手で挟まれ、むにっと頬を寄せられた。絶対今変な顔になってる。
「言っとくけど、俺に超能力はありません」
「え、あっ、うん?」
一体何の告白なんだろう?
いや、急に「超能力者ですっ!」って宣言されても吃驚するけどさ…。
困惑する俺の頬を包み込んだまま、藤倉は続ける。
「超能力は無いし澤くんの心も完全には読めないけど、何となくは分かるよ。分かるっていうか、想像くらいは出来る。澤くん分かりやす過ぎだし」
「うっ」
「ね、澤くんも本当は分かってるんでしょう?俺が何のことを言ってるのか」
こんな風に固定されたままでは、じいっと覗き込んでくる瞳から逃れられない。
俺は藤倉のこの綺麗な瞳が好きだけど、すごく好きだけど…。反面、怖い時もあった。
目は人の心を映す鏡だと言う。
ならば一等綺麗なこいつの持つ鏡に俺はどんな風に映っているのか。それを知るのが少し怖くて、だけど見られれば目を逸らすことも出来なくて。
この鏡に映る自分をどうしようもなく見つめ返すしかないのだ。
怖いよ。
だってそこに映る俺はきっとすごく、みにく、
「醜いとか思ってたらデコピンします」
「お前本当は超能力者だろっ?!」
ちょっ、何で人のモノローグ読んでんの?!本当は心も読めるんじゃないのっ?!
「やっぱり思ってたんだ。はい、おでこ出して」
「え、ちょっとマジでやんの?えぇ、ちょっと待っ、あぃたぁっ!!」
本当にデコピンされた…。
きっと全然本気なんかじゃないんだろうが、それでもじんじんと額の辺りが熱を持っている。
おかしい。
普段の藤倉なら絶対にこんなことしたがらない筈だろうに、これはとてもおかしい。
本当に、結構怒ってるんだろうなぁ…。
「いてて」と額を擦りながら藤倉に向き直ると、さっきまでの凛とした表情ではなくなっていた。
ぐっと何かを抑えるように口元を結び、目は今にも泣きそうに歪められ長い睫毛が僅かに揺れている。
こいつの泣き顔は何度か見たけれど、こんなの初めてだ。
その表情を見て俺もぎゅっと胸が苦しくなって、同じように今にも泣き出しそうになってしまう。
何でお前がそんな顔をするんだよ。
お前は…お前だけはもう傷つかないで、苦しまないで欲しいって。そう、思ってたのに。
「さて問題です」
「え」
泣きそうな顔を無理矢理抑えて、藤倉が問う。
「何で俺はこんな表情をしているのでしょうか」
どくんと、心臓が瞬時に答えを告げた。
あの日同じ場所で俺が怒ったことを全身が覚えている。
あの日ここで俺がこいつに放った言葉が、今真っ直ぐに俺に向かって返ってくる。
あれだけ啖呵を切っておいて俺は、こいつに同じ事を言わせようとしている。
「ご、めん…。ごめん、藤倉…。おれ、俺のせいで」
あぁ、頬から手が離れていく。
外気に触れ少し冷たさを感じながら、もう一度彼と視線を合わせるとそこにはいつもよりずっと優しい笑みを携えた藤倉が居た。
「駄目だよ。それ以上は、赦さない。それ以上きみを傷付けるのは俺が赦さないよ、澤くん」
「お前…覚えて…」
「当たり前だろ。自分を大事にしない俺を澤くんは本気で怒ってくれた。だから俺も、本気で怒るよ」
必要以上に謝ることはきっと一種の自傷行為だ。俺は誰に許して欲しい訳でもなかったんだ。今の言葉だって本当は、藤倉に向けたものではなかったのかも知れない。
なのに、俺は何に対して謝り続けていたんだろう。
きっと俺を閉じ込める俺自身に、或いは閉じ込めてしまっていた自分自身に放っていたんだろうか。
だけどもう一度だけ言わせて。
今度はちゃんと、謝りたい相手の目を見て。
「ごめんな、藤倉」
また、たくさん傷つけてしまった。
俺の不器用さと弱さで…ってこんな風に考えたらまた怒られちゃうのか。
ふっと一段と笑みを濃くした藤倉は、「いいよ」と一言呟いた。それから俺に目を閉じるように促して、出来れば歯も食い縛るようにと注意してきた。
ちょっと待てよ…。これは、まさか…?
いやいやこいつに限って…。でもさっきマジでデコピンされたし、可能性は無くも無いよな…。
ぎゅっと目と口を閉じて来るであろう痛みと衝撃に備えていると、唇にチュッと柔らかい感触だけが降り注いできた。
驚いて目を見開くと、困ったように微笑う変態藤倉の顔。
「まぁ今回はこれで許してあげる。澤くんに頭突きはちょっと…出来ないからさ」
それから額にできた小さな痣にもそっと、柔らかい感触を落とされたのだった。
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