「さて、澤くんは一体どこまで馬鹿なんでしょうね」
「くっ…、すいません」
「自分さえ試合に出なくなれば誰も困らないし傷つくこともないなんて…誰に言われた訳でもないのに思い込みが激しいですね」
「そんなあなたは今日すごく毒舌ですね…」
「まだちょっと怒ってるからね」
「だからごめ、ちょっ!んんぅ!」
あれから謝ろうとする度に唇を塞いでくる。せめて手で塞げば良いものを、何でわざわざ唇で塞いでくるんだ…この変態めっ!
相変わらず広いベッドの上で、もう流石に正座はしていないが向き合う形で俺たちは座っていた。
というかさっきからずっと両手首握られてるんだけど、これも何かデジャヴ…。
別に逃げたりなんかしないよ。
「さてさて、実は澤くんに一つ俺からも謝っておかないといけないことがあるよ」
「え、なに」
「実はバイトしてたっていうのは嘘でした」
「嘘?え、マジで?」
「マジで」
「え、じゃああの日会ったのはコスプレ?」
「いや、あれは本当だから。その後のことだよ」
「その後?」
一緒に帰れない日があったのは、バイトのせいではなかったらしい。なら何で、わざわざそんな嘘を吐く必要があったのだろう。
藤倉に嘘を吐かれていたと知って一瞬胸がきゅっと苦しくなってしまった。でも、こいつは嘘だったとバラしてくれた。一体どういうことだ?
バイトじゃなかったとしたら、放課後こいつは何をしてたんだろう。
「澤くん、本当にもうどの運動部の試合にも出るつもりないの?」
「え、うん…。出ないよ。運動したいだけなら一人で勝手にしてればいいもんな…」
俺が俯きがちにそう答えると、あからさまに呆れたような長い溜め息が頭上から聞こえた。
か、顔を上げるのが怖い…。何か悪いことをした訳じゃあない筈なのになんか、何か…!
藤倉がまた怒ってる、気がするんだが…?
「さーわくん」
「はい…」
「それが澤くんの心からの声なら俺は全力で応援するし背中を押そう。でも明らかに違うじゃん」
「ちがっ、わない、んっ?!」
「だうとー」
「ぷはっ!はぁ、だから何でさっきから口で口塞ぐんだよ変態っ!!」
赤面して訴えると藤倉は心外だという顔をして掴んでいた俺の両手首を漸く開放した。
そうして俺の訴えに答えもしないまま、ごそごそとポケットからスマホを取り出して見せた。
「まぁ俺の言葉だけじゃ信憑性に欠けるかもと思って、こんなモノを用意しました」
そう言って徐に俺を身体ごと引き寄せ、「よーいしょっとぉ」と自身の足の間に座らせる。
それから取り出したスマホを俺に見せるように背後から腕を回し、肩に頭を乗せてきた。
首筋でナチュラルに匂いを嗅いでくるのは何なんだ、嫌がらせか。擽ったいから止めて欲しい。
背中全体に藤倉の体温を感じながら謎の体勢で一緒に小さな画面を見つめる。
するとそこに映し出されたのはなんと…俺のよく見知った顔だった。
『澤センパイは運動神経だけじゃなくてチームのムードメーカーッスよ!!めっちゃくちゃよく喋るってワケじゃないけど周りのことちゃんと見てるっぽいし、チームも学年も違うオレにも話し掛けてくれたりして!あの人が部長だったらなぁって何回思ったことかぁ』
「え、え?!かしくんっ?!お前いつの間に、ってか仲直り?したの?え?」
そう、そこには満面の笑みを浮かべて俺の事を語る後輩かしくんの姿があった。これ、誰がいつ撮ったんだろう?まさか藤倉が?
いやいや、え、まさか。
だって俺の知ってる最近のかしくんは、この前街中で藤倉と会ってめちゃくちゃ怖がっててそのまま…。
二人はいつの間に連絡先交換したんだ?ってかそもそもこの動画って、本当に藤倉が撮ったのか…?
俺の驚きもそのままに、動画は続く。
『澤センパイつっけんどんな所もあるけどそこにも優しさが感じられるっていうかー。あ、てか藤倉サンここじゃアレなんでどっか入りません?オレまだまだ語り尽くせる気がしないんスけどー』
『や、もう十分』
あ、藤倉の声だ。やっぱこいつが撮影してんのか。ってかめっちゃ懐かれてんじゃん…。
かしくんとこいつの間に一体あれから何があったんだ。二人が仲直り?出来て良かったけどさ…。
『そんなコト言わずにー!ほら、中学ん時の澤センパイの写真とかもありますし』
『よし、行』
「おっとここまで」
「いやいやいやちょっと待て!行ったの?!かしくんとどっかで俺の写真交換とかしたの?!」
サッと画面を隠してももう遅い。俺はしっかり聞いたぞ、お前らの会話。
ってか何で俺の写真に釣られてんだお前も!
「そんな、澤くんの写真を貰いはしても他人に渡す訳ないじゃん。ハイ次ー」
「はあぁ?!やっぱ結局写真に釣られてんじゃねぇか、え、おい、ちょっと聞けよ!」
しかし藤倉はまるで何事も無かったかのように画面を俺の前に戻し、次の動画を再生した。
次に映し出されたのは、体育館の端で練習していたらしいバスケ部の面々と新井部長だ。
『チームが纏まらない時、情けないが澤が居てくれればなんて思うこともあるなぁ。本当は部長である俺の仕事なんだが、試合の結果だけじゃなくてあいつが居るのと居ないのとじゃ試合の楽しさもまるで違うんだ。モチベーションも誰よりあるし、部員もそれに引っ張られる。本当は入部して欲しいくらいだ』
「あ、新井部長…」
『それにしてもふ、藤倉…くん。澤の為にここまでやるとは、やっぱり君は』
「ハイ次」
「え、まだ喋ってなかった?てかまだあんのコレ」
『澤隊員ー。元気?じゃないよねぇ』
「あ、あいつら?!」
『まぁでもこれ観てるってことはもう大丈夫じゃんな。今度プリン奢れ!あ、嘘ですゴメン藤倉くん』
「藤倉お前…」
「何もしてませーん」
その後も次々と映し出されるあらゆる部活の人々。同じ高校の人もいれば、中学時代の先輩もいた。何で、どうやって繋がったんだろう。
藤倉がいくら有名人とはいえ中学は違う人もいるのに。
そんな感じで動画は続き、暫くして漸く一通り見終わったらしい。
「とりあえずこんなもんかなー」
「こんなもんて…結構あったけどコレ全部お前一人で?」
「まぁまぁ」
そっかだから…。だから一緒に帰れなかったんだ。
だからバイトって嘘まで吐いて、こんな大変なことを、こいつ一人で…?
「すごいなぁ…。皆こんな風に思っててくれたんだ…」
「で?」
「え?」
「それでも澤くんはまだ、さっきと同じ答え言える?」
「うっ」
言え…ない。言えないよ、言える訳無い。だってこんなに沢山の人が俺のこと覚えててくれて、こんな風に思ってくれてるなんて知らなかったし想像もしていなかったんだ。
それに何より、俺の為にここまでのことをしてくれたこいつの為にも…。
ここまでされちゃあもう、もう自分自身に嘘なんか吐けない。
吐けないじゃんか、馬鹿。
「さーわくん?」
「俺、俺な」
「うん」
「あいつらも…こないだのバスケ部の奴等も嫌な気持ちにさせちゃったんじゃないかなんてどこかで思ってた。やっぱり俺が…悪いんじゃないかって」
「はあ…。本当さぁ、澤くんは優しいを通り越して馬鹿だよなぁ」
「褒められてんのかディスられてんのか分かんねぇよ」
見上げて突っ込むが、そこには何かを考え込むように眉間に皺を寄せた藤倉の顔。動画は終わった筈なのに手元でスマホをくるくる弄りながら、俺を囲む腕に少しだけ力を込めた。
迷ってる、のか?
まだ何かあるのかな。
やがて俺を抱き込んだまま数分くらい悩んだ後、藤倉が苦々しげに口を開いた。
「これは…正直見せる気は無かったんだけど、その話題が出る可能性も考えて一応保険。嫌な気分になったらすぐ消すから言ってね」
「えと…まだあんのか?」
「ホントに無理だったらすぐ言ってね。秒で消してくるから」
「え、動画をだよな?え?」
消してくるって何…。何かすごい不穏な言い方なんだけど?
しかし藤倉はふうっと短い溜め息を俺の耳元で吐くと、「いくよ」といつもよりずっと甘い声で囁いた。反射的に、身体がピクリと僅かに跳ねる。
そうして押される再生ボタン。その小さな四角の中には、俺が予想だにしない人々が映し出されていた。
『あの時は…すみませんでした!正直謝って許してもらえるとは思ってね…ませんし、俺らの事なんてもう見たくもないと思うけど。それでも本音言うと、羨ましかったんだ…。楽しそうなおま『あ"?』さ、澤さんが誰よりも楽しそうにバスケしてて。俺らバスケ部として恥ずかしかった。上手いとか下手とか以前に俺らが忘れてたこと当たり前みたいに持ってて正直…妬ましかった…です。そんな自分勝手で絶対にやっちゃいけないことをしたのも、すごく反省してます。許してくださいとは、言えないけど…。本当の本当にすいませんでしたっ!』
「クッソが…見れば見る程殴りてぇな…」
ボソッと呟いたが本音出てるぞ藤倉。というか途中の脅すような声はお前か?
正直溜まりに溜まってたモノがこいつらのお陰で閉じ込めてた所から出てきたみたいなとこあるのになぁ。
そのきっかけになってしまった奴らにまでこんな風に言われてしまうなんて思いもしなかった。いや、もしかしたら言わされてんのかもしんないけど。
なんて。こいつらの言葉に嘘が無いことなんて真摯な表情を見れば分かる。ちょっと怯えてる気もしないでもないが。
というか…あぁヤバいなこれ。
こんなの見せられたら、俺…。
「以上、これが澤くんに対する皆さんの意見です。で、もっかい。感想は?」
「………ちょ、ちょっと待って」
「ね、顔見せてよ」
「…やだ。無理」
「ふっふふ。ほら、顔上げて」
折角見られまいと俯いていたのに、優しい力で顎をくいと掬い上げられてしまった。
そのままぐしゃぐしゃに濡れた瞳を覗き込まれてしまう。滲んだ視界の中で緩やかに榛色の双貌が弧を描いた気がした。
「も、見んなぁ…」
「ふふ、いつかと真逆だなぁ。見るよ。貴重だもん」
澤くんの泣き顔。そう言って顎から頬へ手を滑らせ、ぽろぽろと伝う雫を親指で丁寧に拭き取っていく。
彼はそれを徐に自身の口元に運んだかと思うと、ぺろりと舐めた。泣いてる俺の目の前で。
「ふはっ、しょっぱ」
「あ、たりまえ、だろっ、変態…」
驚いたがそれでもやっぱり涙は止まらない。止まってくれない。それどころか、ダムが決壊してしまったみたいにどんどん溢れ出してくる。
「いいよ。泣いて泣いて、全部出してよ」
「…お前に、泣き顔見られるなんて、一生の不覚、うっ、うぅ…」
「俺はもう何回も見られてるんだけどねぇ」
笑いながら藤倉は俺の身体をまたひょいと持ち上げると、正面から抱き締めてきた。
その温もりに、匂いに、柔らかい髪の感触に安心してしまうのはもうどうしようもない。どうしようもないんだ。
涙が止まらないのも無意識に背中を抱き締め返してしまうのも全部全部、こいつのせいだ。
俺のことばっかりで自分の事は顧みないで、いつも全力で俺を色んなものから守ってくる。このおかしな変態のせいだ。
人前で泣くなんて、一体何年振りだろう。もう分かんないや。
顔中涙でぐずぐずになって鼻水が出て、拭きたいから離してっていっても藤倉は離してくれなかった。
「俺の服で拭けばいいよ」なんてどこぞの少女漫画のヒーローみたいな台詞を言うもんだからおかしくて、笑ってしまうのにそれでもまだ溢れる涙は止まってくれなかった。
そこでやっと、今まで俺がどれだけ自分を苦しめていたかを思い知ったのだ。
それと同時にこんなに泣ける場所があることにも、どうしようもなく幸せを感じてしまったんだ。
なぁ、藤倉。
俺のこと離さないでいてくれて、ありがとう。
一通り泣いて漸く落ち着いた頃、ティッシュで鼻をかみながらヘラヘラ笑う変態に向き直る。
「悪い…。まさかここまで泣くとは…」
「いいよ、ちょっとはすっきりした?」
「しました。けどやっぱお前に泣き顔見られるとか…うぁあ」
俺が顔を覆って蹲っていると、頭を撫でられる感触がする。やわやわと優しく、髪を梳いた指は頬に下りてまた優しい力で顔を掬い上げられてしまった。
視界の真ん中に映る双眸はやっぱり綺麗でどうしようもなく眩しくて、その中に映る俺がどうだとか、不思議ともう思わなくなっていた。
ただただ美しいと思う。
こいつが映し出せばきっと、どんなものでも美しいんだ。
だってこいつがこんなにも綺麗なんだから。変態だけど。
「ねぇ」
「うん?」
さっきから何度も俺のごめんを吸い取った薄い唇がまた開く。
桜色のそれは、いつも俺が欲しい言葉をくれるから困ってしまう。
「おれの知ってる澤くんを教えてあげる」
「藤倉の?」
「いつもただ何となくで活躍してるんじゃない。どんなスポーツでも澤くんは人のこと見てて、その上で自分がどう動けばいいかずっと考えてる」
「そう、だっけ」
「そうだよ。それに、誰よりも楽しんでる。これが一番大事なところ」
「何なら分かるまで動画再生しようか?」とまたぐいと抱き寄せられ、俺は慌てて首を振った。
もう十分だ。さっきまでの己の痴態を思い出して顔がぶわっと赤くなるのを感じた。
「それに俺知ってるよ。頼まれたら何でも全力でやること。当日だけじゃなくて試合の前日まで、みっちり練習してることも」
「お前って本当に…」
俺のこと何でも知ってるみたいだ。
「知ってるよ。だってずぅっと見てたんだから」
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