mitei 深呼吸 | ナノ


▼ 5

「本っ当何なんだあの先輩…。すっげぇ疲れた、てか危なかった…」

「ゴメンなぁ。先に言っとけば良かったな」

「ホントになっ!!」

今日の飲み会は別サークルとの合同飲み会だったのだが、あんなに絡みが酷い先輩が居るなんて思わなかった。その人は普段は温厚なのに酔うとキス魔になるらしく、手当たり次第に近くの席の人達にキスしようとしていた。

慣れた人達はするりとそのキス攻撃をかわしていたが、それ以外の人は驚きと酔いで反射神経が鈍っていたので現場はそれはもう大変な騒ぎであった。

そうしてちらりと傍観していた俺に視線を向けた先輩。背筋に走る悪寒。
そう、次にその矛先が向かったのは俺であった。あそこで店員さんが入ってきてくれなかったら本当に危ない所だった。マジで唇にされそうになったもんな…。

店員さん、ありがとう。ナイスタイミング過ぎる。顔はちゃんと見えなかったが今度会えたら是非ともお礼がしたいくらいである。

まぁその事件を除けば、大体は楽しい飲み会だった。新しい友達も出来そうだし、もしかしたら彼女も…。は、無いか。ちょっと調子に乗った。今までも沢山居たが、俺に声を掛けてくる子達は大抵俺ではなく一吹狙いだ。

今日も今日とて例外ではなく、同居していると知られた途端あれやこれやと質問の嵐だった。使ってるシャンプーはー?とか、一吹くんってどんな寝相で寝てるのー?とか、挙げ句の果てには直球で住所まで聞いてくる猛者も居た。

疲れた…。

そんなに気になるなら自分で聞きに行けばいいのに、それが出来ないのがオトメゴコロってやつなんだろうか。俺には分かんねぇや。

ふうっと溜め息を吐いた所で、背後に酒臭い気配を感じて一瞬身体がピクリと固まった。

「あーまみーやくんっ!ちゅーしよ!」

「おぅわ先輩?!まだ酔ってんですか?!ちょっ、止めてくださ…いっ!!」

くっそ、油断していた。
二次会はもう疲れたから断ろうなんて思いながら店の前で突っ立っていると後ろからガバッと抱き締められ、驚いて振り返るとキス魔のままの先輩の緩みきった顔があった。蘇るのはあの阿鼻叫喚の光景。

ぐぐぐっとくっ付けてこようとする顔を何とか両手で押し退けて、他の先輩方にも手伝ってもらい何とか引き剥がすことに成功したその時。

「…隙アリッ!!」

「え、待っ!」

一瞬脱力して諦めたかのように見えた先輩がゾンビのように今度は真正面から突っ込んできた。

他の先輩方も俺も突然の事に対処しきれず、このままでは諸にこの先輩のキス攻撃を食らってしまうと覚悟してぎゅっと目を閉じた。

が、何時まで経っても何の感触も襲ってこない。恐る恐る目を開けると其処には、目を閉じて眠ってしまったらしい先輩と彼の服の襟を掴み片手で持ち上げるすらりとしたシルエットが。

そう言えば、トスッみたいな何かが軽く衝突した音と服の擦れる音がしたような…。気のせいかと思ったが眼前に広がる光景を見て俺は瞬時に色々と理解した。

「す、すみませんすみません!!大丈夫ですか先輩?!」

「えと、電池切れて寝てるだけなんじゃないかな…?」

「いやでも、」

違う。絶対違うと俺の勘が言う。だって先輩の背後にこいつが居るもん。目を閉じていた俺と違って他の人は目を開けていた筈なのに、何も見ていなかったとでも言うのか?それ程の速さで…。いや、こいつなら十分有り得る。
というか、いつも存在感半端無いのにこういう時は誰も気付かないのか?気付いてるの俺だけなの?こいつの前世はやはり犬じゃなくて忍者なのか?

「ほら寝息立ててるし、大丈夫だよ。あ、っていうかこの人って…」

「本当すみませんすみませんすみません!!このお詫びはまた後日、先輩お大事に!二次会も不参加で!!ほら行くぞっ!!」

「あ、雨宮くーん!…行っちゃった」

「ねぇー。折角直接会えたのに、ざんねーん」

気絶した先輩を他の先輩方に預け、俺は先輩を眠らせた犯人の手首を掴んで物凄い勢いで謝りその場を立ち去った。

質問攻めにされる前に何とかこの場から逃げなければと焦る俺と黙って引き摺られていくそいつを茫然としながら見送る大学の人達。その内の何人かが頬を赤く染めていたのは果たして酒のせいなのかそれとも…。

とにもかくにもすみません、ちゃんとしたお詫びはまた後日ってことで。

漸く人通りの少ない所まで引っ張ってきてそいつと向き合った俺は、少し声を荒らげて言った。

「一吹!迎えに来なくていいって言ったよな?」

「やぁそんなつもりなかったんだけど、偶々近くを通りがかったもんだからさ」

「だからって…。はあぁぁ…もぉお!」

「章ちゃん、あいつにキスされたかったの?」

「されたくなかった!その件はありがとう!」

「どういたしまして」

「でもやり過ぎ!気絶してただろうが先輩!もっとやり方ってもんがあるだろ助かったけど!助かったけど!!」

「いつもより声おっきいねー。酔ってる?」

「酔ってません。怒ってます!」

じろりと睨み付けるも幼馴染みは飄々とした表情のまま、いつもの何を考えてるのかまるで分からない瞳で俺を見下ろしてくる。

「だって咄嗟のことだったし、章ちゃん嫌そうな顔してたんだもん。あれでもちゃんと手加減したよ?」

「してくれなきゃ困るよ…」

こいつが手加減しなきゃ気絶なんかじゃ済まないことを、俺は知っていた。あれは一体何時の事だったか…。中学の頃だろうか。

確か学校からの帰り道、俺がちょっとガラの悪い高校生達に金を巻き上げられそうになっていた時に、ひょいと現れたのもこいつだった。

何処からか突然現れた一吹はまず俺の胸ぐらを掴んでいた奴の腕を掴んだ。と思うと何かが確実に折れた鈍い音が響き、その高校生が悲鳴を上げる間も無く一吹が顔面をグーパンチ。するとそいつは数メートルはふっ飛んだ。

いやぁ、人間ってあんなに飛ぶんだね。初めて見たなぁなんて感心している場合ではなかった。

次々と襲い来る年上の、しかもバットやらどこからか拾ってきた鉄パイプやらを持った不良達相手に一吹は一人で応戦し、数分も経たない内に見事全員を失神させてしまったのだ。

今回のこと然り、助けてもらったのは素直にありがたいと思う。けれど俺は未だに、あの時の無表情で返り血を浴びる幼馴染みの姿に戦慄したことは忘れられない。
そう、喧嘩中も一吹はずっと無表情だった。

無機質な表情のまま真っ赤な血をその整った顔に浴びる一吹は、俺の知る彼とはまるで別人のようで。あらゆるショックから俺は身体が動かなくて、ただその場から動くことが出来なかった。

やがて一吹にやられていた一人が倒れながら呻き声を上げる。

茫然とその光景を見守っていた俺がその声でハッと我に返って止めに入るまで一吹がその拳を止めることはなかった。蹴りも連発してたから足もか。

一吹は決してヤンキーではない。学校では寧ろ優秀な生徒として先生にも頼られ他の生徒達にも慕われていた。また、中高共に一吹は俺と同じ帰宅部であった。ボクシング部や柔道部でもなければ空手などの格闘技を習っているなんて話も聞いたことが無かったのだ。

俺と同じ学校に通い、俺と同じ生活を送っていた筈の彼が何故あんなヴィランみたいに育っちゃったのか。

あの時一吹が来てくれて俺は確かに助かったが、無表情で敵を次々なぎ倒すあの姿はヒーローというよりヴィランだった。正義の拳で悪に立ち向かうヒーロー、に立ち塞がる敵側のめっちゃ強いボス。みたいな。

うん。その方がしっくり来る。

まぁさっきのもちょっと吃驚はしたが一応助かったし、あまり怒るのも良くないかもしれないが…。それにしても世間一般の常識というやつとこいつの持つ常識には少し、いや結構なズレがあることは指摘しなければならないだろう。

俺の言うことならば何でも聞くという訳ではないが、その役目が俺に出来なくて誰が出来ようか。いや、俺も出来る気がしないが。

あれ、じゃあ誰にも無理じゃん。詰んだ。
…もう考えるのを止めよう。いや諦めるな俺。

「章ちゃん怒ってるの?」

「うん。いいか、もう人に暴力振るうんじゃないぞ」

「あれは暴力に入るの?」

「入るだろ気絶させたんだから」

「怪我はさせてないよ?」

「そういう問題じゃ、あーもう!」

埒が明かないってこういうことを言うのか。ああ言えばこう言う。本当にこいつは事の重大さを理解していないのか。

助かったけど!確かにこいつのおかげで助かったけどさ!だからって手刀で気絶させる奴があるか?漫画かよ!

無関心を貫き通そうとしていたがこれは流石にもう無理だ。そもそもこいつ自体にも突っ込みどころが多過ぎる。

俺はもうどうしたらいいのか分からない。まだ酔ってて頭が回っていないのだろうか。それとも実は俺の酔いはもう醒めていて、それでも俺の思考の方がおかしいのだろうか。

駄目だ分からん。もう本当全然どうするのが正解なのか全くもって分からん!

空気と思い込むには余りにも存在感が強過ぎる俺の厄介な幼馴染みは、きょとんとして俺を見下ろしたままだ。

無垢で純粋なその瞳が更に俺の苛々を募らせてくる。俺の言いたい事、ちゃんと伝わってるのか?

「章ちゃん?大丈夫?」

「…じゃない」

「へ?」

「全然大丈夫じゃない!」

「おおう」

「俺はちょっと頭冷やすから!お前今日はもう一人で帰れ!」

「え、章ちゃ、」

「明日は自力で起きろよ」

「章ちゃんはどこ行くの」

「言わん!でも助けてもらったのはありがとう!」

「あ、どういたしまして」

「でも暴力は駄目!じゃあな!!」

「えー。章ちゃん…まだ酔ってるのかな」

そうして俺は勢いのままに言いたいことだけを告げると、一吹を置いてその場からさっさと立ち去った。

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