この色は好き、あの匂いは苦手、この服は格好良くて気に入ってる、あの音は嫌い、あの人はちょっと好きになれない。
そんな風に選り好みをしていったら、いつしか俺の周りには俺の好きなものばかりが集まるものだと思っていた。
多少出会してしまう苦手なものはしょうがないにしても、選べるものは自分で選ぶ。
好きな色も音楽も、服装も髪型も自分の部屋のインテリアも、友達だって。
苦手なものには深入りせずにそうっと自分から遠ざかり、余計なことには口を出さず空気のように場をやり過ごす。
それでもたまに嫌なことや泣きたくなるようなことも度々向こうからやって来たけれどそれはそれで勉強になるというものだ。自分はこれが駄目なのだ、合わないのだと、体験してみなければ分からないことも多い。
とにかく一度無理だと悟ってしまったらそれ以上深く関わらない、考えない。
嫌いになるのではない。
一切の関心を失くすのだ。
「好き」の反対は「嫌い」だろうか。
俺の考えは違う。「愛の反対は無関心だ」という言葉があるように、まさに「嫌い」とも言えるもの、真に関わりを持ちたくないと本能が判断したものに対して俺が取る行動は関心を失くすことだった。
嫌いになれるだけの労力を割けるのならまだマシな方だ。ただ俺は生来の何事にも執着しない性質もあってか、一度ノーと判断したものからは一切の関心が消え失せてしまう。
すなわちどうでもいいのだ。
どうでもいい奴が俺の陰口を叩いていようがそれは只の雑音にしかならない。
俺にとってどうでもいい有象無象が世間に溢れかえっていたって、俺自身に害を及ぼさないのならどうだっていい。勝手にしてくれ、好きに踊れというスタンスである。
誰かがそんな俺の態度を見て「優しい」などと言った。何言ってんだ、全くもって正反対だろと思ったのを覚えている。
きっと俺が強く怒ったり苛々したりしないのを見てそういう風に思ってくれたのだろう。しかしそれこそ「優しい」とは全く別のものだと思う。
真に優しい人はどうでもいいなんて思ったりしない。どんな物事にも胸を痛めて他者を思い遣り、苦手な人にだって困っていれば手を差し伸べるだろう。
俺なら苦手な奴が道端に倒れていたらそいつも道路と認識して踏み倒してしまうかもしれないというのに。
そんな奴を、罷り間違っても「優しい」とは言わない。敢えて言うなら「冷徹」と言うのだ。温かく柔らかい「優しい」とは対極にある、冷たくて固いニンゲンモドキ。みたいな。それが俺である。
とは言え俺だって誰にでも無関心な訳ではない。それなりに友達も居るし彼らのことは好ましいと思っている。そういう少しの「大切」を、俺の出来る限りで大事に出来ればそれで十分なのだ。
そうして俺の選んだモノだけで俺の世界を作っていく。作っていこうと思っていた。
なのに。
「おい、一吹。いーぶーき。起きろ」
「…や」
布団の中で縮こまり子供みたいな甘えた声を出す幼馴染みをじとりと見下ろしながら、俺は短い溜め息を吐いた。
毎朝毎朝、何だってこんな面倒な事を俺が引き受けなくちゃならないんだ。いい加減朝起きるくらい一人で出来るようになって欲しい。
起こしに来てやったにも関わらず今日も今日とて中々白いシーツの殻から出てこない、あまりにも寝坊助過ぎる俺の幼馴染み。
まぁこいつの場合、目覚まし時計を十個セットしたって同じことなのは検証済みなのだが。
実は一度こいつが寝た後にこっそり目覚まし時計を大量に枕元に置いてやった事がある。翌朝の騒音は酷いものだったがなんと、その中でもこいつは何食わぬ顔ですうすうと寝息を立てていた。いくつかの目覚ましは止められていたがそれでも何故か、俺が呼びに行くまで起きることはなかったのだ。
非常に由々しき事態である。
常ならばこんな面倒事なんて無視すればいいだけの話なのだが、そうもいかない理由があるのだ。
「ぶっちゃけお前が遅刻しようがどうだっていいが、万が一お前が単位落としたりしたら俺が母さん達に怒られんだよ。だからさっさと起きろ」
「んー。しょーちゃ、手…」
「貸さん。起きろ」
「…はよ」
「ん」
渋々布団から顔を出した彼、一吹は只でさえ癖っ毛気味の髪をあちこちに跳ねさせ、眠気眼を擦りながらのそりと起き上がった。カーテンから差し込む朝日が彼の薄ら割れた腹筋の陰影を映し出し、寝起きの気怠げな顔はアイドルの写真集のワンシーンの様だ。と、大学の子達が見たらきゃあきゃあ騒ぐんだろうなぁ。
…寝る前はきちんとスウェットを着ていた筈なのに、起きたら何で上半身が裸なのかは深く考えないでおこう。
「やっと起きたか…。飯置いてあるから、適当に食って適当に出ろよ。俺は先に行くからな」
「んん…」
「ったく…」
自分の準備に戻るか…。
ちらりと後ろに目を遣ると、長い前髪の間から覗く赤みがかった眼光と視線が重なる。寝起きのそれではない鋭い眼差しに一瞬背筋を凍らせながらも、俺は自分の荷物を取りに部屋を出ようとした。
…おかしい。
何故、これ程冷たくしてもこいつだけは離れないんだろう。
普段ならば俺が関心が無いことが分かると向こうから離れていったり、勝手に疎遠になることが多かった。
それがどうだ。
「きょう…授業…帰り、いっ、しょ…」
「好きにすれば」
ドアを開け部屋を出ようとしたところで、後ろから眠そうな声が掛けられる。寝起きのせいかいつもより特段低いそれは少しだけ聞き取り辛かったが、確かに俺の鼓膜まで届いた。
しかしこいつときたら…また寝やがった。もう知らん。もう起こしてやらねぇ。
のっそりとベッドから身を起こしたと思うとぼそぼそと言いたい事だけ呟いてまた枕に顔を埋めたこの男は、漆黒の髪を白いシーツにバラけさせてまた寝息を立て始めた。
この幼馴染みは俺がいくら突き放そうとしても全く動じず遠ざからず、それどころか年々これでもかと強力な業務用接着剤の如く粘度を増して離れない。
幼稚園…いや、幼稚園に入る前から両親同士が仲の良かったこいつとは家族ぐるみの付き合いで、俺は腐れ縁だと思ってもう半ば諦めている。
小中高と当たり前のように同じ学校に通い、クラスは違えどほぼ毎日登下校を共にし、やっと離れられると思った大学でさえも同じところに合格する始末。
挙げ句の果てには互いの両親に勝手に部屋を決められ、大学進学と共にルームシェアをするまでになってしまった。
俺は最早こいつのことは空気だと思うことにした。そう、こいつは空気。しかも酸素でも二酸化炭素でもなく、空気中でも大半を占める窒素あたりの空気だ。
たまにのし掛かってきたり服に手を突っ込んできたり、一緒に風呂に入ってこようとしてきたりいつの間にか布団に潜り込んできたりするが、空気なので仕方がない。空気なのだから、何処に居たって何も不自然ではないのだ。
因みに先程の会話は、「今日は二人とも授業の終わる時間が同じだから一緒に帰ろう」というものだった。
拒否したところでどうせ帰る家は同じ、それに俺が頼んでいなくても勝手にこいつの方から教室まで迎えに来ることだろう。
そんな事まで解る程度には、俺もこいつの扱いに慣れてしまったということだろうか。
くそが、ただの空気なのに。
prev / next