あぁしまった…。やらかした。
いや、俺は実際何もやらかしてないんだけど、でも状況的には芳しくないっていうか、でも不可抗力っていうか何ていうか…どうしよう。とりあえず落ち着け。落ち着くんだ俺。
今日は日曜日。
欲しかった漫画を買いに本屋へ行った帰り、街をぶらついていると、前方から騒がしく歩くヤンチャそうな集団が近づいてきた。
ちょっと道に広がって歩いてるから危ないなぁと思い俺は端っこに避けたんだけど、すれ違う瞬間その中の一人と目が合い、肩がぶつかった。多分わざとだったのだろう。
そのまま因縁をつけられ路地裏へ。
そして冒頭に戻る。
こんな漫画みたいな展開あるんだ。
いや、もはやベタすぎて漫画でもそうそう見ないぞ。
路地裏へ追い込まれ、数人のヤンキーに大通りへの道を塞がれた。
「んだよ!こいつひ弱そうじゃん」
「こんなんじゃ暇潰しにもなんねーんじゃねーの??」
何だこいつら…。どうやら金が目的って訳でもないみたいだ。
指をポキポキ鳴らして一歩ずつ俺に近づいてくる。今時そんな風に指鳴らすやついるんだ…じゃなくて。殴る気だ。多分。
俺何も悪いことしてないのに…。
どうしよう…逃げるか…?足には自信がある。だけど大通りへの道は塞がれてしまっているし、後ろは行き止まり…。絶体絶命だ。本当漫画みたいなベタな状況だが、いざそうなってみると結構怖い。
奴らはまるでゲームをする子供みたいに無邪気な、しかし禍々しい笑みを浮かべて確実に近づいて来ていた。
「じゃあまず俺からな!」
と、遂にその内の一人が力一杯拳を振り上げた。
…来る!もうこうなったら数発殴られてでもここを突破して走って逃げるしか…!
そう思って身構えた直後…。
パシッという何かがぶつかるような、それにしては軽い音が響いた。
身体はどこも痛くない…どうやら俺が殴られたわけではないみたいだ。
顔を上げると、俺の目の前に逞しい背中が見えた。
何か妙に安心感のある背中だ。
「…ふじくら?」
どこから現れたのか分からないが、藤倉は俺に殴りかかろうとしていた拳をいとも簡単に片手で受け止めてしまったらしい。
藤倉の表情はこちらからは伺い知れないが、先程まで威勢の良かったヤンキーたちは彼を見るやいなや、一斉に顔から血の気を失った。
彼らは一斉に逃げ出したが、藤倉は俺に殴りかかってきた奴の手を掴んだままぐいっと引き寄せ、何事かを囁いた。
「俺のこと知ってんなら分かるよなぁ?本当はその腕へし折ってやろうとも思ったんだけど、あの子の前で暴力とか嫌だからね」
俺には聞こえないくらいの声で藤倉がぼそぼそと告げると、手を離された彼はほとんど涙目になりながら口をパクパクとさせた。その顔はもうほとんど血が通っていないみたいに真っ青で、殴られかけたのに何故かこっちが心配になるほどだ。
「もう、こういうことしちゃ駄目だからね?」
恐らく微笑んでいるのだろう。先程より大きく、明るめの口調で藤倉が告げると、涙目の彼は(というかもう泣いていたけどそこは突っ込まないでおこう)、「…すいません」と声にならない声で謝り覚束ない足取りで走り去っていった。
「…大丈夫?」
俺に手を差し伸べる藤倉はいつもの柔らかな雰囲気で、しかしその声はどこか弱々しく震えていた。
「あぁ、ありがと…」
さっきまでの猛々しさはどこへやら、いつも余裕たっぷりの澄んだ瞳には不安の色が揺れて見える。
どこから現れたのとか、喧嘩強かったのとか、何でここにいるのとか…。聞きたいことはたくさんあったのに俺の口から出たのは短い感謝の言葉だけだった。
あぁ…情けないなぁ。
守られてしまった。守らせてしまった。
笑顔ではあるもののいつもより心なしか暗い彼の瞳を見ると、何故だかそんな思いが込み上げてくる。
「藤倉?」
「…ん?」
「どうしたの」
「どうもしないよ」
「うそ」
「うそじゃないよ」
「じゃあ…」
なんでこっち、見ないの…?
あれから藤倉はずっと俺の手を引いて無言で歩き続けていた。いつも触られると熱いくらいなのに、今日の藤倉の手は冷たくまるで温度がない。
「ごめんね」
立ち止まって彼が呟く。
綺麗な瞳は伏せられたままだ。
「怖い思い、させたよね」
「殴られたわけでもないし大丈夫だよ」
「それでも、怖かったでしょう?」
「ちょっとだけね。でも、助けてくれたじゃん。そもそも藤倉が謝ることじゃない」
「俺がいたのに怖い思いさせちゃった」
「あの場にはいなかったのに駆けつけてくれただろ」
「関係ない。例え一瞬でも澤くんに、怖い思い、させた…」
俯いたまま、消え入るような声で呟いた。まるで取り返しのつかない罪でも犯してしまったかのように。
…こんな藤倉初めてだ。
こいつはいつもどこかおかしいが、実際何を考えてるのかなんてはっきりとは分からない。だけど今こいつの表情を、透き通った瞳を曇らせているのは、俺なんだろう。
何故だかそれが堪らなく悔しくて、嫌だった。
「…何かやだな」
ぼそりと呟く。心の声がそのまま出た。
表情を無くした彼がこちらを見たが、構わず続ける。
「お前って普段飄々としてんのにいきなりテンションおかしくなったり愛の告白みたいなこと言ってきたり、スキンシップ多かったり意味分かんない奴だけど、」
言いながら今までのことを思い出す。
そうだ、やっぱりこいつは変な奴だ。
だけど、ひとつひとつ思い返すごとに確信に変わることがあるんだ。
「それでも、いつも俺のこと最優先に考えてるよな。自惚れかもしんないけどさ」
それだけは、確かだった。
藤倉はおかしな冗談も言うしいたずらもするけど、それでも彼の行動や言動の端々には俺への優しさや気遣いが感じられた。
自惚れでもいい。その優しさが俺だけに向けられたものかどうかは分からないけど、俺に向けられたものであることは確かだ。
…優しさ以外にも色々篭ってる気もするが。
「…嫌、だった?」
「ううん。お前が何でそんなにしてくれるのかは分からないけど、でもだからこそ、」
握る手に自然に力がこもる。
逸らすことなく彼を見つめる。
不安げに俺を映す瞳は、いつもの輝きを失ったままだ。
…嫌だ。
「嫌なんだ。されてばっかりなのも、お前にそんな顔させるのも」
藤倉は何を言っているのか分からないという顔をしている。
しかし彼は一言一言聞き漏らさないように、俺が発する言葉の意味をゆっくり解きほぐすようにしてじっと聞いてくれている。
言わなきゃ。俺もちゃんと、伝えなきゃ。
「俺もお前に何か返したい。喧嘩とかはできないけどさ。何か分かんないけど、お前がそんな顔してるの、やだ。無理に笑えとは言わないけど、何ていうか、調子狂うっていうか、うぇっ?!」
急に藤倉が視界から消えたと思ったら、身動きが取れなくなった。
いつの間にかぎゅっと抱き締められている。痛いくらいに力が込められ、ちょっと息が苦しい。
俺の肩口に顔を埋めた彼が「はぁーっ」と長い溜め息を吐いた。間近で藤倉の息がかかってぞわぞわする。
「ちょっと何、苦しいって」
俺が抗議すると彼はちょっと深呼吸し抱き締める力を弱めたが、それでもがっちりと包み込まれたままだ。
「…やっぱり澤くんはカッコ良いなぁ。澤くんよりカッコ良いひとなんて見たことない」
「何だよ急に。褒めても何も出ねぇぞ」
「本心だよ。…俺だって、貰ってばっかりだ」
「…お前が何をそんなに気負ってんのか分かんないけど、もう十分だよ」
そっと彼の背中に腕を回し、抱き締め返す。想定外だったのか彼の身体が一瞬だけ強張った。愛おしい。
何だかそんな思いがこみ上げた。
「それでもどうしても足りないっていうんならさ、」
心臓が早鐘を打つ。どちらの音か分からないが、どくんどくんと歌うその鼓動がとても心地いい。
「もう気が済むまで一緒に居ればいいんじゃないか?」
数秒の間を置いて、藤倉がはっと顔を上げた。真っ直ぐ俺を見据えるその瞳には、いつもの輝きが戻っていた。さっきまで見ていたはずなのに、何故だかすごく久しぶりにこいつの顔を見た気分だ。
何やら言いたそうに口をパクパクさせているが、言葉が出ないらしい。俺はゆっくり藤倉の言葉を待った。
「…本当に、いいの?」
「うん」
「少なくとも一生はかかるよ?」
「ははっ。上等だよ」
笑いながらそう返すと、彼は今まで見た中で最も美しく、そして幸せそうに微笑んだ。あぁ、やっぱりすごくきれいだ。
世界で彼だけが持つ宝石は、今までで一番輝いている。
その輝きをもっとずっと、いつまでも見ていたい…なんて思ったのは内緒だ。
「聞いたからね。忘れないよ」
「大げさだなぁ、ほんと」
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